prologue3

「――っと。これでよし。準備できたか、ひより」

「うん!」

 玄関先に止めた自転車にチャイルドシートを取り付け終わった仁さんは、ひよりにヘルメットを投げ渡す。

「ほっ!」

「ナイスキャッチ」

 危なくないようごく優しく投げ渡された小さなヘルメットをひよりが掴む。得意気な笑みに、仁さんも優しく微笑んだ。

「ねー由奈ぁー、私のポーチ知らなーい?」

「知らない。それより玲奈も、私のカバンどこ置いたか知らない?」

「あなたたち……遅刻しますよ?」

 ぼちぼちバスの時間も迫るなかで呑気な双子にため息を零し、あらためて我が家を見る。

 辺り一面の山、森、木。そのなかにぽつんと一軒だけ建てられた古民家。昔はお爺ちゃんが住んでいた家に、私たち家族は越してきた。

 私(遥)と、玲奈と、由奈と、ひよりと、そして――仁さん。

 端から見れば、少し変わっていると思う。だって、「若いお父さんですね」なんてものじゃすまないからだ。

 兄ほどの年齢で。血もつながっていない。戸籍上も赤の他人だ。

 私だって、この関係に戸惑うことがある。でも同時に、この関係に名前を付けるとするなら、やっぱり「家族」以外にはありえない。

 ようやく準備が終わったらしい双子が玄関から飛び出してくる。私と双子はバスで中学校へ、仁さんは自転車でひよりを保育園に送ったあと、そのまま会社へ。

 目的地は違うけど、麓のバス停までは一緒に行くことにしている。

「おまえら、ちゃんと行ってきますって言ったか?」

「あっ、そうだった」

 慌てて出て来た双子だったが、ぱっと踵を返して玄関に戻る。

「せっかくですし、私も」

「そうだな」

 私も仁さんもひよりも、双子に続く。時代を感じる硝子の玄関扉をくぐって、靴棚の上に目を向ければ、花瓶の横に小さな写真立てが置いてあった。

 写真に写っていたのは、私によく似た……お母さんの姿だった。

 カメラを向けられて恥ずかしそうに頬を赤らめてたお母さんは、どこか困ったように、けれど飛び切り優しく笑っていた。

 茜という名前の通り。心を明るく照らす、太陽のような笑顔で。

「行ってきます、お母さん」

「行ってくる、母さん」

 玲奈は明るく、由奈は相変わらずの無表情で。お母さんにひらひらと手を振る。

「行ってくるね、お母さん!」

 仁さんに抱きかかえられたひよりは、元気いっぱいの笑顔で。

「……じゃあ、行ってくるよ。先生」

 昔の呼び名を使った仁さんが、空いた片手で写真に触れる。

 壊れ物に触るように優しく、どこか遠慮がちに。けれどその指先の動きにも、ほんの少し細められた眼にも、隠しきれないほどの慕情が溢れていた。

(ああ、きっと……以前の仁さんも、こういう眼でお母さんを見つめていたのかな)

 だから、自分の未来なんて投げ捨てて、私たちを引き取った。

 ううん、違うか。こういう言い方をすると、仁さんは怒るから。

 仁さんの言い方をするなら――「私たちといっしょにいる未来を選んだ」。

 うん。きっと、この底抜けに優しい「お父さん」なら、そう言うはずだ。

「――行ってきます、お母さん」

 



 少し、昔話をしましょう。

 あの人は、きっと話したがらないから。

 だから、私が知る限りの話を。


 それは、報われなかった恋のお話。

 自分を許せなかった迷子の少年が恋をして、未来を見つけるまでのお話。

 つらい別れから始まって、悲しい死を乗り越えて、最後には幸せに帰る。


 そんな、ある夏の日の話だ。

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