第106話 天使来襲

こんこんっ、と扉を叩く音がした。


「入っていいよ」


フェリスはレーヴェと話したのち、治水工事の報告資料を読んでいた。

先日の水害で壊れた水路の修繕の報告だ。


先ほどレーヴェに話していたリリアの僧の度を過ぎた振る舞いの報告書も気になる。

あまりに悪質なので、リリアの僧の布教に対しては最近、強い規制をかけている。


領主の仕事にしろ、官吏の仕事にしろ、大半はこういう人々の生活を影で地味に支える仕事である。山積みの書類が嫌いな人にはおそらく向かない。


皆が喜んでくれるのは、式典の日に着飾って、正装で馬を操る美しいフェリスの方だけれど。


「……? レイじゃないのか?」


入室の許可をしたが、訪問者が入って来ない。


レイかと思ったが、サキがレティシアの様子でも話に来てくれたんだろうか?

他にだれか家の者で、フェリスの部屋に直接来るのに慣れない者だから、勝手に入るのを遠慮しているのか?


不思議に思って、フェリスは書類をおいて、ドアをあけに行った。

家の者には、仕事上の疑問点や、気になることや報告したいことがあるときは、遠慮なくフェリスの部屋を訪れるように言ってあるのだが……。


「フェリス様!」


「……レティシア!?」


フェリスが扉をあけると、月光を浴びて可愛らしい金髪の天使が立っていた。


正確には、レティシアがバスケットとくまのぬいぐるみを抱えて、一人で立っていた。


「ど、どうしたの、レティシア? 迷子になったの?」


レティシアが迷子になれる程度の広さはある。


「違います。フェリス様のお部屋に夜這いです!」


「よ、夜這い!?」


心底驚いて、軽い眩暈を感じかけたが、とにかく、レティシアを座らせてあげないと。


何てことだ。山積している書類の山より、よっほど強敵来襲だ。


「入って、レティシア。どうして一人なの? レティシア付きの女官たちは?」


邸内といえど、レティシアひとりきりで歩かせるなんて心配だから、あとで女官たちには言っておかないと……。


それにしても何故、レティシア、くまのぬいぐるみと一緒に来てるんだろう?

とても可愛らしいけど……。


……一人で歩くの、心細かったのかな?


「夜這いだからです!  内緒で、一人で来なくちゃと思って」


ちっともわからない!

でもとりあえず、くまのぬいぐるみとバスケット持ったレティシアはめちゃくちゃ可愛いけど、その言葉はぜったい間違ってると思う!


「僕の部屋、遠かったでしょ?」


「はい。教えてもらったとおりに来たのに、遠くてびっくりしました。どうして、私のお部屋と、フェリス様のお部屋、こんなに遠いんですか? もう少し近くてもいいのに……」


レティシアはあまりの距離が不満そうだ。


「それは……もしお嫁に来たレティシアが凄く僕を嫌った場合、部屋は遠いほうがいいだろうと思って……」


歯切れ悪く、フェリスは応える。自分でもたいがい後ろ向きな性格だとは思う。


「フェリス様」


真剣にレティシアが不思議そうな顔をしている。


「フェリス様はこんなに美貌で優しい方なのに、ちょっとネガティヴ思考すぎでは……」


レティシアが小首を傾げまくっている。


「僕が人生で一番多く接した女性があの義母なので、ちいさい花嫁とはいえ、僕が女性に好かれる絵があまり想像できなかったんだ」


「……それは……とんでもない誤解です。今日だって、ディアナのたくさんの綺麗な令嬢方が、どうしてあんなちびがフェリス様の妃なの、て怒ってましたよ? あの人たちはきっとみんなフェリス様が大好きなんですよ」


「それは竜王陛下似の麗しの王弟殿下が好きなんであって、僕のことが好きなわけじゃないよ」


「フェリス様ったら!  違いますよ! 竜王陛下じゃなくてフェリス様人気です! ちゃんとごはん食べないから、そんなネガティヴな考えになるんですよ! 一緒にお夜食食べましょ?


フェリス様めちゃくちゃ人気者でしたよ! わたし、わたしは悪く言われても、 私の推しが人気で嬉しかったです!」


「………? 推しって何、レティシア……?」


「きゃ! 推しって大好きな、応援してる人のことです。フェリス様は私の初めての推しなのです!」


「そうなの? 僕、レティシアの推し、なの? 推しでなくて、夫だと思うんだけど……」


推しと夫はどう違うんだろう? とフェリスは首を傾げる。

そもそもその言葉はディアナにない。

聞きなれない言葉だが、サリアでは、恋人や夫のことを、推しと言うのだろうか?


なんだかレティシアが楽しそうだから、まあ、僕が推しでも、いいんだけど……。




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