妹の妊娠と未来への絆

アソビのココロ

第1話

『お淑やかで笑みを絶やすことがない』

『およそ物事に動じることがない』

『オードリー嬢は淑女の中の淑女だ』


 私のお姉様に対して、世の人は皆よくできた令嬢だと言う。

 何故お姉様が評価されるのかわからない。

 お姉様は薄ぼんやりしているだけなのに。


 確かにお姉様は慌てない。

 おでこにアマガエルが張り付いた時も、トンビの脚が髪の毛に絡まった時も。

 でも逆にそれってどうなの?

 引くわ。


 そしてお姉様は運もいい。

 ヴァンデグリフト侯爵家の次男フレディ様との縁談が持ち上がったのは、フレディ様とお姉様が互いに一〇歳の時。

 以降フレディ様は美しく成長されて、今では大変な貴公子になられた。


 王立学校では、その眼差しはどんな令嬢のハートをも射貫くと言われていたわ。

 もちろん私だって射貫かれてしまった。


 お姉様ったら、ずっとフレディ様が隣にいるからって安心して。

 我がグリーンスパン侯爵家と家格が合うと言っても、あのフレディ様なのよ?

 もっと喜べばいいのに、お決まりの笑顔を見せるだけで。

 それが淑女というものなのかもしれないけど、もっと感情を見せた方がフレディ様だって嬉しいはずだわ。

 だって私は知っているのだもの。


 今日はヴァンデグリフト侯爵御夫妻とフレディ様を我が家にお迎えする日。

 フレディ様もお姉様も一八歳になられた。

 多分正式に婚約するという話なのでしょう。

 今日こそ私ビヴァリーが姉オードリーに一矢報いる日なのだわ!


          ◇


「私のお腹の中にはフレディ様の赤ちゃんがいるんです!」


 言った、言ってやった。

 お父様お母様もヴァンデグリフト侯爵御夫妻もフレディ様も、一様に驚いた顔をしている。

 姉オードリーはこれでも驚いた様子を見せないが、その表情は固まっている。

 やった、初めてお姉様に勝った!


 お父様が私に言う。


「び、ビヴァリー。フレディ君の赤ちゃんというのは……」

「そうよ。フレディ様と愛し合ったの」


 これは事実だ。

 先々月の夜会の際、お姉様が席を外した隙に、お酒に酔ったふりをして介抱のために付き添ってくれたフレディ様に思いの丈を打ち明けて。

 後は簡単だったわ。

 私にはお姉様にない可愛らしさがあるもの。

 フレディ様だって、感情表現が豊かで魅力的だと褒めてくださったわ。

 

 私が妊娠しているのは事実だ。

 でも本当にフレディ様の子かはわからない。

 構いはしないわ。

 遊びの相手だって、フレディ様と同じ金髪碧眼の人を選んでるもの。

 フレディ様の子だと言い張ればバレはしない。


 ふふん、どう? お姉様。

 フレディ様を盗られた気分は。

 私に罵声を浴びせてみなさいよ。 

 

「まあ、素晴らしいこと! フレディ様、ビヴァリー、おめでとう!」

「い、いやしかし……」

「ありがとうございます、お姉様」


 そうね、淑女の仮面を後生大事にしているお姉様としては、祝福する以外にないでしょう。

 そしてフレディ様と私でグリーンスパン侯爵家を継ぐ。

 お姉様はどこか他家に嫁げばいいわ。

 私の勝ちだ!


 しかしお姉様が悠然と全員の顔を見渡す。


「わたくしの方からビヴァリーに説明しても?」


 お父様お母様、ヴァンデグリフト侯爵御夫妻もフレディ様もコクコク頷いています。

 説明? 何なの?

 お姉様ったら、この期に及んで場を仕切るような振る舞いはどういうこと?


「いいこと、ビヴァリー。今日ヴァンデグリフト侯爵御夫妻とフレディ様にわざわざ御足労いただいたのは、やはりフレディ様とわたくしの婚約は取りやめましょうということだったの」

「は?」


 正式な婚約の取り決めではなくて?

 どうして?

 グリーンスパン侯爵家の婿として、フレディ様以上に釣り合いの取れる方なんていらっしゃいませんわ。


 でも皆が沈痛な表情で頷いている。


「わたくしから言うのも憚られますけれども、フレディ様は御子をなせない身体なのです」

「え?」

「跡継ぎのことを考えるとどうしても、ね」


 頭が真っ白になる。

 じゃあ私のお腹の中の子は……。


「そ、そんなこと知らなかったわ!」

「ごめんなさいね。あなたには伝える必要のないことだと思っていましたから」

「な、何かの間違いではなくて?」

「複数の権威ある魔法医の診断ですわ。間違いありません」


 突き刺さる視線が痛い。


「ところが奇跡が起きましたの。ビヴァリーのお腹にフレディ様の御子が宿ったなんて! 何と素敵なことでしょう!」


 こんな毒を吐く人だったなんて!

 盛り上がっているのはお姉様だけだ。

 私の不貞が糾弾される直前かと思うといたたまれない。

 ああ、私はどうしたら……。


「フレディ様とビヴァリーには、グリーンスパン侯爵家を継いでいただきます」

「「「「「「えっ?」」」」」」


 反駁を許さない、お姉様の強い語調だ。

 まるでこの場の女王のような。

 薄ぼんやりしているだけの人じゃないと、初めて理解した。


 フレディ様を夫にしてグリーンスパン侯爵家を継ぐのは、私の夢だった。

 でもお姉様はどうしてこんなことを決め付けるように言ったのだろう?

 罠だろうか?

 狙いがわからないし、とても恐ろしい。

 面目と立場をなくした私には、もう流される以外にないから。 


 再びのんびりした口調に戻ってお姉様が言う。


「皆様、王太子殿下の婚約解消と合わせて、ゆっくり考えて御覧あそばせ。不都合は全て消えますわ」


 王太子殿下の婚約解消?

 王太子ニコラス殿下の婚約者は隣国の王女だ。

 慣れぬ風習からホームシックに罹っていると漏れ聞いていたが、婚約解消の運びになったのか。

 それが今の状況に関係ある?


 困惑気味のお父様がお姉様に言う。


「わからない。オードリーよ、説明してくれ」

「不都合は三つでございます。フレディ様のお身体のこと。ビヴァリーのお腹の中の子のこと。王太子殿下の婚約者の席に空きができたこと」


 その三つの不都合が全て解消される?

 わ、わからない。

 お姉様はずっと笑みを絶やさない。


「フレディ様がグリーンスパン侯爵家の入り婿になってくだされば大助かりですわ。フレディ様にとっても、それ以上の将来性ある未来はないと思いますが」


 フレディ様は大層おモテになるのよ?

 こんな不貞が明るみになった間抜けな私の配偶者なんて……。


 いや、待って。

 フレディ様が御子をなせないことは大きな瑕になる。

 今後縁談があるたびにそれを告げねばならないでしょうし、となるといい婿入り先があるはずもない。

 それならば私の婿としてグリーンスパン侯爵家を切り盛りした方がずっといい。

 御子をなせない不名誉を公表する必要もなくなる?


「子はかすがいと申しますからね」


 お姉様が緩やかに私の腹部に視線を移す。

 私のお腹の中の子は、たとえフレディ様の種でなくてもグリーンスパン侯爵家の血を引いている。

 爵位継承についても問題がない?

 お、お姉様は一瞬でそこまで考えて、フレディ様とともにグリーンスパン侯爵家を継げと?


「実は王家からも内々に話が来ているのです。王太子殿下のお相手にどうかと。婚約がまだ正式に成立していないわたくしとビヴァリーの双方にですけれどもね」


 聞いてない!

 いや、お父様とお母様は最初からお姉様を王家に送り込もうとしていたんだ。

 フレディ様とお姉様は婚約を結ばないつもりだったから。

 何だろう、私一人が空回りしてバカみたい。


「ということでいかがでしょうか?」


 私を含めて全員が頷く。

 とても逆らえない。

 だって本当に全てが丸く収まる上に、有無を言わせない迫力があるから。

 こんなお姉様知らない!

 いつもぼーっとしてるだけの人だと思っていたのに。


 お姉様はニコラス王太子殿下の婚約者となるのだろう。

 まだ打診の段階だというのに、それは既に決定事項のように思えるわ。


 そして同時に私の罪は許された。

 お腹の子がフレディ様の子として認められたことになるから。


「フレディ様、ビヴァリー」

「「は、はい」」


 安堵したところに強い声だ。

 冷や汗が出ますわ。


「せっかく授かった新しい命です。三人で仲良く、グリーンスパン家のために尽くしてくださいね」


 至極普通の文言だ。

 でも裏の声が聞こえるわ。

 『二度と裏切りは許さない。わたくしの足を引っ張るな』という。


「も、もちろんだ」

「お、お姉様は御心配なさらなくても」

「そう」


 お姉様は将来の王妃だ。

 ニコラス殿下は穏やかな方だから、おそらくお姉様は上手にその手綱を取って絶大な権力を握るわ。

 自分の実家であるグリーンスパン侯爵家がゴタゴタすることを望まないだろう。

 フレディ様と調子を合わせてうまくやっていかなければ。


 ……お姉様はひょっとすると、グリーンスパン侯爵家を消し去ることも視野に入れてるんじゃないかしら?

 実家を取り潰すことで厳しさを見せ付け、臣官の引き締めを図ることさえ厭わないだろう。

 怖い。


 フレディ様を婿にしてグリーンスパン侯爵家を継ぐことは、私の最初の目論見通りではないか。

 どうしてこんなに圧倒的な敗北感を覚えるの?

 おかしいおかしい!


「フレディ様とビヴァリーに一つ、お願いがあるのですが」

 

 唐突なお願いに戸惑う。

 どうせ断われないのですわ。


「何だろう?」

「ビヴァリーのお腹の御子に、名前を付けさせてもらってよろしいですか?」


 名前を?

 フレディ様と顔を見合わせる。

 もちろん構わないけれど、お姉様は何故こんなことを言い出したのだろう?


「今ですか?」

「ええ、今です」

「まだ男の子か女の子かもわからないのですけれども」

「男の子でも女の子でも構いませんわ。『キズナ』と」

「キズナ……」

「人と人との結びつき、という意味の古語ですわ。生まれてくる御子に罪はありませんから」


 人と人との結びつき、か。

 考えてみれば違和感がある。

 お姉様はやろうと思えば私を庶民に落とし、お腹の子もろとも放り出すこともできたのだ。

 ヴァンデグリフト侯爵家から多大な慰謝料を受け取ることも。

 でもそうしなかった。


「……お姉様は……」

「はい?」

「いえ、何でもないんです」


 今日、お姉様の怖い面ばかりを見せられた気がした。

 でも違う。

 お姉様は優しいのだわ。

 お姉様を評価している人達は、私よりも深くお姉様を理解していたんだ。

 でもその人達でさえ、お姉様の怖いところまで知っている人はごく少数なのだろう。


「変な子ねえ」


 相変わらず笑みを絶やさない。

 私は少し賢くなった。

 お姉様はすごい。

 優しいからといって甘え過ぎてはいけない。

 怖いところがあるから逆らっちゃいけない。


 お腹をさする。

 この子の名はキズナ。

 将来の王妃様が名付けてくださったとなれば、この子の将来も明るいだろう。

 本当の自分の子でなくても、フレディ様は可愛がってくださるだろう。

 お姉様はそこまで考えていたんだ。


 お姉様が努めて明るい声を出す。


「さあさあ、当初考えていたよりも素敵な未来になりましたわ。すぐに食事を用意させますからね」

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