10
高崎家の間取りは単純だ。畳敷きの古風な1LDK。玄関上がって真っすぐ進んだ先、右側の壁沿いには台所がある。そこから丁度一八〇度振り返り、玄関から見て左側にあたるのが居間だ。襖で仕切られた奥が寝室になっている。
家族五人で済むにはかなり手狭だ。立派な家とはいえないかもしれない。でも間違いなく、そこに住まうひより達にとっては、心休まる大切な我が家なのだ。
そして今、仁は初めてその家に足を踏み入れる。
「玲奈、由奈。お客さんだよー」
茜の後ろに控えながら歩く仁は、遠慮がちに居間へと顔を出す。
そして、四つの視線が仁を貫いた。
「…………だれ、あんた?」
「……知らない人」
茜や遥とはまったく違う、冷たい声だった。
居間の壁にもたれかかってイヤホンで音楽を聴いていた少女が一人。そしてもう一人、その膝を枕にして横になり、携帯を弄っていた少女。二人はそれぞれの手を止めて、仁を見る。
露骨なまでの嫌悪の視線と、怪訝そうなジト目。向けられる感情は微妙に違っても、二つの顔の造形はそっくり同じだった。
目元以外は茜にそっくりな遥や、面影を感じるひよりとも違う。二人の容貌は、全くと言っていいほど茜とは似ていなかった。
線の細い、華奢な体形と繊細な顔立ち。目鼻立ちはくっきりしており、キツい印象の目付きと相まってかなり大人びて見える。齢十二でありながら、すでに仄かな色気すら感じさせる美麗な容貌は、一つ一つのパーツが精巧に作り上げられたかのように完璧に整っている。
将来は確実にずば抜けた美人になる。そう確信できるような、美しくも繊細な少女たちだった。
茜や遥も、間違いなく美人と言っていい。だが、彼女たちのソレはレベルが違う。顔だけで食べていける――そういう類の天性の美貌。しかもそれが二人、そっくり同じ顔でそこにいる。
高崎玲奈(れな)と、高崎由奈(ゆな)。共に高崎四姉妹の次女、双子だ。
髪型もそっくりだが、同じというわけではない。二人は同じように側頭部に髪のボリュームを持ってくるサイドポニーの髪型にしていたが、左右が違っていた。
向かって右側で髪を纏めているのが、高崎玲奈。床に転がって携帯を弄っていたほう。今は嫌悪の感情を隠そうともせず仁を睨みつけている。
向かって左側で髪を纏めているのが、高崎由奈。壁にもたれかかって音楽を聴いていたほう。今は警戒心をあらわにして、壁際から注意深く仁を観察している。
「こら、二人とも失礼ですよ!」
「えっと、こちらは仁君。私の受け持ってる生徒の子で、今日はひよりのお迎えに付き合ってくれたお礼に、晩御飯一緒にどうかなって誘ったの」
紹介の通り、仁はあくまで茜の教え子でしかない。個人的な信頼関係はあっても、それ以上のことはない。したがって、あくまで茜の子どもたちとは他人なのだ。
唯一の例外はひよりで、末っ子だけは仁が個人的に仲良くしているといってもいい。長女の遥は、必要以上に警戒はされないにしろ、精々が顔見知り程度。二人きりで話したことは一度もない。
そして、次女の双子とは完全な初対面。しかも気質が温厚な茜・遥・ひよりと違い、由奈と玲奈は第一印象でもわかるほどに警戒心が強いタイプだった。
これにはさすがの仁も居心地が悪い――というほどでもないようだった。
「初めまして、一之瀬仁だ。とりあえず、名前だけでも憶えてくれると嬉しい」
「は? なに急に?」
ニッコリと、無駄に爽やかな笑みを浮かべながら、仁は朗々と喋る。
「そう、ほんと。急に邪魔してわりぃな。実は今日ひよりと一緒に遊んでたんだが、せっかくだしご飯もいっしょにって話になってな。なあ、ひより?」
「うん! お兄ちゃんといっしょにごはん!」
嬉しそうにはしゃぐひよりを優しく抱き上げると、ひよりはますます嬉しそうに仁の首回りにしがみつく。じゃれついてくる子どもをあやしながら、仁はわざとらしいほどに父性を感じさせる穏やかな微笑みを浮かべ、尋常ではないほどに作りまくった「良い声」で語り続ける。
「飯食ったらすぐ帰る。だから、ほんとうに突然で、びっくりさせてしまったかもしれないけど……今晩だけはご相伴に預からせてくれないか? この子のためにもさ」
最後に、「ほんとうに申し訳ない」と表情だけで語るような、困ったような苦笑いと共に、仁はそう懇願した。
――まあ実際のところ、仁は初対面で緊張するタイプでもなければ、相手に気を使うほど繊細でもない。ただこの後食卓を囲もうという状況で、無駄に警戒されているのは面倒だった。仁はさほど気にしなくても、茜が気にするだろう。飯も美味しくない。
しかし相手は小学生。初対面の年上の男をすぐに信頼することなどありえない。というかあってはならない。その点、突然の外敵に対しても毅然と対応できる双子の勇気と行動力には、仁自身も好感を抱くところだった。
もっとも、それはそれ。警戒されたままだと色々都合が悪いのも事実。そこで仁は手っ取り早く警戒を解くため、ひよりを利用することにした。
大抵の家庭で、末っ子というのはとにかく甘やかされる。力関係においては最下層でも、だからこそみんな末っ子には優しくしたがるし、本気で嫌がることは避けるものだ。
仁はひよりと仲良しだと伝え、ひよりも仁に懐いている様子を見せつけた。その上で、この夕食はひよりが望んだことだと(厳密には事実と異なるが)印象付け、さらにあくまで自分はひよりの望みを叶えるためにここに来たのだと態度でアピールする。
結果、出来上がるイメージ像は『子どもの頼みを断り切れなかった優しいお兄さん』である。
ついでに言うなら、仁の容姿は控え目に言って女受けするタイプなので、仁が哀れっぽく下手に出て懇願すれば大抵の女性は大なり小なり態度が軟化する。たまに不快に感じて逆に怒る人もいるが(深月とか)。
(まあ、嘘を言ってはいないからな。セーフセーフ)
はたして、仁の話を聞いた双子は呆れたようにひよりを見つめた。
「あんた……また勝手なこと言って」
「突然すぎ。せめて事前に相談してほしい」
「むぅ、お兄ちゃんは良い人だもん! 大丈夫だもん!」
口々に苦情を言う双子だったが、とりあえず仁を叩き出すつもりはないようだった。警戒は未だに残っているものの、若干肩の力は抜けている。
少なくとも、自分たちを害するような相手ではないと判断したらしい。
上々だな、と。仁は満足そうに振り向いて、
「………………」
「……なんすか」
ジト目の茜と目が合った。
「仁君。悪い大人になったらダメだよ?」
仁の姑息なやり口を茜は察したらしい。結果的に上手くいったとはいえ、真っ当なやり方とは言い難いことは仁も自覚するところだったため、言い返す言葉もなかった。
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