第44話 薔薇の花を摘む姫君


「お帰りなさいませ、フェリス様」


「ああ、レイ。レティシアの様子は? 学問は、どうだった?」


 随分と、あちこちで、祝いを述べる人々に捕まって、戻ってくるのが遅くなってしまった。


 ここで邪険にして、レティシアの評判を落とす訳にもいかん、といつになく愛想笑いを顔に張り付け続けたので、フェリスは著しく顔面が疲労した。


「滞りなく。午前中はセドリック伯爵夫人がマナーの講義に、午後はランス伯がディアナの歴史の講義にいらっしゃいました」


「ランスが来てたのか。それは、僕も講義を聞きたかったな」


子供の頃、いくつも受けていた授業の中で、ランスの授業が一番好きだった。


彼の語り口が好きだったし、彼だけはフェリスの「先生、それは何故?」の質問に嫌な顔一つしなかった。知ってることなら教えてくれたし、知らないことならフェリスと一緒に考えてくれた。


ランスは、昔から決まっていることに、子供は疑問を持ってはいけない、という顔をしなかった。


「レティシア様も、フェリス様のように、ランス伯と気が合われたらしくて、遅くまで楽しそうに講義を受けてらっしゃいましたよ」


「うん。それはきっとそうだろうな」


レティシアも、ちいさな姿と魂があってない様子だから、ランスの講義は、幼いころのフェリスと同じように居心地がいい筈だ。


本ばかり読んでいる小さな娘はおかしいと不評で、と、しょんぼり語っていた、うちの花嫁殿。


「セドリック伯爵夫人にはいじめられてなかったか?」


「つつがなく、御二人で竜王陛下とフェリス様の話をされて、お茶の時間に盛り上がってらっしゃいましたよ」


「午前中の世俗、午後の知恵…だな」


「どちらも肝要かと。どちらか一つでは、宮廷では、とても生き残れません」


レイの返事に、確かに、とフェリスも頷く。


人は、愚かさでも滅ぶけれど、賢さだけでも、簡単に足を掬われる。


何処であろうと、生き残るには、雑草のような強さが必要だ。


「フェリス様! お帰りなさいませ!」


愉快でもない思いに包まれかけていたら、庭から、ピンクの花びらを散らしながら、小さな弾丸が飛び込んできた。


「レ、レティシア?」


「すみません、薔薇を摘んでいいと言って頂いたので、どれにしようとたくさん悩んでたら、 戻るのが遅くなってしまって」


レティシアは、フェリス帰還と聞いて、急いで戻ってきたのか、頬とお鼻が赤くなっている。


りんごのほっぺをした少女が、摘みたての薔薇を両手に抱えて、弾丸のように、フェリスめがけて走ってくる。


なんと……平和なんだろ、我が家は。


「謝らなくていいよ、何も」


兄君や、話しかけてくる貴族たちに、ずっと気を張っていたのが、いっきに解けた気がして、思わず笑ってしまった。


「髪に花びらがついてるよ、レティシア」


フェリスは指を伸ばして、レティシアの髪から薔薇の花びらをとる。


「あ、ありがとう…ございます。……フェリス様? 何か楽しいことありました?」


「どうして?」


「とても楽しそうに見えます」


「そうかな。帰ってきて、ほっとしたからじゃないかな」


生まれた時から、この広い宮殿に住んでいるものの、自分には、帰る場所なんて何処にもない、と思っていたのだけれど。


なんでだろう?


昨日会ったばかりの、ちいさなレティシアの顔を見て、家に帰って来たような気持ちになるのは、どういう心の動きなんだろう?


不可解すぎて、おもしろい。

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