41
病院。動かない茜のそばに、みんながいた。
もう限界だと、医者が言っていた。だからせめて、その最後を看取れるように、と。
そうして集められた姉妹と、祖父と、仁。誰もが口を開くこともできなかった。重苦しい沈黙のなかで――
「――う、あ……」
茜が、目を覚ました。
「……おかあ、さん?」
「……みんな……」
ボロボロの身体で、茜はみんなの顔を見渡して――泣いた。自分に訪れる未来がわかったからだ。
自分はこれから死ぬ。愛する子どもたちを残して。幸せにするという誓いを果たすこともできず。道半ばで尽き果てる。
無念だった。自分を殺したくなるほどに、悔しくて悔しくてしょうがなかった。
そんな茜の前に、彼はいた。
「先生……」
仁。茜が出会ってきた人たちのなかで、特別に優しい男の子。繊細で寂しがりやで、頑張り屋な――誰より愛しい人。
自分を嫌って泣く彼を、抱きしめてあげたかった。
夫に捨てられ、娘たちに我慢を強いる。そんな情けない自分のことを、彼は尊敬していると言ってくれた。こんな自分でも、誰かの役に立てたんだと。誰かを幸せにできたんだと思うと、少しだけ自分のことを好きになれた。
真っすぐに自分を慕う彼の視線が心地よくて、いつしか甘えてしまっていた。良くないとは思ったけど、甘えれば甘えるほどに、どんどん優しく受け入れてくれる彼の存在が嬉しくて。傍にいるだけで楽しいなんて、恋を知ったばかりの女の子みたいな気持ちを教えてくれて。
言葉にしなくても、その瞳で、その笑顔で。好きだって気持ちを真っすぐにぶつけてくれる彼に、いつしか惹かれていた。
娘たちと同じくらい、彼にも幸せになってほしかった。
彼も、自分が死んだら泣くだろうか。そうだったら、嬉しいけれど。やっぱり、それは嫌だ。
だから、茜は限界の身体を動かして、彼に言葉を遺す。
「……じん、くん……」
「――はいっ。はいっ、先生っ!」
茜の手を握り、仁は悲痛に表情を歪めながらその話を聞いてくれた。
まるで、あの補習の時間みたいに。懐かしくて、悲しくて。流れる涙は止まらずに、そのまま仁の手を握りしめる。
「あのとき、わたしに言ってくれようとした言葉が、もしも私の想像どおりなら――」
ああ、なんてひどい女だろう。
自分を慕う少年の心を利用して、自分の未練を遂げようとしている。これは、きっと呪いだ。
「お願い――この子たちを、守って」
仁にとっても、子どもたちにとっても。これは一生消えない傷になる。けど、それは同時に、彼らが生きるための希望になるだろう。
「――はい。俺は、絶対にこいつらを守ります」
そう誓う仁の目を見た瞬間、茜は安心した。
ああ、彼は必ずこの約束を守ってくれる。きっと、自分の未来も何もかも投げ捨てて、文字通り、約束のためにすべてを費やすだろう。
それが嬉しくて……申し訳ない。
彼と出会って一年半。その間に仁が頑張ってきた軌跡を、茜はよく知っている。不慣れな勉強も、学校に馴染もうとしたのも。すべて、彼が目指す「真っ当な人生」のための努力だった。
それを、自分は台無しにしようとしている。なんて、なんてひどい女。
「ごめんね、仁君。ごめんね、ごめんね。ごめんねぇ……っ!」
「だから、だから……先生も、安心して……どうか――っ!」
けれど、それでも。彼が目指した「幸せ」は、もう手に入らなくなってしまうのだとしても。 彼と、娘たちが行く先には、きっと別の「幸せ」が待っているはずなのだ。
彼はきっと、持ち得る全てを使って娘たちを「幸せ」にしてくれる。そして、娘たちはいつかそんな彼を愛するだろう。
だって、私の娘なんだから。惹かれる人も、きっと似ている。そうしていつか恋を知った娘たちが、彼が捨てたものを埋め合わせてくれる。私が彼にあげられなかった「幸せ」を、今度こそ、彼に――
……ああ、だから。
「――仁君」
「先生――」
だから今だけは。先生でも。お母さんでもなくて。最後に、ただの茜として死ぬことを、許してほしい。
「――大好きだよ」
「あなたが好きです――」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます