31

 何の意図があって、あの教師が自分を連れてきたのか、仁はずっと疑問に思っていた。けれど、さすがにもう理解できた。あれは本気で、仁に元気になってほしい一心で行動している。

「おーい、待ってよーひよりー」

「あはははっ、おにごっこー」

 スーツ姿のまま公園で子どもと鬼ごっこに興じる母親を見ていると、疑うのもアホらしくなってくる。

「ひっ、ふう、ひい~~~。疲れたよお……」

 疲れ切った様子で、ベンチに腰掛けた仁の隣に座りこんだ茜は、汗びっしょりの有様だった。

「馬鹿正直に子どもに付き合うからだ。適当にあしらっとけばいいのに」

「いいのいいの。私がひよりと遊びたいんだから……普段、あんまり相手してあげられないぶんも」

 一瞬、わずかに顔を曇らせた茜。横目でわずかな陰をとらえた仁だったが、何も言わない。

 語ることもなく、元気に駆け回るひよりを眺めていた二人だったが、

「あっ、ちょっと、ひより⁉ それはダメだよ!」

 公園の、ひと際大きな植木の前で、なぜかずっと立ち止まっていたひよりだったが、急に木に登ろうとし始めた。

 さすがに危険だと止めに行こうとした茜だったが、

「――いっ、つ⁉」

 立ち上がろうとした瞬間に、苦痛に顔を歪めて立ち止まる。蹲り、足首の辺りを抑えながら、痛みをこらえるように唇を噛みしめていた。

「……無理に走るな。靴ずれだろ。ヒールで走るからだ」

「いっつぅ……そう、かも……でも、いかなきゃ、危な」

「いいから――あんたはそこでじっとしてろ」

 えっ? と。一瞬怪訝な顔をした茜が次に口を開くまえに、仁は立ち上がっていた。

 軽やかに駆け出した仁は、一息にひよりの下まで辿り着くと、自然な動作で抱き止める。

「こーら、悪ガキが。危ねえことすんな」

「あうっ」

 どうにかして木に登ろうとしていたひよりの脇を抱き上げ、木から引っぺがす。

「ったく、なんでいきなり野生に目覚めて――」

 呆れ半分に注意しようとして、気付く。ひよりが片手に乗せていた、小さな毛玉のような物体。よくよく見れば、それは何かしらの鳥の雛だった。頭上の木の枝を見上げてみれば、そこには鳥の巣が。

「おちちゃったみたい、かえしてあげなきゃ」

「あ~~~、そういうことね……」

 頭をガシガシと掻きむしり、仁は独り言ちる。雛を大事そうに抱えた幼児の目は、年に似合わない強い意志を感じさせた。言っても聞かないだろう。それこそ、どこぞの教師のように。

「そんなとこも似るのかね、親子って」

「? どうしたの? こまったこと?」

「いいや……いいもんだなと思っただけだ」

 茜のほうを振り向いた仁は、軽く手を振って大丈夫だと伝える。遠目ではあるが、茜は安心したように肩を下すのが見えた。

 そして次に、これからすることに対して、前もって謝罪のジェスチャーを入れておく。遠くの茜が不思議そうに首を傾げたのを無視して、仁はひよりの前でしゃがみ込む。

「なあ、ガキ。そいつをお家に帰してやりたいのか?」

「うん。でも、とどかない……」

「ああ、大丈夫だよ。兄ちゃんが手伝ってやる」

 今度はひよりが首を傾げる番だった。そんな仕草まで母親そっくりで、仁の口から苦笑が漏れる。

 くるりとひよりに背を向けた仁は、目の前にしゃがみ込む。

「ほら、俺の肩に乗れよ」

「えっ?」

「肩車だ。見たことくらい、あるだろ?」

 どうすればいいのか、ふらふらと迷っていた様子のひよりだったが、仁が「ほら早く」と軽く促すと、おそるおそる仁の肩口に跨った。

「ちゃんと掴まったか?」

「うん」

「小鳥は、しっかり持っとけよ」

「うん!」

「よし、じゃあ、上げるぞ」

 言って、ゆっくりと仁は立ち上がる。肩の上でひよりがびっくりして身体を跳ねさせ、仁の髪の毛が思いっきり引っ張られるが、決して落としたりしないよう、最新の注意を払って、足腰に力を籠める。

 そして、遂に立ち上がった仁の肩の上では、急に高くなった視界に、ひよりが目を真ん丸に見開いていた。

「ほら、ぼーっとすんな。鳥さんを帰してやるんだろ?」

「あっ、うん!」

 仁に促され、ひよりが我に返る。下では仁が、一歩二歩と鳥の巣まで距離を調節しながら、肩上のひよりが必死に腕を伸ばして。

「あっ、届いたよ!」

「おう、よかったな」

 遂に雛は巣に帰ることができたらしい。親鳥たちに囲まれて、チュンチュンと姦しい鳴き声が響き渡る。

「よかったあ。とりさん、お母さんもお父さんも、元気でね」

 頭上のひよりの表情は仁からはうかがえないが、それでも少女が嬉しそうなのは伝わってきた。

「よし。じゃあ、今度はおまえが帰る番だな」

「えっ?」

「お母さん心配してるぞ」

 あらためて仁が肩上のひよりごと母親のほうに身体を向ければ、ベンチの上の茜は、今にも飛び出さんばかりに慌てた様子だった。

 心配性だと思う一方で、いつも振り回されてばかりのあの教師に、ようやく仕返しができたと、少しだけ面白くも思っていた。

 仁がひよりを肩に乗せたままベンチまで戻ると、茜が泡を食ったように縋りついてくる。

「ひよりっ⁉ 大丈夫、怪我とかしてない⁉」

「大丈夫っすよ。あんたの娘は迷子の小鳥さんに救いの手を差し伸べてやっただけ、怪我一つねえって。なあ、悪ガキ?」

「うん!」

「……ああ、よかったあ~~」

 脱力し、胸を撫でおろす茜。心なしか目じりに涙も浮いている。よほど心配したのだろう。

 初めて見る、茜の母親としての顔。教師としてのそれとはずいぶん違うそれに、仁も新鮮な気持ちだった。

「うし。じゃあ悪ガキ、そろそろ降りるか。心配性の母さんに、おとなしく抱っこされとけ」

「やだっ!」

「――はっ?」

「…………えっ?」

 仁と茜の声が重なる。仁の肩の上で、ひよりは最高の笑顔を浮かべて、ご満悦だった。

「おにいちゃん、すごいよ! すっごくたかいの!」

「ひっ、ひより? だめだよ、仁君に迷惑かけたら。ほら、はやく降りて。ねっ?」

「やだっ! もっとあそぶの! もっとかたぐるま!」

「だっ、だめだよ! わがまま言わないで、はやく降りて――」

「あ~~~、いやいいっすよ、しばらくこのままで」

 慌てふためく茜の横で、仁は諦め半分にそう言った。

「でっ、でも……」

「いいから、そこで座っとけよ。靴ずれ痛えんだろ?」

「うっ」

 痛いところを突かれた茜が押し黙り、仁は視線を上に向けて、肩の上の少女と視線を合わせる。

「ひより、だったか? しばらくそのまま座ってていいから、いっしょに散歩行くか?」

「おさんぽ⁉ うん、いこういこう!」

「ちょっ、仁君⁉ どこに行くって――」

「ちょっとそこのコンビニまで。絆創膏か何か買ってくるから、おとなしく座っとけ」

「えっ、あっ……うん……」

「よし。じゃあいくか、ひより? 落ちんなよ」

「うん!」

 やれやれ、と。苦笑を漏らして――それでもどこか嬉しそうに。肩の上に乗る小さな重みを感じながら、仁は歩きだした。

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