prologue2
『いただきまーす』
朝の清涼な空気に、元気な声が響く。
築百年を超える古風な日本家屋である我が家は、山奥ということもあって春先はそれなりに寒い。しかし不思議と、家族が揃うとそんな寒さもどこかへいってしまうようだった。
「そういえば、玲奈。中学はどうだ。そろそろ慣れたか?」
「……なんで由奈じゃなくて私に訊くのよ」
「おまえのほうが心配だから」
「……ふん」
お味噌汁をすする玲奈は、子ども扱いされてる悔しさと心配してくれた嬉しさで半々なのだろう。やたら複雑そうな顔をしている。
わずかな時間で完璧に仕上げて来た玲奈は、寝起きの有様が嘘のようにきれいだ。真新しい中学の制服(私とおそろいです!)に袖を通し、つまらなそうな顔をしていた。
「ガキばっか。男子は特にバカ。女子はもう派閥づくりに一生懸命。何が楽しいんだか」
「そういうなよ。味方を作っておくと、案外役に立つぞ。おまえは頭が良いし、何より顔が良いから、少し愛想よくすれば勝手に寄ってくるだろ」
「……どっちかっていうとそれが問題なんだけど」
仁は不思議そうに目を瞬かせ、玲奈はますます不機嫌そうに口を噤む。
「……玲奈は男子たちの告白にうんざりしてる。入学からもう四人目」
「ちょっと、由奈⁉」
「ああ、そういう」
合点がいったと頷く仁だが、玲奈は顔を赤くしていた。
「――~~っ! そういうあんただって、もう五人目じゃない! 知ってんのよ、昨日サッカー部の佐藤とかいう先輩に呼び出されてたじゃない!」
「私はそもそも相手にしないことにしてるから問題ない。玲奈は変なとこで真面目だから、余計疲れるんだよ。あとたぶん佐藤じゃなくて武藤……だった気がする」
「……佐々木君ですよ。あと、バスケ部です」
佐々木君とは三年で同じクラスですから、昨日見事に玉砕した様を目にすることになりました。なんでも待ち合わせ場所には代理で別の女子が来たらしく、会うつもりすらないという完璧な振られように、相当にショックを受けていました。
「そうだっけ? まあどうでもいいわよそんなやつ」
「うん、どうでもいい。どっちかっていうと、私と玲奈に同時に告白してきた奴らのほうが問題」
「そう、それよ! なによそれ、どっちでもいいってことじゃない。舐めてんじゃないわよ、しかもそんなやつが二人もいたし! あと地味に由奈のほうが数多いのもむかつくし! どうなってんのよいったい!」
「まあ、中学生の男子なんてそんなもんだ。大目に見てやってくれ。度が過ぎるようなら、ちゃんと周りに相談しろよ」
「仁さんもそんな時期があったんですか?」
「俺? 俺は告白したこととかねえよ。相手に困ったことなかったし」
「うわイヤみ。ウザ」
「顔が良ければ女子が寄ってくると思ってる。女の敵」
「おまえらなあ……」
掌を返して一斉に仁さんを攻撃する双子に、仁さんも呆れた様子だ。
耳に空いたピアス穴を弄るのは、昔の彼女を思い出しているのだろうか。どこか遠いところを見つめる仁さんに、玲奈は面白くなさそうに鼻を鳴らす。
「てゆうか、あんたのほうこそどうなのよ?」
「どうって?」
「なんか部署が変わるとか言ってなかった? どうなのよ仕事のほうは?」
建築関係の仕事に勤める仁さんは、二年目を機に現場から下がり、裏方のお仕事に回るらしい。
「先輩が気を利かせてくれてな。事務方のほうが時間に融通も利くだろうって。なんか営業の仕事にも連れてってくれるとか……ほんと、ありがたい話だよな」
「ふーん。で、給料上がるの?」
「現金すぎるだろ……まあ、相応に上がるわな」
かちゃっ、と。箸を置く音がした。
まさかと思って振り向けば、早々に朝食を食べ終わったらしい由奈がするすると移動し、背中から仁さんにしなだれかかった。
「ねえ、パパ? 私、欲しいものがあるの」
「果てしなく誤解を招きそうな言い方やめろ……なんだよ?」
「これなんだけど……」
甘ったるい声を出しながら、顔がいつもの無表情のままだからどことなくシュールだった。
仁さんの肩越しに携帯を操作した由奈は何かの画面を見せ、仁さんが眉間に皺を寄せる。
「ギターか……今使ってるやつは、だいぶガタがきてたんだっけ?」
「ん。最近音が合わない。修理も考えたんだけど……」
「まあ、元が俺の友達の私物だしな。修理のほうが高くつくか」
最後にお茶をすすって朝食を終えた仁さんは、脳内で算板を弾いているんだろう。難しい顔だ。その目は由奈の席の隣に立てかけられたギターケースに注がれている。
「ちょっと見てもいいですか?」
「ん」
「どれどれ……じゅっ⁉」
ゼロがいっぱいありました!
あまりの衝撃にノックアウトされた私を見て、由奈は悲しそうに目を伏せます。
「……ごめん、やっぱり」
「――いや、いいよ。これは必要なものだ」
脳内で計算を終え、家計に問題はないと判断したのだろう。仁さんがそう口にした。
瞬間、由奈の唇が邪悪に弧を描いた。
こっ、この子! 今までの態度も悲し気な雰囲気も全て計算の上で⁉ この歳で⁉
私がこの聡い妹の未来に恐怖を抱いているうちに、由奈は再び仮面を被る。いかにも感激した娘のような声で、無表情にほんのりと笑みすら浮かべて。
「ありがとう、パパ。だいす――」
「ただし、買うのはその一個上の、最新モデルのやつだ」
由奈が固まった。
思わず携帯の画面を見る。由奈が欲しいといったギターの一個上には、同じ型の最新のものが掲載されていた。
当然、型落ちのものと比べると、価格は雲泥の差だ。
「でも、これ、たかい……」
「安物買いの銭失いっていうだろ? いや、それはメーカーに失礼だな。まあでも先に現物見て音聴いたほうがいいか……まあとにかく、どうせ買うなら一番良いやつにしとけ」
食べ終えた食器を片付けた仁さんは、由奈のギターケースを指差した。
仁さんが友達から貰ってきて由奈の手に渡ったらしいギターは、大事に手入れされていた。家の外で歌う由奈の声も、部屋の端で丁寧に手入れする姿も、この家の者は何度も目にしてきた。
「本気で好きなんだろ? なら、道具も一番良いので揃えろ。やるなら全力だ……今度、いっしょに楽器屋に見に行こう」
「…………ん」
背中に張り付いた由奈の腕を優しく剥がして、仁さんが立ち上がる。
「……ありがとう、パパ。大好きだよ」
「はいはい。俺も好きだよ、由奈」
仁さんが食器を洗い場に持っていく間も、由奈は動かなかった。
俯いたまま立ち竦む由奈の表情は、対面の私からだと前髪に隠れて見えない。でも隣の玲奈からは見えたらしい。
「……どっちが素直じゃないんだか」
憮然と呟く玲奈は、呆れたように湯呑のお茶を飲み干した。
「もぐもぐ……なんかさ……」
「なんですか、ひより」
ここまでひとり一生懸命に朝ごはんを食べていたひよりは、好物の半熟目玉焼きを食べながら呟く。
「おねえちゃんたちって、たいへんそうだよね」
「……ええ。ほんとうに」
6歳児にすらなんとなく察せられていた。
玲奈と由奈、中学一年生。多感なお年頃です。
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