パパ活、はじめました。

瑞木千鶴

prologue1

 私の家族は、少し変わっている。

「ん、完成」

 お味噌汁を味見して、これなら大丈夫だろうと一人頷く。

 炊き立てのご飯と、ネギのお味噌汁。目玉焼きとベーコンに、簡単なサラダ。

 なんの変哲もない、普通の朝食を食卓に並べていく。少し前に流行ったJPOPの歌詞をうろ覚えのままなんとなく鼻歌で歌っていると、家の奥からぱたぱたと元気の良い足音が聞こえて来た。

「遥お姉ちゃん、おはよ!」

 食卓に駆け込んできたのは、小さな可愛い末の妹だった。

「おはようございます、ひより」

 来年で小学生になる三番目の妹は、ぐるりと食卓を回って私の足元まで来ると、ぺかっと眩しい笑顔を浮かべた。

「ひよりも運ぶ!」

 どうやら私の配膳を手伝ってくれるらしい。本当に優しい子だ。

「ありがとうございます。じゃあ、こっちよりも、寝坊助なお姉ちゃんたちを起こしてきてもらえますか」

「わかった!」

 来た道を逆走して、小さな背中が再び家の奥に消えていく。

 食卓に置かれた椅子は、五人分。それぞれの前に朝食を並べ終えて、携帯を開く。メッセージアプリを起動して、目当ての名前を探す。

「ご飯できましたよ、っと」 

 たった今目覚まし隊が向かった真ん中の「妹」たちのことはスルーする。送信は……「お父さん」。自分で電話帳に登録してみた名前だけど、なんとなくそう呼ぶのは恥ずかしかったりする。

 妹と違って、あの人はちゃんと起きてるだろうし。案の定、すぐにぴろんと軽快な着信音が鳴って、「すぐ戻る」と簡潔なメッセージが返ってきた。

「……ふふふ」

 なんだかこれ、「お父さん」と娘っていうよりも、夫婦みたいなやり取りじゃないでしょうか。

 どうしましょう。いいのでしょうか? いや別に血縁上も戸籍上も問題はないのですけど。いやでも曲がりなりにもお父さんと呼ぶ人となんて、いやでもだからこそ特別感があってちょっとステキかもって思っちゃったりして……

「おはよー、遥ねえ」

「おはよう、遥ねえ」

「わひゃあっ⁉」

 唐突に響いた二人分の声に、危うく携帯を放り投げるところだった。

 びっ、びっくりしました。思わず変な声が出てしまいました。ああ、姉としての威厳がまた……

「遥お姉ちゃん、ちゃんと起こしてきたよ!」

 真ん中の妹たちの隙間から、ぴょこっとひよりが顔を出す。

「玲奈お姉ちゃんも由奈お姉ちゃんも全然起きなかったの。ダメだよね?」

「えっ、ええそうですね。ひよりは偉いですね~、それに比べてお姉ちゃんたちは……」

 朝の一仕事を終えて得意気なひよりの頭を撫でながら、恐る恐る真ん中の妹たちのほうに目を向ければ……案の定、意地の悪い笑みがそっくり二つ並んでいた。

「携帯眺めてずっとニヤニヤしてた遥ねえには言われたくないよね、由奈?」

「うん、玲奈。女の子としてちょっとお見せできないくらい緩み切った顔だった」

「わひゃあ、だって」

「どうせ周りが見えないくらい仁との通話にお熱だったんだよ」

「「やーい、むっつりお姉ちゃーん」」

「むうううう~~~」

 同じ顔が、同じ声が、完璧な連携で私を嘲り笑う!

 次女の玲奈と由奈は双子だ。今年で中学に上がったばかりにも関わらず、身内で同性の私から見ても飛び抜けた美人。けれど性格と口の悪さがすべてを台無しにしている。

 そんな二人はどちらも「自分が次女だ」と譲らなかったため、二人とも次女ということになっている。ややこしいが、気難しい二人のことだからしょうがない。

 思えば小さいころから、こうして次女ズにはやられっぱなしだった。しかし、もはや私は昔とは違う!

「ふっ。二人とも。そんなこと言ってていいと思ってるんですか?」

「なんか急に元気になったよ、玲奈」

「不敵な笑みってやつだよ。似合わないね」

「「ねー」」

 こっ、この妹たちはっ……!

 だがしかし、私には切り札があるのです。

 一発逆転の切り札の到着を待っていると、狙い通り、台所横の勝手口が開いて、その人は現れる。

「――っはよぉーす、って……俺が一番最後か」

 色落ちした金の髪が揺れる。

 台所を見回して、自分以外の家族が揃っているのを確認すると、その人ははにかむように笑った。

「パパっ!」

 ひよりが勢いよく駆け寄って飛び込むのを、少し日に焼けた腕が抱き止める。

「っと、今日も元気だな、ひより」

「うん。でも玲奈お姉ちゃんと由奈お姉ちゃんは元気なのにぜんぜん起きてこなかったの。ひよりが起こしたんだよ」

「えらいな。ちゃんと遥を助けてる」

 ひよりの頭を撫でる仁さんの横顔は、出会ったときとは比べ物にならないくらいに優しいものでした。

 いや、思えばずっと、仁さんは優しかったのだ。

 だから、私と四つしか違わないのに、「お父さん」なんて責任を背負ってくれたんだから。

 彼の名は、一ノ瀬仁。現在十八歳。私たち高崎家の「お父さん」だ。

 当時高校生だった彼が、なんで私たちの家族になってくれたかといえば、それは長く深い事情があるのですけど。

 差しあたって今重要なのは、仁さんの存在が、あの狡い妹たちに対する切り札になるということ!

「あ……」

「……む」

 突然の仁さんの登場に、双子は固まっていた。そのうちに、仁さんも双子の様子に気付いたらしい。

「おはよ、玲奈、由奈。頭、寝癖立ってるぞ」

 頭の横を指さすジェスチャーと共に、悪戯っぽく笑ってみせる。

 指摘された双子はといえば。

 由奈は指先でくるくると寝癖を弄っていた程度だが、玲奈はばっと飛び跳ねた髪を押さえつけると、顔を真っ赤にして由奈の後ろに隠れた。

「みっ、見ないでよ!」

 片手で寝癖を隠して、もう片方の手はパジャマの裾を必死に引っ張って整えていた。

 なにせ寝起きそのまま起き出してきたものだから、双子の恰好はもう、なんというか……それなりにだらしなかった。

 そんな姿を仁さんに見られるのだけは我慢ならなかったのだろう。

「――っ! 顔洗ってくる」

 顔を真っ赤にしてプルプル震えていた玲奈は、すごい速さで洗面所のほうに駆け出して行った。

 ふっ。やりました。完全勝利です! これこそが姉の力、先に仁さんを呼び出しておくという頭脳プレイです!

 まあすべて偶然ですけど。

「……玲奈はほんと、すぐ顔に出る。でも仁も容赦なさすぎ。女の子にはもっと気を遣うべき」

「くくくっ。ああ、いやすまん。わるかったよ。次からはメイク終わってから声かけるさ」

「そうしてほしい」

 片割れとは対照的に、たとえ寝癖が跳ねてようが服がはだけていようが、堂々と仁王立ちしている由奈は、何も恥じることなどない無表情だ。

「……じゃあ、私も顔洗ってくるから」

 しかし、見る者が見ればわかる。平静を装う鉄面皮にほんの少し朱が差していたのを。

 心無しか足早に去っていく由奈を見送る仁さんは、心底愉快そうに意地悪な笑みを浮かべていた。

 完全に子ども扱いされてるなー、と。妹たちの前途多難な未来を想うと、少し心配になる。

「手伝うことあるか?」

「あっ、じゃあ食器運ぶのお願いします」

「ひよりもー」

 二人に残る配膳を任せて、洗い物を先に済ますことにした。これでも私も女子校生ですから。朝は時間がないのです。

「遥、ご飯少しもらうな」

 そう言って、仁さんは炊飯器からご飯を少しだけ取って、小さな器に盛りつける。 

 それは私たちが食べるぶんじゃなくて、お供えするためのもの。

 お母さんのぶんだ。

「……今朝も、お母さんのところに?」

 仁さんは毎日、朝か夕の時間のある方に、必ずお墓参りに通っている。山奥の我が家から、少し山を下りて、また登って、隣の山にある集合墓地まで。

「ああ。茜さんが心配しないように、報告してやらないとな」

 ほんのり湯気が立つ器を持って、仁さんは居間の隣の部屋に置かれた仏壇に向かう。

「あんたの娘は、ちゃんと元気にやってるって」

 そう言って笑う仁さんは、少し寂しそうで。でも、とても愛おしそうで。

 ほんの少しだけ、お母さんが羨ましかった。

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