9
公園を後にして、歩くことしばらく。三人の目の前に高崎家が見えてきた。
築四十年にもなる古びたアパート。その一階奥の部屋が、高崎家の五人が暮らす家だった。
茜がドア横のチャイムを鳴らすと、しばらくしてパタパタと駆けてくる音が聞こえてきた。
「お帰りなさい、お母さん! ひよりも……あっ、一之瀬さん! お久しぶりです」
「ああ、久しぶりだな、遥」
内側からドアが開かれ、住人の一人が顔を出す。
母親譲りの明るいくせっ毛をそのままロングで流した、セーラー服の少女。髪質や顔立ちは茜そっくりだが、唯一、目元だけが母親とは違っていた。垂れ目がちでおっとりとした雰囲気の茜とは対照的に、少女はぱっちりと大きく目を開き、張り詰めたような雰囲気を感じさせた。
高崎遥(はるか)。今年で十四歳になる、高崎家の長女である。
「ひよりのお迎え、行ってくださったんですね。ありがとうございます」
「今日はどっちかっていうと、お母さんの付き添いだけどな」
仁がひよりのお迎えに行く際、送っていった先で、時たま早めに帰宅した遥と出くわすことがあった。仁が迎えに行くようになる前は、茜の都合がつかない日は遥が行っていたらしい。
といっても、遥の通う中学は幼稚園とは反対の方角にあるため、中々厳しかったようだ。だから自分の代わりに行ってくれる仁には感謝している、と。以前に遥は語っていた。
「お母さん、どうかしたんですか?」
「何でもないよぉ。心配なんていらな――」
「一瞬立ち眩みがして転びかけたんだ。とりあえず一晩布団の上に縛りつけてやってくれ。何かしようとしたら、おまえが止めてくれると助かる」
「ええっ⁉ もうお母さん、最近無理しすぎだって言ったじゃん! ほら、早く上がって横になって。一之瀬さんも、付き添いありがとうございます。お母さん、ほら早く!」
「もお、遥ちゃんも仁君も心配しすぎ」
たちまち眉を吊り上げた遥に急かされるまま、茜は玄関を上がっていく。
「ただいまーっ!」
「ただいまぁ、みんな」
ひよりも勢いよく室内へと駆けこんでいき、元気の良い声が玄関に響く。
それを見届けた仁は、ほっと一息ついた。
「じゃあ俺はこの辺で。なんかあったら早川の病院に――ん?」
「……あっ」
自分の役目は終わった、と。仁は早々にその場を後にしようとして――止まる。
仁の学生服の裾を掴む手があった。
「……あれ? わたし、なんで……?」
首を傾げた茜は、不思議そうに自分の手を見つめていた。立ち去ろうとする仁の裾を引っ張り、その場に引き留めようとする動き。その手はまるで、「仁に行ってほしくない」と。そう言っているかのような――
意識した途端、たちまち茜の顔が真っ赤に染まった。
「ごっ、ごめんね。変なことしてっ⁉ おかしいな、わたし、やっぱり熱でもあるのかな――」
「――すいません。俺実は今めっちゃ腹減ってて、もしよかったら晩飯とかもらえると超嬉しいっす」
慌てふためく茜を余所に、仁はしれっとそんなことを言った。
仁も、さすがに家まで上がり込んだことはない。恋人でもなければ、さらには子どもも多い女所帯だ。いくら仁といえど、さすがに気を使う。
ただ、珍しく茜が「わがまま」らしきものを見せたのだ。その気持ちを、無視することなどできなかった。ゆえに、自分の主義を曲げることになっても、仁はその場で遥に頭を下げる。
あわあわする母と、無駄にキリッとした顔でタダ飯を要求する仁を前に、遥はおかしそうに笑った。
「はい、もちろん。一之瀬さんには日ごろのお礼もしたいと思っていたので。大したおもてなしもできませんが、ぜひ上がっていってください」
「あざっす」
クスクスと、遥はずっと小さく笑い続けながら、扉を開けて仁を招き入れた。
「……具合悪いときは、人恋しくなったりするもんですよ」
「~~~~~~~~うぅ」
年下に気を使われた事実が、また恥ずかしくて。茜は赤くなった頬を、さらに赤く染めていた。
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