第5話 ちょっとだけ……怖くなってきちゃった

「科学的に考えてみるんだ……」


 静波くんはバッグからノートを取り出し、あたしにはよくわからない数式を書き始めた。


 修学旅行でも勉強しようと、勉強道具持ってたんだね。すごいな。絶対まねできないや。


 将来、やりたい仕事がちゃんと決まってるんだろうな。あたしは……何も考えてないなあ……。


 よくないね。ちゃんと人の役に立ってさ、それでお金もらって生きていかなきゃならないんだもんね。ホント、大人って大変そう。


「うーん……分からない」


 頭を抱える静波くん。


「そりゃそうだよ……。窓ガラスが急に真っ白になって何も見えなくなるんだよ? 普通じゃないって。もう考えるのもやめてさ、休んだら?」


 わざと明るい口調で彼を気遣うふりをしてみたが、あたしは今の状況が怖くて仕方なかった。


「考えてダメなら……。力で何とかする……!」


「ちょ、ちょっと……!危ないし!」


 静波くんが椅子を頭の上に振りかぶり、廊下側の窓ガラスに走っていく。


 あたしはあわてて彼の腕にしがみついて止めた。


「あっ……」


「へっ……!?」


 ゆでだこみたいになった静波くんの顔を見て、あたしは自分のしたことに気づいた。


 きゃあっ……! あたしの、む……胸が思い切り彼の二の腕に当たっちゃってたみたい……。


 今度は静波くんのほうから椅子を離して、あたしたちは無言で微妙に距離の空いたお互いの椅子に座りこんでしまう。


「ぶつけるなら……離れたところから、椅子だけを投げた方がいいよ。破片が危ないし」


 伝えると、あたしの方を見ずに静波くんは立ち上がり、椅子を抱えた。


「行くよ……。離れててね」


 言われたとおり、あたしは反対側の窓の方に向かった。


 すごい音がした。


 でもガラスはびくともしなかった。


「なにこれー? 強すぎ―」


 わざと明るい声を出してみたが、あたしの心臓はとても速くドクンドクンしていて、顔も熱いんだか冷たいんだかよく分からなくなってしまった。


 これだけのことをしても壊せない現実を、頭が、心が受け入れられない……。


 元の世界にもう戻れないんじゃないかと思うと、すごく息苦しくて仕方なくなった。


 めまい……がする……。


 と思ったときにはもう、目の前が真っ暗になっていた。




 しばらくして、目を開くことができた。


「大丈夫……? 急に斑鳩さんが床に座りこんじゃって……、僕、どうしたらいいのか分からなくなって……」


 静波くんが心配そうにあたしのことを見下ろしている。


 どうやら床に寝かせてくれたらしい。


 あたしと床のあいだにはバスタオルが敷かれていた。


 まっ……まさかとは思うけど……、あたし……何かされた!?


 自分の今の状態を確認する。


 制服は……特に乱れていない。


 あたしはもう一度静波くんを見た。


 ……涙目、というか……彼はあたしのことが心配になったのか泣いていた。


 疑った自分のことが大嫌いになりそうだ。


 こんなに素直に感情を出せる人が嘘をつけるはずがない……。つまり、あたしが眠ってしまっている間にヘンなことをするはずがないんだ。


「うん……、大丈夫。ごめん……」


 彼を疑ったことに落ちこむ。


 元気のいいフリをしたいが、そんな余裕もあたしにはなくなってるみたいだ。


 それより、どうしてだろう……。倒れる前は、あんなに不安で……恐怖に押しつぶされそうだったのに、今、目の前の静波くんを見ていると、不思議と安心できるよ。


 どうしちゃったんだろう、あたし? まさかちょっと彼のことを好きになっちゃってる?


「スポーツドリンク……飲んでみる?」


 差し出されるままにペットボトルを手に取る。


「今朝……僕がひとくち飲んだあとだから……、申し訳ないけど」


 2リットルの巨大なペットボトルをそのまま差し出される。


 おっとっと……、ちょっとぉ! もう少しどうにかできないかなあ!? あたし……、一応女の子なんですけどぉ~。それに、さっきまで倒れてたんですけど~? 満タンの2リットルペットボトルをそのまま渡すって……どうよ?


 なんて思ったけど、それはあたしの盛大な勘違いだった。


 静波くんはペットボトルから手を放さずに、あたしに飲ませてくれようとしていたのだ。














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