第7話 バーのマスター


「いらっしゃいませ。お一人? 」


マスターらしき人が声をかけてくれた。


「はい。」


「カウンターへどうぞ。」


私はカウンター席に座った。時間が速いせいか他に客はいなかった。


「何になさいますか? 」


「えーっと、ピナコラーダをお願いします。」


「かしこまりました。」


私は普段お酒を飲まなかった。

バーで何のお酒を頼むことが出来るのかも知らなかったが、カクテルなら間違いないと思った。

カクテルについてもほとんど知らなかったが、これだけは聞いたばかりなので名前を覚えていた。


マスターは目の前でこのカクテルを作ってくれた。

カクテルシェーカーの音が心地よかった。


「ピナコラーダです。」


パイナップルが添えられたグラスをマスターはスッと私の前に置いた。


「どうも・・・」



マスターはずっとピナコラーダを見つめている私を見て、話しかけた。


「ピナコラーダのカクテル言葉ご存じで頼まれたの? 」


「えっ? カクテル言葉? 」


「そう。花言葉みたいに、カクテルにもそれぞれカクテル言葉というのがあるんですよ。ちなみにピナコラーダは『淡い思い出』です。」


「そうですか・・・知らなかったです。・・・淡くはないです。辛い思い出ですかね・・・。」


「よかったら話して。話すと楽になるかもよ。」


私は迷った。でもマスターとの話を切らしたくはなかった。


「そうですね・・・正直、まだ話したい気分ではありません。多分聞かれた方も辛いと思うし・・・」


「バーってね・・・吐き出すところでもあるの。仕事で辛いことがあったり、失恋したり。誰でも何かを抱えているでしょ。だから、僕らは聞くのも仕事。かまわないよ、なんでも話して。まぁ無理にとは言わないけど。」


マスターの顔は優しかった。


「そうですか・・・私も人に話すのは初めてです。・・・私・・・結婚が決まっていた彼を二週間前に亡くしました。一緒に歩いていて彼だけ交通事故にあいました。私は彼が突き飛ばしてくれたからすり傷だけで助かりましたけど、彼は殆ど即死でした・・・その為だかわかりませんが彼のお母様は私をご遺体に近づけてくれませんでした。お通夜でお焼香はかろうじて出来ましたが、顔も見ることも許されませんでした・・・告別式にも出させてもらえなかったのです・・・だから、最後のお別れはきちんとできませんでした。辛すぎますよね・・・悲しんで、傷ついているのは私も同じなのに・・・」


「こりゃまた・・・大変な目にあったね。ゴメンネ。無理に話させちゃって。」


「いいんです。『淡い想い出』にしていかないといけませんから・・・私たち新婚旅行にはハワイに行く予定だったのです。彼がくれたパンフレットに大きなパイナップルがあしらってあるピナコラーダの写真が載っていて、これを一緒に飲もうねって話していたんです。これは『淡い想い出』ですね・・・」


「そうか・・・早く『淡い想い出』になるといいね。いつでも話聞くよ。」


「ありがとうございます。でも、そんなに来られないかも・・・私と彼は同じ職場で、彼のいない職場に通うのが辛かったので後先考えずに仕事辞めてしまったから、急ぎ勤めを探さないといけないのです。お金無いんで・・・」


「そうか・・・あの、もしよかったら、仕事見つかるまでうちでアルバイトしない? お客さんの相手はさせないから、洗い物とか、つまみの盛り付けとか・・・バックステージの仕事。表にも募集の貼り紙をしているけど、なかなか見付からなくて。時間は少し遅いけど、17:30から22:30まで。夜だから他よりは時給高いし、毎日でなくても良いよ。どうかな? ちなみにお家は遠いの? 」


「家は近いです。夜のお仕事は考えたことは無かったのですが、正直助かります。やってみたいです。」


「あーよかった。助かるよ、よろしくね。ところで、お名前は? 」


「嶋村 朋美です。」


「朋美ちゃんね。僕は、富来(トミク)と言います。富が来るって書くんだけど、来やしないけどね。ハハハ」


「マスターとお話していると、楽しい・・・」


「いつから来てもらえる? 」


「明日からでも、なんなら今日からでも・・・」


「じゃ、今日はお店の雰囲気味わって。仕事は明日から。」


「はい。よろしくお願いします。」


昔の私ならバーには入らないし、こういうところで働くなんて絶対しなかった。それに初対面の人とこんなに話しをすることも出来なかった。



何かが変わっている気がする。私の中で何かが・・・

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