第45話 薔薇よりも、僕を驚かす君
「お勉強はどうだった、レティシア?」
「とても楽しかったです! ディアナの歴史や、現在のことなど、いろいろ教えて頂きました!」
白い頬に赤みがさしているレティシアを、少し安心して、フェリスは見下ろす。
よかった。レティシア、本当に楽しかったみたいだ。
「教師たちの講義は、退屈ではなかった?」
「少しも! 先生方、お話がお上手なので」
昨日初めて逢ったレティシアは、紙のように青ざめた顔色をしていた。
怯えた瞳でフェリスを見上げ、かすかに震える声で、
(王弟殿下におかれましては、ご機嫌うるわしゅう……)
と言ったのだ。
蒼白の少女の顔を見下ろしながら、フェリスは、哀れな姫君をさらう伝説の魔物とは、こんな気分だろうかと思っていた。
ずいぶんな役回りだ。十七歳の若さで、少女をさらう悪逆の魔物公爵役とは。
いったい僕が前世でどんな悪業を…と空を仰ぎたくなった。
ディアナの守護神レーヴェの生まれ変わりにしろ、悪逆の魔物にしろ、どちらにしても、フェリスでは力不足だと思うのだが。
もっとも、怯えていたのはレティシアだけでなく、フェリス身もだったから、お互い気持ちはよくわかった。
フェリスだとて、見知らぬ姫君を警戒していた。
兄君はまだしも、義母上に鬼のように憎まれている前科からいって、フェリスが花嫁にも鬼のように嫌われるという不幸な未来もないとは言えない。
それはできたら、避けたい。
政略結婚で出逢った姫と、逢った瞬間に恋に落ちるような奇跡は全く期待してなかったので(それこそ自分がレーヴェのような男なら、そんな奇跡もあるのかも知れないが、 顔はともかく、フェリスはあんな性格では全くない)、せめて平和的に、できれば友好的に、妃となる者とつきあいたい、と考えていた。
薔薇を抱えて、嬉しそうに、走ってフェリスを迎えに来てくれるなんて、そんな未来は予想してなかったので、現段階で、かなり、幸せな状況といっていい。
「ランスが来ていたのだって?」
「はい」
「僕も子供の頃、彼に教わっていたんだよ」
「はい。ランス先生に、伺いました。幼いころのフェリス様のお話を……」
「おやおや。僕の悪口言ってなかった?」
「フェリス様はとても賢い生徒だったと、ランス先生は褒めていらっしゃいました。フェリス様が聡明すぎて、先生たちが追いつけないほどだったと…」
「ただ、手のかかる子供だっただけだよ」
「いえ! そんなことはないです!」
ほろ苦い幼い思い出を誤魔化そうとしたら、何故か厳しく咎められた。
「私とランス先生は、フェリス様は他人の手を煩わせることを気にしすぎる、フェリス様はもっと我儘になられるべきだ!! という結論に達しました」
「………???」
何がどうなってそうなったんだ? とフェリスは首を傾げ、答が聞けるだろうかと控えるレイの顔を見てみたが、レイもただただ驚いている。
「フェリス様は竜王陛下の子孫でいらっしゃるのですから、竜王陛下のように、己の心に正直に、もっと我儘であられるべきです」
「いやそれは……どうだろう?」
ダメだ。おかしい。
レティシアがたぶん、心からフェリスを思って言ってくれてるのだろうなとは感じるのだが、何がどうなってその結論になったのかわからなすぎて、笑いが……。
「あ。フェリス様も笑ってる。ランス先生にも笑われました。どうして笑われるのでしょう? 真剣に申し上げてるのに」
「いや…レティシアの好意は…嬉しい…でも、何だか…、レティシアが…可愛すぎて…」
笑うとこではないんだろうとは思うのだが、可愛いくて、おかしい。レーヴェの気配が、いま周りにないが、たぶんこれを聞いてたら竜王陛下も大爆笑だ。
「そんなに泣くほど笑ってらして、可愛いと言われても、まったく信じられません」
ぷくっとレティシアは頬を膨らました。
「いや、ごめん。でも、ほんとに可愛いよ…、ね、レイ」
「はい。レティシア様の天性の純真さ、お可愛らしさ、天の御使いのごとしです」
「ちっとも信ぴょう性を感じません」
拗ねるレティシアがまた可愛いらしい。
「ありがとう、レティシア。努力してみるよ」
「本当ですか、フェリス様?」
「ああ。僕の花嫁の希望だし」
「可能な限り考慮してみてください」
我儘になれ、なんて、フェリスは生まれて初めて言われた。
我儘になりかたも皆目わからないが、何を聞いて、そんなことを考えたのだろう、このお姫様は。
朝起きたら、一晩でいつのまにか咲き誇っていた薔薇くらいには、不思議だなあ、女の子は。
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