13

「…………………?」

 予想の斜め上の質問に、一瞬仁の思考が止まる。

 緊張していたと思われた遥の顔は、わずかに紅潮している。カッと大きく見開かれた眼は、好奇の光でらんらんと輝き、期待の表れなのか思いっきり拳を握りしめている。

 そこに至って、仁は思い出す。そういえば、遥は今年で十四歳の中学二年生だったことを。

(ああ……そういう…………)

 何ということはない。思春期真っただ中の女子であるところの高崎遥は、ただ興味深々だったのだ。自分の母親と、年上のお兄さんのコイバナに。

「あーとりあえず、遥が期待してるようなことはなんもないぞ」

「そんなっ⁉ でも、今日だって一緒に帰っていらっしゃいましたし、お母さんが男の人を家に誘うなんて初めてですよっ⁉ 何もないなんてそんなことは――」

「待て待て、声が大きい」

 小声で叫ぶという器用なことをしていた遥だったが、途中から興奮で声量が上がっていた。

 仁は焦りながら居間の茜の様子を伺うも、どうやらひよりの相手に集中しているようで、気付いた様子はなかった。

 とりあえず安心した仁は一つ溜息をつき、ジト目で遥を見やる。

 遥はといえば、やっちまった感を全開にしながら、口を手で押さえていた。

「……すいません」

「いや、まあそういうの興味ある年頃だよな。うん、わかるよ」

「…………うぅ」

 気を使われたばかりか、思春期の衝動に理解を示された気恥ずかしさで、遥は縮こまる。

 そんな様子に苦笑した仁は、やがて溜息交じりに語り始めた。

「まあこの際互いの気持ちが云々を置いとくとしても、先生は教師で、俺は生徒だ。この関係が変わらない限り、それ以上の進展はねえよ。条例違反で先生が捕まっちまったら大変だろ?」

「それは、まあ、そうですけど……」

「現状で、俺と先生がそういう関係になることを、世間は認めてくれない。俺だってそのくらいは弁えてるし、先生はなおさらだ。だから、期待に沿えなくてわりぃが、本当におまえが想像するような関係は一切ねえよ」

 子どもに言い聞かせるように、仁は正論を並べ立てる。理屈の上では何も間違っていないからこそ、遥も言い返す言葉を持たないようで。何も言わずに不満げに俯く遥は、それでも納得できないようだった。

「でも――初めてなんですよ」

「ん?」

「お母さんが、あんなふうに誰かを頼ったの」

 遥が言っているのは、玄関先での一幕のことだった。

 仁に行ってほしくないと、らしくもなくわがままを零したあの行動。きっと本当に引き留めるつもりはなくて、それでも思わず身体が動いてしまった。そんな感じだった。

「私、お母さんの趣味とか好きな物とか何も知らないんです。訊いても、子どもたちの幸せが私の幸せだって言って教えてくれないから。お母さんは私たちを愛してくれてる、それはわかってるけど、やっぱり我慢させてるんじゃないかって――でもそんなとき、一之瀬さんの話を聞いたんです」

 いつしか、仁も野菜を洗う手を止めて聞き入っていた。

 換気扇とコンロの音、さらには水音に掻き消されて、居間までは声が届かない。

 だからこれは。仁と遥、二人だけの内緒話だ。

「知ってますか? お母さん、一年前からずっと仁さんの話ばかりするんです。ひと昔前の不良みたいな子がいる、何度も頼んでたらようやく補修に参加してくれた。見た目は怖いけど、話したら意外と素直な良い子だった。もっと自分を大事にしてほしい。なんて。一時期はほんとにずぅっと仁さんの話ばっかりで。私たち、まだ仁さんと直接会ったこともなかったのに、なんとなく知り合いの気分でしたよ」

「……まあ、当時はたくさん迷惑かけたからな」

 当時の自分の醜態を思い出し、渋い顔になる仁。

 札付きのワルなんて古臭い表現だが、当時の自分はそう表するしかない人間だった。警官殴り倒して留置所にぶち込まれるわ、善意で注意してくれた深月を泣かせるわ。最低の人種だったと自負している。

 それが、多少マシな人間になれたとしたら。それは間違いなく、茜のおかげなのだろう。

「迷惑だなんて、絶対そんなことないですよ。だってお母さん、一之瀬さんといると楽しそうですから」

「……そうか?」

「はいっ! 娘の私が言うんだから間違いありません!」 

 そこに至って初めて、仁は遥のほうを向いた。

 そしてようやく、目が合う。

 ずっと仁に向けて話しかけていた遥は、嬉しそうに笑いながら続ける。

「だからもし、仁さんといることがお母さんの幸せなら。私はぜったいに叶えてあげたいんです。ずっとがんばってきたお母さんだから、もう一度……今度は本当の幸せを手に入れてほしいって思うから」

 どこまでも真っすぐで、純粋な願い。

 少し下からぶれることなく相手の目を覗き込むその仕草は、茜のソレに重なる。

『何度嫌だって言われても、私は絶対に離れない。仁君は、幸せにならなくちゃいけないの』

 そんなことは望んでいないのに。何度もいらないって言っているのに。何度でも、乱暴に、一方的に「幸せ」なんて不確かなものを押し付けてくる。

 お節介な女は嫌いだった。申し訳ないからだ。彼女たちがくれる好意に見合ったものを、きっと自分は返せない。

もっと楽に生きればいいのに、そういう人は損する道ばかりを選ぶ。他人のことばっかり考えて、身を削って。そのくせ、誰より幸せそうに笑うんだ。

 本当に、馬鹿ばっかりだ。

「……やっぱ、よく似てるよ。本当に、親子なんだな」

 そう言って、仁は笑った。

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