35
その後、仁は警官に取り押さえらえた。
あの後も散々暴れた仁は、結局三名の警官に骨折等の重傷、六名の警官に擦り傷等の軽傷を負わせた。
その高い暴力性から、施設内処遇の必要があるとの判断が家庭裁判所によって下され。仁は、少年院に収容されることとなった。
退屈だ。
与えられたベッドから天井を睨みながら、仁はそう考える。
かれこれもう一週間、ずっとこうしてる。少年院内の教育プログラムをこなす時間以外、仁はずっとこうしてぼーっと日々を過ごしていた。
「なあ。あんただろ、サツ相手に大暴れして捕まった新入りって」
ふと、耳慣れない声がした。気付けば、相室の男がニヤニヤしながらこっちを見ていた。
「……だったら?」
「すげえじゃねえか。俺、あんたの話聞いてワクワクしたぜ。いけ好かない野郎どもにカマしてやったんだろ? 最高じゃねえか」
こちらを持ち上げるようなセリフを吐くその男。
だが、仁はなぜか嫌悪感が先に立った。その男の目が、どうにも気に入らない。
「でもさ。たぶんあんたこの後大変だぜ? 行く場所はあんのか? 働き口は? どうやって食ってく気だよ?」
「さあな。何とかなるんじゃねえの?」
「おいおいダメだぜ。あんたみたいな度胸のあるのが、そんな投げやりじゃ。実はさ、俺の仲間がいるんだ。あんたみたいなやりすぎちまって行き場のないやつを助けてくれるんだよ」
胡散臭い。とっさにそう思う。
行き場のないやつが行きつく先なんて、この国ではあらかた決まってる。ヤクザの下っ端で犯罪行為の実行を担当しながら、いつかトカゲのしっぽみたいに切り捨てられるのを待つか。出所する度に適当な犯罪を起こして、シャバとムショを往復するか。
外で食いぶちの斡旋なんて言うからには、おそらく前者。それも、『先輩』とは全く別のタイプ。仁義もクソもなく、際限なく暴力で私腹を肥やすことだけを至上とする、悪質な連中だ。
ヤクザの関係者と思しき男は、不快なニヤニヤ笑いを浮かべながら、何かの切れ端を仁の手に押し付けた。
「これ、連絡先だ。こっから出た後、困ったことがあったら電話しな」
そこには電話番号が記されていた。少年院では、ノートとペンくらいは支給される。あくまで「少年の改善教育」のための施設だからだ。その教育とやらに、どれほどの意味があるのかは、知らないけれど。
そのとき、職員の男があらわれた。
「一之瀬君、面会の方がいらっしゃいました」
「……は?」
今度こそ、仁は呆ける。男に急に話しかけられたときでも、ここまで驚かなかった。
面会? 自分に? まるで心当たりがない。
だからといって職員に逆らうと無駄に収容期間が長引くだけなので、大人しくついていくことにした。
(親父か? いやないだろ、拘置所で一度でもあいつが面会に来たことあったかよ。じゃあチームのうちの誰かか? それとも「彼女」? いや、さすがにもう愛想尽かしてるだろ)
まったく面会相手の予想もつかないままに、仁はめんどくさいなあと思いながら、面会室のドアを開けて入室し――固まった。
「あっ、仁君……」
「せん……せい…………」
そこには茜が待っていた。殺風景な一室で、パイプ椅子に座って心細げに手を握りしめていた茜は、仁の顔を見るなりほっと顔を綻ばせた。
一方の仁はといえば、予期せぬ面会者に驚愕を隠せていなかった。
「なんで、ここに……」
口が、勝手に疑問を吐き出す。
本当は、わかっていた。このお人よしが、わざわざこんな薄暗い施設に来る理由なんて一つしかない。あるいは本心では、面会者が誰なのかも、わかっていたのかもしれない。
わかっていて、目を逸らしていた。だって、それを認めてしまえば。まるで、先生が、俺を――
「なんでって……心配だったからに決まってるでしょう?」
「――っ」
当たり前のように、茜はそう答えた。心の底から心配そうに、仁の身をただ案じて。
「帰れ」
耐え切れなかった。その優しい目が自分に向けられるだけで、心がバラバラに千切れそうだった。なんでだ? なんで。ソレはいらないって、棄てたはずなのに。どうしてこのお人よしはそれを押し付けようとするんだ。
「まっ、待って! お願い、仁君っ!」
一刻も早く面会室から出ようと踵を返した仁の手を、茜が掴んで引き留める。その小さな手が、温かくて。絆されそうになる気持ちを、必死にかみ殺す。
(俺は、あんたに優しくしてもらうような人間じゃない……)
だから、頼むから。
「お願いだから、仁君。私の話を聞いて、ねっ?」
頼むから、もう。そんな優しい目で、俺を見ないでくれ。
結局、茜の手を振り払うことができなかった仁は、大人しく茜の向かいの椅子に座った。
茜は茜で、何かを言いあぐねているようで。面会室には、気まずい沈黙が流れていた。
ややあって、覚悟を決めたらしい茜が口を開いた。
「……あの、ごめんね。仁君。あの日……私、すごく無神経なこと言った」
「……別に、あんたは何も間違ったこと言ってないだろ。馬鹿が正論言われて勝手にキレて馬鹿やっただけだ」
「――お父さんから、仁君のお母さんのこと聞いたの」
予期せぬ答えに、仁は目を見開く。
茜が言うには、仁が少年院に収容されることが決まってから、父は学校に呼び出されたらしい。そして、仁と一番縁が深い茜が応対し、その会話のなかで、父は仁の生い立ちについて茜に話したそうだ。
『私の言葉は、息子に届かない……だからどうか、お願いします』
そう言って、父は茜に頭を下げた。
「――っ! あの……クソ親父っ!」
事の経緯を聞いた仁は憤懣やるかたない様子だった。
(あの時と、何も変わってねえよあんたは。向き合うことから、逃げてるだけだ)
そうして、意気地の無い父から無事貧乏くじを押し付けられた犠牲者は、救いようがない馬鹿の面倒を見るために、馬鹿正直にこんなところまでやってきた。
「ごめんなさい。仁君のこと、何も知らずに。私……あんな、ひどいことを……っ」
泣きそうな顔で、茜は謝る。いや、現に半分泣いていた。目に涙を浮かべて、ただ生徒の前で泣く姿を見せないために堪えているだけだ。
そんな茜の顔を直視できず、仁は視線をそらす。
「だから。あんたは何も悪くねえよ。正しいのはあんただ。間違ってるのは俺だ」
「違うよ、仁君。どうしてそうなっちゃうの? あなたは、そんな人じゃ……」
「俺が殴り倒した警官、全治六か月だそうだ。注意されて、逆切れして、それで必要以上に痛めつけた。なあ、ひでえ奴だろ? どうしようもない。いっそ死んだほうが世間のためだ。あんたもさ、いつまでもそんなやつに構ってないで、もっと有意義に時間を使ったらどうだ」
そう言って、仁は初めて、素直に笑ってみせた。
「ひよりや遥たちがいるだろ? 俺なんかに構ってい暇があったら、あいつらといっしょにいてやれよ。なっ?」
それは、仁なりの気遣いだった。茜は優しい人だ。笑っていてほしい。家族のためにも、なおさら。
茜の子どもたちは、彼女に似て優しい。父親がいないという境遇のわりには、明るく健気だ。 そういう子には、幸せになってほしい。不幸なんて知らずに、自分の幸せを呪うこともなく。健やかに。
何より、茜自身が幸せになるために。そのために、仁という存在は、明らかに邪魔だった。
「補習の件とか、いろいろ。気にかけてくれてありがとうな。でも、さすがにもういいだろ? 一介の教師の仕事としちゃ、あんたは頑張り過ぎだ。だからもう――」
「――仁君はなんにもわかってない」
別れの口上を並べていた仁が、絶句する。
この面会で初めて茜が誤記を荒げたから。というか、茜が声を荒げるところなんて初めてだった。
呆然とする仁を余所に、茜は袖でグシグシと涙を拭うと、そのままキッと仁を睨みつける。
仁が、怯む。
茜は明らかに怒っていた。
「もちろん、警察の皆さんにひどいことしたのは悪いこと。その件に関しては、私からもいっぱいお説教がある。他の色々な悪いことにも、ものすごく怒る。でも、それとこれとは別問題」
「な、にを……」
「悪いことをした人が、幸せになっちゃいけないなんてことは絶対にない」
今度こそ、完全に仁は言葉を失った。
「誰でもそうだよ。間違えるよ。子どもだったら、なおさら。でも、だからこそ大人がいるの。親がいるの。先生がいるの。子どもが悪いことをしたら叱って、間違った方向に行こうとしたら引っ張り戻して、立ち止まっちゃったら背中を押して。そうやって、いつかその子がもう一度、今度はちゃんと笑って――幸せになれるように」
ぎゅっと、茜は仁の手を握る。その力強い掌が、揺れることのない真っすぐな瞳が、何より雄弁に語っていた。茜の、覚悟を。
「私は、あなたの幸せを諦めない」
辛いことがあって、何も見えなくなってしまった迷子に、明るい未来へ続く道を教えてあげたい。必要なら、手を引いて、引き摺ってでも連れていこう。
目の前の寂しがりやな少年が、もう一度笑えるように。
「お母さんであると同時に、私は先生だから。絶対に仁君も幸せにしてみせる。約束する」
そうして、一方的な約束は結ばれた。
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