第12話 真実

 いつの間にかまた、眠っていた。


 そこにあったのは、幸せな夢だった。


 修斗と裏山の神社の頂上まで競争して、柿の木になった実を食べて怒られて、慌てて階段を駆け下りて滑って転んだ夢。


 それから、それから――


 いくつもの思い出が走馬灯のように浮かんできた。


 眠っているのに意識がクリアで、あたしはまるで昔に戻ったみたいだ、と思った。


 不思議な感覚だ。


 目の前に繰り広げられる光景が夢だということがしっかり認識できていて、かつ目は冴えているから、眠っているあたしを見下ろしているはずの静波くんのことが気になる。


 ずいぶん長い間あたしは横になっている。だから彼がどうしているのか、とても気がかりだった。


 目を開く。


 だが彼の姿はそこにはなかった。


 少し不安になった。でもすぐに、楽しい夢の世界をもう少しだけ味わいたくなった。


 きっとあたしに気を遣って、教室内の離れたところでさっきの勉強の続きをしているのだろう。


 そう考えて、もう一度思い出の続きを見るために、あたしは目を閉じた。


 まぶたの奥で修斗が段ボールで作ったおもちゃの剣を振り、押し入れに穴をあけ、彼のお母さんに叱られている。


 その次は、ふたりで夏休みのプールに行ったとき、あたしが排水溝のフタに水着を引っかけてしまったところを修斗が助けに来てくれたシーンだ。


 あのときはもう少しで危なかった。息ができなくてもがいているところに、どうやって気づいたのか修斗があっという間に助けに来てくれた。


 修斗が作ってくれたネックレスの、頼りないけど温かな質感を両手に感じながら、あたしは終わりが見えない夢の旅に出た。


 それは、まるでこのまま目覚めないのが一番幸せなんじゃないかと思えるくらいの経験だった。


 楽しかったことも、辛かったことも、修斗が一緒ならそのすべてが宝物だと感じるくらい、素敵な思い出として体験することができる。




 時間の感覚がよく分からなくなってきた。


 現実とのつながりがなくなってしまいそうな錯覚を覚える。


「……さん! ……斑鳩さん!」


 あれ……? 静波くん……?


 肩を揺らされている。でもさっきまでと違って、なかなか現実に戻ってくることができない。


 少し危うい感覚。


 修斗に言われた通り、あたしはあたしの人生を歩いて行かなきゃならないのに、目の前の綺麗な過去から目が離せない。


 浮かんでは消え、また浮かんでくる修斗がもう少し、もう少しだけ、と呼びかけているような気がする。


 元の世界に戻らなきゃいけないのに……。優しい思い出の中の居心地が良すぎて、あたしは再び目を開けることができなくなってしまった。


 ハロウィンの仮装をする修斗、クリスマスのトナカイになり切っている修斗、ホワイトデーのお返しを目を背けながら無理やり渡してくる修斗……。


 そうそう、そんなこともあったね。それから……それから?




 突然、頭の中のスクリーンが真っ暗になり、何も映し出されなくなった。


 どうして……!? もう少し……もう少しだけでいいから……!


 でも、そのおかげであたしはようやく目を開けることができた。


 苦しい、寂しい……。もっと、ずっと一緒にいたいよ……修斗。


 知らない間に力が入ってしまっていたのか、両手に持っていたネックレスがひしゃげているのが手触りでわかった。


 あたしは起き上がり、くちゃくちゃになったネックレスを見てますます悲しくなった。声を上げて泣いてしまう。


 静波くんが、そんなあたしの髪を優しくなでてくれた。


 指で梳くように、頭をしなやかにマッサージするように。


「そろそろ起きないとね」


 静かに、でもはっきりと言われた。


 あたしは立ち上がり、静波くんのほうを見る。


 彼の声は元通りに、彼本人のものに戻っている。


 これでいいんだ。全部元に戻って、あたしはあたしの人生を生きていく。


 大丈夫。修斗は修斗で『俺には今の生活がある』とか言っていたから、どこかの世界で元気に暮らしているはずだ。


 だから、あたしがやるべきことはたったひとつ。


 あたしらしく、目いっぱい人生を楽しむこと。これだと思う。


 それにしても、修学旅行に行けなかったことが心残りだなあ。


 そう思えるくらい、あたしは前向きな気分になることができた。


「もうクラスのみんなはとっくに目的地に着いちゃってるよね?」


 あたしは伸びをしながら思わず言った。


「そうだろうね……」


 静波くんも残念そうに返してくる。


「でも、僕の気持ちは満たされたよ。だからもうこれ以上ここに閉じ込められることもないと思う」


「どういうこと?」


 あたしが言い終わるよりも前に、外からの眩しい光が射しこんできた。窓からはもちろん、天井や床からも眩い光線が包み込んでくる。


 目を開けていられない。




 ようやくまぶたを開くことができた。


 いつもの教室。窓は少し開けられていて、五月のさわやかな風が吹き込んでいる。


 静波くんと二人きりだったはずなのに、あたしのまわりには旅行カバンの中身を確認しながら、にぎやかにおしゃべりするクラスメイトたちがいた。そんな中、あたしはいつもの席に座って黒板の方を眺めていた。


 どうしたのだろう? 修学旅行に出発する前のホームルーム中に戻っている。


 窓ガラスは元通りに透明に戻り、教室前後の扉もしっかり開いたままになっている。


「……静波くん!?」


 目の前の光景が信じられなくて、なんだかすごく不安になった。思わず、さっきまでずっとそばにいてくれた彼の名を呼ぶ。


「どこ……? ねえ、静波くん、知らない?」


 あたしはそばにいた女子にたずねた。


「静波くん? 誰、それ? うちのクラスにそんな男の子いたっけ?」


 きょとんとした表情の彼女。


 ホームルーム中とはいっても先生は教壇に立っているだけで、生徒はみんな雑談しているだけだ。あたしは素早く立ち上がり、黒板横の席順表を確認しに行った。


 ない。『静波』という苗字はどこにもなかった。下の名前だったのかも、と思い確認したが、そんな名前の男子はいなかった。


 さっきまでの不思議な体験はなんだったんだろう……。


 頭がこんがらがってよく分からない。


 ふと、右手に違和感を感じた。


 何かを握っているようだ。


 【ひたちへ 2015・5・15 桜ざわ しゅうと】


 見下ろしたあたしの目に、くしゃくしゃになった折り紙から不器用だけどまっすぐな文字が飛び込んできた。


 修斗……!!


 ほんとうにさっき会えたんだ……! 会話できたんだ……!


 夢でも幻でもない。このちょっと下手っぴな字は、間違いなく修斗のものだ。


 そして今、このネックレスのことも思い出した。


 5月15日。それはあたしの誕生日だ。


 学校から帰ったら、いつもなら真っ先にあたしと外を駆け回って遊ぶ修斗。だけどその日はなんだか様子がおかしかった。


 あたしが家に呼びに行ったら『ちょっと待って』って何回も言った。顔を真っ赤にして後ろ手に何かを持って、それをあたしに渡そうとして、結局渡してくれなかった。


 その日はそのまま玄関の扉を閉められて、あたしは仕方なく帰ったっけ。

 修斗が渡したかったのはこれだったんだね……。


 折り紙ネックレスのしわを直し、両手で優しく包むように持つ。そこへ、うつむいたあたしの涙がとめどなく落ちては吸い込まれていった。














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永遠をつなぐ教室 夕奈木 静月 @s-yu-nagi

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