27
札付きのワル。なんて言葉はとうに廃れて久しいが。高校一年当時の仁を言い表す言葉としては、やはりこの言葉が適切だった。
入学式には出席したものの、翌日からさっそく全授業をブッチぎり、そのままずっと登校することすらなかった。窃盗容疑と暴行事件で留置所にぶち込まれていたからだ。どこからか漏れたその情報は瞬く間に学校中を駆け回り、「一年にやべー不良がいる」というのは全校生徒が知る事実となった。
そして、実際に強盗で警察のご厄介になっていた仁は、とくにその噂をどうこうしようとはせず。入学から二か月も立つころには、すでに仁に近づく者は誰もいなかった。
いや、訂正しよう。一人だけ、いたのだ。
「こーら、仁君っ! まーた授業サボったの?」
「あ?」
五限をぶっちぎって校舎裏でタバコをふかしていた仁に、声をかける人がいた。
その声が誰のものか分かった瞬間、仁の顔が露骨に歪む。
「あとタバコっ! 身体に悪いからやめなさいって言ってるでしょ!」
「いや、それ以前に法律的にダメだろ。そっちに突っ込めよ」
「だって仁君、法律なんて守らないじゃん」
教師としてそこで割り切るのは何かが違うというか、何かがズレている気がした。
露骨にめんどくさい顔しながら、仁はポケットから携帯灰皿を取り出し、タバコの火を消した。その光景を見て、茜は満足そうに笑みを浮かべる。
「うん。ちゃんと灰皿持ち歩くようになったんだね。えらいえらい」
「以前、地面に捨てたらどこぞのお節介な先生が吸い殻手に持ったまま一時間も追いかけまわしてきたもんで」
「ポイ捨てはダメ。掃除する人に迷惑がかかっちゃう」
「汚ねえからやめろっつってんの」
やっぱズレてる。こいつと話してると疲れるんだよな、と思いながら、仁はめんどくさそうに傍らの女教師を睨んだ。
高崎茜。少し前からやたら絡んでくるようになった、この学校の教員だ。
「仁君、今日こそちゃんと補習に――」
「行かねえ」
「即答っ⁉」
用はないとばかりに歩き去ろうとする仁を追って、茜も小走りに駆け出す。
「でも仁君。このままだと出席日数足りなくて、進級できないよ」
「別にいい」
「この間の中間試験も、ちゃんと受けないと……」
「元々親父への義理立てで入っただけの高校だ。退学にしてくれたほうが俺も助かる」
去年のことだ。数年ぶりに顔を合わせた父親は、出会い頭に頭を下げて「学費は俺が持つから、頼むから高校には行ってくれ」と頼んできた。余計なお世話だと断ろうしたが、あまりにしつこく頼まれるものだから、根負けして了承してしまったのだ。
(なんの意味があるんだよ、これに……)
高校に行って、得るものなんて何も無かった。募っていくのは苛立ちばかり。
何も考えず、日々馬鹿面を晒して楽しそうに生きている奴らを見ると、吐き気がした。きっと、やつらには夢なんてものがあるのだろう。自分の行く先に待っているのが明るい未来だと根拠もなく信じ、今の自分の幸せを当然だと思って疑いもしていない。その幸せの影で、不幸に泣く人がいるとは考えもせずに。
単純な話だ。日本の高校生がファミレスで友達と楽しく駄弁っているその瞬間にも、地球のどこかでは誰かが飢えに苦しみ、誰にも看取られずに死んでいく。
誰かの幸せは、誰かの不幸の上に成り立っている。
そんなことを考えたことすらなく、ただ漫然と幸福を貪り、さらなる幸せなんてものを追い求めて無意識に他人を蹴落とす連中が、いっちょまえに「正義」なんてものを語り、仁のようなはみ出し者を奇異の目で見つめるのだ。嫌悪感に、反吐が出そうだった。
「でもでも、私はやっぱり仁君にはちゃんと学校に出てほしいな」
中でもひと際「頭がおかしい」と思うのは、さっきから周りをちょろちょろしているこの教師だった。
なんでも、仁に補習を受けさせたいらしい。このままでは単位も出席日数も足りなくて、退学一直線の仁を何とかしたいと、馬鹿みたいに目をキラキラさせながら語っていた。
「今はまだ、つまらないかもしれないけどさ。でもいつか、仁君が大人になったときに、楽しかったなって思えるような思い出が、きっと見つかるはずだから。ねっ?」
ああ、まただ。一生懸命仁の後をついて回りながら、ニコニコと笑みを浮かべる茜から、仁はすっと目を逸らす。
茜は、仁の前で一度も正しさを振りかざそうとはしなかった。他の教師や、警察官のように。ルールだから、法律だから、おまえは従え、従わないおまえは異常なんだと頭ごなしに押し付けることはなかった。
たばこは身体に悪いからやめたほうがいい。高校は通ったほうが役に立つから、補習で単位を補ったほうがいい。いつだって、茜の言葉は仁のことを慮ってのものだった。
それは、たぶん優しさとかいわれる類のもので。だからこそ、仁はそれを無下にすることもできなかった。どれほど茜に付き纏われても、仁が手酷く拒絶しない理由は、平たく言ったらそんなところだった。
「だから、ねっ? ねっ? 今日こそ補習にでてくれないかなーって……」
ただ、この事あるごとに補習に誘ってくるごり押しはやめてほしかった。言葉もなく足を速め、茜を置き去りにしようとする。
「あっ、待ってよー」
スタスタスタスタスタ。タッタッタッタッタ。二人分の足音に交じって、茜の息が聞こえてくる。
「ま、待って……仁、くん……ほしゅ……補習を……げほっ、けほっ……」
終いにはむせ始める始末だ。運動不足の癖に無理をするからだ。しょうがないか、と。急に立ち止まった仁は、一つ特大のため息を漏らした。そのまま振り返ると、後ろで肩で息をする茜のほうを見やる。
「一回だけだ」
「へっ? ……補習、出てくれるの?」
「その代わり、今回きりでもう俺に近づくな。付き纏われても迷惑だ」
「……やっ――やったーっ! ありがとう、仁君!」
まるで自分のことのように、飛び上がって喜ぶ茜の姿に、仁はもう一度溜息を吐いた。
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