5章 君へ

5-1 侵攻

 メレイア研究開発局の兵器廠の中には、エスペランサと名付けられた魔女を動力源とする魔女殺しのための巨大な航空兵器が格納されていた。

 それは真っ黒な立方体の巨大な鉄の塊であった。その立方体は、さらに小さな立方体を組み合わせるようにして構成されている。各面3×3個の一辺3メートル程の正立方体を組み合わせるようにして作られており、その外観は特大のルービックキューブのようであった。

 各キューブには一人ずつ悪魔の子どもたちが格納されている。彼女たちは一様に電気椅子に縛り付けられた囚人のようにキューブ内の椅子に体を固定されており、意識はない。

 中心のキューブのみ内部構造が他と大きく異なり、その兵器を操作するコックピットとなっている。内部の壁面は全てスクリーンとなっており、外の様子を360度、まるでガラスを隔てているだけのように見ることができる仕組みとなっている。

 そこにはヒースクリフが搭乗していた。彼はコックピットの機器を操作し、エスペランサを起動させた。同時にエスペランサが格納されている兵器廠の建物の屋根が左右に割れるように開く。

 黄昏の空の光に包まれながら、エスペランサは宙へと浮かび上がった。

 背後に佇む、失った娘の姿を模したゴーストの気配には一切気づくことなく、ヒースクリフは進行方向に見える隔離空間の光だけを見ていた。


 ヘレナはこれまで親に言われた通りに振るまってきた。フロレンツィアと仲良くなったのも、親からそうするように言われたからであり、ナノを襲ったのもまた親の言いつけを守ったからだった。

 彼女がナノとチセの二人が外から来た魔女であることを知ったのは、チセが行方をくらました後である。二人と関わりを持つようになったのは半ば偶然であった。優秀なフロレンツィアの上を行くチセへの興味から、フロレンツィアが彼女と関わりを持つように誘導はした。しかしそれは親から言われたからではなく、純粋な好奇心からのことである。その結果、フロレンツィアまでも巻き込む結果となった。フロレンツィアがチセに強く入れ込むのは想定外であったし、チセとナノが外部からの魔女狩りの魔女であることも予想だにしていなかった事であり、その上、ナノが反旗を翻すなど分かるはずもなかった。

 チセが行方をくらました時、ヘレナは両親からチセとナノの正体を聞かされるとともに、もし彼女たちがその役割を逸脱し、裏切りを働くために接触してきた場合は排除するように言われた。言われた当初はそんなことになりはしないだろうとヘレナは軽く考えていたが、実際にナノは裏切りを働き、その助けのために彼女を訪れた。

 ヘレナの内にはナノを排することに僅かな躊躇いがあった。しかし、イレーネがその背を押した。二人でナノを襲撃し、共にいたフロレンツィアにまでも襲いかかった。そうするべきだと信じていたからだ。だが、今はその確信は彼女の内にない。

 ナノに奪われた意識を取り戻した後、ヘレナはイレーネとともにナノを追うこともできた。妹の能力があれば難しいことではなかった。だが、そうする代わりにヘレナは妹を連れて親の居る自宅へと戻った。

 父と母にナノの裏切りとフロレンツィアとの共謀について話した。

「フロレンツィアも彼女と一緒に行ってしまったの?」母が尋ねた。

「気を失っていたから確かな事は言えないけど、それまでのやり取りを見るに一緒に行ったんだと思う」ヘレナは答えた。

 母も父もそれぞれ何か考えるように押し黙った。ヘレナも黙って彼らの次の言葉を待った。

「そうか」父が独り言のように呟き、続けて言った。「彼女達は追わなくて良い。二人のことは忘れなさい。良いね、ヘレナ、イレーネ」

 ヘレナは理由を尋ねようとしたが、それより早く隣でイレーネが「分かった」と了解を示して頷いて見せた。ヘレナは彼女を見た。イレーネは疑問も不満も抱いておらず、ただ親の正しさを信じているように見えた。続いて父と母を見た。そして二人の目に強い哀れみを見た。何故そんな目をするのかヘレナには全く理解できなかった。ただ自分の行為が同情や哀れみを抱かせるものであったことは分かった。同時にそのような事をやらせた当人たちがその目を向けてくることに苛立ちを覚えた。

 以来、ヘレナは父と母とまともに口をきいていない。彼らに対し何も疑問を抱かないイレーネと一緒に居るのにも居心地の悪さを覚えてもいた。故にその日も家から離れた丘の上のカフェに一人で来ていた。

 頼んだコーヒーを口へと運んでいる時である。建物ごと揺らされたような大きな地震があった。その揺れは数秒であったが、外が異様に騒ついていた。

 その原因を確かめるために他の幾人かの客に続いてヘレナも外に出た。そして丘の上から彼女の家のある地区一帯が跡形なく焦土とかしているのを見た。まるでその一帯だけ高温の熱によって溶かされたように何もかもが消え去り、白い煙が上がっていた。

 呆然とするヘレナの耳に、辛うじて近くの男の叫び声が届いた。その男は空を指していた。見上げると、血のように赤い夕暮れ時の空に、黒い巨大なキューブ型の正体不明の飛行体が浮かんでいた。

 ヘレナはそれを憎悪に満ちた目で睨み、そしてその謎の飛行体目掛けて宙に浮かび上がった。


 黒いキューブ型の飛行体―――エスペランサの上部中央のキューブの中にチセは入れられていた。彼女は暫く意識を失っていた。チセの意識が覚醒したのは、エスペランサが隔離空間へと入る直前であった。正確には目を覚ました訳ではなく、ゴーストを介して何が起こっているのかを知覚できるのみで、身体の感覚もなければ自由に動くこともできなかった。まるで夢の中にあるようであったが、チセは今知覚している出来事が現実であることを理解し、そして自分がやるべき事を認識もしていた。だが、思うようにゴーストを操る事ができず、ただゴーストを介してヒースクリフの後頭部と彼の居るコックピットの壁面のスクリーンに映る外の光景を見る事しか叶わなかった。

 隔離空間の光の壁をに近づいた瞬間、壁にエスペランサが通れるほどの円形の穴が空いた。その穴を通って隔離空間内部にいとも容易く侵入した。

 初撃は素早く、被害は甚大であった。

 隔離空間内に侵入し、暫く進んだところで、エスペランサは地上側の側面に巨大な光の球体を生み出した。それは音もなく静かに地上へと落とされた。

 光の球体が地面と衝突する。刹那、球体はドーム状に拡散し、一体の全てを光の中に飲み込んだ。光が消えた時には、全てが変わり果てていた。住宅街や小売店などそこにあったはずのものは消え去り、残ったのは僅かな瓦礫の山と平らになった黒々とした大地だけであった。

 エスペランサは次なる破壊対象に向かって進んでいく。チセはそれを止めようと試みたが、やはりゴーストを操る事は出来なかった。とその時、彼女は壁面のスクリーンを通して何か小さなものがこちらに近づいて来るのを見た。ヒースクリフが機器を操作し、その何かがいる場所を拡大表示させる。

 それはヘレナであった。彼女は自身よりも大きな刃を幾本も生み出し、一斉にエスペランサに向かって射出した。刃の全てが真っ直ぐと吸いこまれるようにエスペランサへと迫ってくる。が、エスペランサに避ける動きは見られない。ヒースクリフは迫りくる刃を認識しているはずであるが、気に留める様子すらない。

 ヘレナが放った刃が直撃するかに思われたその時、付近の空間がぐにゃりと歪んだかのように全ての刃が歪に曲がり、小さくなり、見えない渦の中に飲み込まれるように消えていった。

 ヘレナはそれを見て尚、攻撃し続けようとしているらしく、また別の射出物を生成していた。だが、今度は放たれる前にそれらはかき消された。同時にヘレナの浮遊魔法もかき消され、彼女は羽をもがれた鳥のように体勢を崩し、そのまま地上へと落ちていく。

 ヒースクリフは邪魔な羽虫潰すかの如く、彼女がいる方向に向かって、先刻一帯を破壊し尽くした光を放った。ドーム状の爆発がその周囲を焼き尽くす。

 ヘレナが落ちていった場所には黒々と燃え尽きた大地だけがあった。

 消えていく。何もかも。ヘレナもエリザもウルリヒもナノもフロレンツィアも―――チセがただ守りたいと思った者、一緒に居たいと願った者は全てその手のうちからこぼれ落ちていく。それに対して何もする事ができない。そう感じた刹那、チセの体は意識を取り戻した。

 目を開いた瞬間、飛び込んできたのは暗闇であった。チセが入れられているキューブには照明はなく、外からの光もなかった。

 意識を取り戻すと同時にチセは裂けるような全身の痛みに襲われた。頭が痛い。手足が引き裂かれるように痛い。鼻血が出ている。思考がまとまらない。

 痛い。苦しい。他のキューブに居る者の思考までも流れ込んでくる。

 殺してやる。

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