2章 喪失

2-1 罪

 魔法祭の日にチセまでもが姿を消したことは、彼女をアルベルク高等学校に送り込んだ者たちを大いなる混乱の渦の底に叩き落とした。

「チセは今回の作戦となんら関わりがなかったはずだ」

 二つの長机と椅子のみが置かれた殺風景な部屋の中に、重々しい声が響いた。そこには四人の男たちが向かい合うように座っており、どの顔にも暗い影が落ちていた。そのうちの二人はウルリヒ・アルトナー とデニス・ケーラーであった。

「エリザも姿を消した。彼女の作戦になんらかの形で巻き込まれた、そう考えるのが自然だろう」

ウルリヒが言う。西に面した窓から差し込んだ光が、彼の顔の上に明暗を作っていた。

「なぜチセがエリザの作戦に巻き込まれて姿を消す?よしんば接触があったとしても、互いの役割を優先するはずだ」

ウルリヒの隣の男が努めて落ち着いた口調で言った。

「“刷り込み”が甘かったんだ。だからもっと徹底すべきだと言ったんだ」

ウルリヒの向かいの男が声を荒げる。

「“刷り込み”を強めればそれだけ消耗する」

「アルトナー、たとえ博愛主義に目覚めたとしても、彼女たちを普通の人間として扱おうと考えないことだ。互いに不幸なことにしかならない。呼び戻したナノへの“刷り込み”は徹底させるべきだ」

 薬物投与や電気的または磁気的刺激などの様々な手段を持って実現する洗脳処置や記憶の書き換えの試み――それを彼らは“刷り込み”と呼んでいた。それらはまだ実験段階であり、確実に意図した形で人の精神や記憶を操ることはできていないが、一定の効果を示してはいた。しかしまた同時に、無視できない不確実性もはらんでいることも確かであった。副作用もある。薬物依存や脳への負荷による記憶障害や身体障害、様々なリスクがつきまとう。

 そのことを十分に理解していてもなおデニスはその二日後、チセの一件から起こり得る最悪の事態を考慮して帰還させたナノに、より強い刷り込みを施した。

 デニスはガラスの向こう側の手術台の上で眠るナノを一瞥し、隣にいる担当医へと問いかける。

「あとどれくらい運用できそうだ?」

「明確なことは言えませんが、こんな刷り込みを何度も繰り返すようならすぐにガタがきますよ。今回は、過去の心的外傷が蘇りかけていましたので、記憶の封印処置も施しています。ただし刷り込み処置の影響でそれ以外の記憶にもいくつか欠損が見られるかもしれません。こんなことを幾度もやっていれば、記憶の欠損だけでなく、身体機能などにも影響がでてきます。長く運用したいのであれば、その分、一度の刷り込みを徹底する他ありません」

 ナノが目覚め、医師たちが最終確認を終えた後、デニスは彼女の病室へと案内された。そこには彼を待つように、ベッドの横に置かれた机についているナノが居た。医師はデニスを病室に入れると、その場を離れていく。

「おはようございます。ケーラーさん」

 彼女はデニスの姿を認めると、あらかじめ決められている台詞を読むように言った。その表情は希薄で、その目からは感情が読み取れない。デニスは彼女の向かいの椅子を半回転させ、彼女に右肩を見せる形で座り、それから彼女にほとんど目を向けることなく口を開いた。

「アルベルク高等学校に通っていたことは覚えているな?」

「はい」

「魔法祭で対抗戦に出たことは覚えているか?そのチームメンバーは?」

「はい。チームメンバーはフロレンツィア・アイベンシュッツ、イレーネ・レノーア、ヘレナ・レノーア、チセ・アルトナー、ナノ・ケーラーの5名です」

「対抗戦を棄権したことは覚えているか?」

「はい。チームメンバーのチセ・アルトナーとフロレンツィア・アイベンシュッツが開始時間になっても来なかったため棄権となりました」

「チセが姿を消したことは?」

「覚えています。フロレンツィアの話では、チセはフロレンツィアの姉のエルヴィラが何者かから襲撃を受けたため、助けを呼びに行っていたということでしたが、エルヴィラ本人は襲撃すらなかったと主張していました。護衛の中の数人はエルヴィラから離れておらず、彼らも襲撃はなかったとしています」

「チセが居なくなったことに思うことはあるか?」

「なにも。いえ……」

 暫し考えるような間があった。デニスはそこで初めて彼女の顔をまっすぐ見つめた。

「彼女が姿を消したことで、これからの私の役割はどうなるのでしょうか?」

そして彼はそこに自分の罪を見た。


・ ・ ・・・・・・………─────────────────………・・・・・・ ・ ・


 魔法際の日にチセが姿を消したことは、彼女の管理者たちに困惑と動揺とを抱かせたのと同様に、彼女の友人にもまたどうしようもない心配と後悔との念を植え付けた。

 襲撃があったあの日、フロレンツィアは姉の護衛をつかまえると、必死に、それでいて、できるだけ簡潔に事態を説明した。護衛の男は無線機で仲間に状況を伝えると、動揺を顕にしているフロレンツィアを安心させようとするように彼女と同じ目線まで膝を降り、落ち着いた声で彼女に話しかけた。

「フロレンツィア様、大丈夫です。仲間がエルヴィラ様のもとに向かっています。なによりエルヴィラ様自身もお強いのです。それはフロレンツィア様が一番ご存知のことでしょう」

「でも……いえ、そうですよね。あの……姉が攻撃された時、友人も一緒にいたのです。その子は先生に伝えに行ってくれているのですが、心配なので探しに行っても良いでしょうか?」

「ええ、私もご一緒いたします」

 そうしてフロレンツィアは姉の護衛の一人と共にチセを探したが、どこにも彼女の姿を見つけることができなかった。

 不安がフロレンツィアの心臓の鼓動をこれでもかと速める。ついには気分さえも悪くなり始めた時、姉が護衛を引き連れて何事もなかったように戻ってきた。

 フロレンツィアはその姿を見るや否や彼女に駆け寄った。

「姉さん、無事だったんだね?良かった」

「無事?」

さも不思議そうに首を傾げるエルヴィラに、フロレンツィアは眉をひそめる。

「襲撃者は捕らえたの?」

「襲撃者?何を言っているの?」

「なにって……?姉さんを攻撃してきた者がいたでしょ?その者はどうなったのかと聞いているのです」

「そんな者はいないわ」

「……え?」

 フロレンツィアが姉の言葉の意味を掴めずただ唖然と立ち尽くしていると、彼女と共にチセを探していた護衛の男がフロレンツィアへと話しかけた。

「あの、どういうことでしょうか?」

「なにもなかったのよ」

エルヴィラは男の方を向いていたが、その目は別のなにかを見ているかのようで、酷く冷徹な色をしていた。

「なにも」エルヴィラは再度小さく呟くように言った。

護衛の男は心底から冷え上がらせるような静かな迫力を前にして、それ以上なにも言うことはなかった。反対にフロレンツィアは姉のその不自然な態度に困惑と怒りとを抑えきることができず、再度口を開いた。

「なにもなかったって……そんなことあるわけない。襲撃者がいたのは紛れもない事実です。私もチセも見ました」

「そんなこと言われてもね。私の周囲は彼らが常に警戒してくれていたし、その彼らもなにも異常は感知していないわ」

エルヴィラは自分の周りにいる護衛を一瞥してみせた。彼らは軽い肯定を示す。

「そんなのおかしい!だって…….」

 フロレンツィアは姉とその周囲の人間をはっきりと見上げた。姉はまるで路傍の石ころを眺めるかのように無関心な目をしており、彼女の周りの人間は本当に不思議そうな顔をしていた。そこで初めてフロレンツィアはこれ以上なにを言っても無駄だと悟った。

「……チセの姿が見当たらないのです。何かご存知ありませんか」

「分からないけど、深刻に考えなくとも校内のどこかにはいるでしょう。一緒に探すのを手伝いましょうか?」

「いいえ、結構です」

 踵を返し、その場を去っていくフロレンツィアであったが、一度足を止め、姉を振り返った。

「もしチセになにかあって、それにあなたが関与していたなら、私は一生あなたを許しません」

フロレンツィアはエルヴィラの返答を聞く前に走り去っていった。エルヴィラはその背をなにも言わず静かに見つめていた。


・ ・ ・・・・・・………─────────────────………・・・・・・ ・ ・


―――私は一生あなたを許しません

 月明かりに照らされた病室のベッドの傍らで、エルヴィラは妹の言葉を思い出し、自傷的な笑みを浮かべた。

「妹がそれほどまでにあなたに惚れ込んでいるなんてね」

そう言ったエルヴィラの視線の先――ベッドの上にはチセ・アルトナーが横たわっていた。月の青白い光が病室の窓ガラスを通して、彼女の安らかな寝顔の上に長い筋を落とす。

「あなたは本当になんの負い目も見せず、むしろ暖かささえ感じさせるような雰囲気をもってあの子に接していた。あなたに会って、いいえ、会う前からあの子の手紙からそのことは感じていたわ。それでいてあなたはなんの負い目を感じさせることなく私の命を狙った」

誰も聞く者がいない室の中、エルヴィラは静かに言葉を紡いだ。

「あなたは何者?」


・ ・ ・・・・・・………─────────────────………・・・・・・ ・ ・


 チセは夢を見ていた。

 薄暗い部屋の中、エリザと向かい合うように床に座っていた。上着のポケットからこっそり隠し持っていた板状のチョコレートを取り出すと、エリザに手渡す。エリザはパッと目を輝かせてそれを受け取ると、嬉しそうに食べ始める。

「優しいのはチセだけ……」

彼女はチョコレートを一度膝の上に置く。「みんな怖い」

「怖い?」

「みんな、突然怒って、平気で人を傷つける。今日はチセが助けてくれたから良かった」

「次も助けるよ」

「今度はチセがそこにいないかも」

「大丈夫。絶対私が守る」

チセは安心させるように両の手でそっとエリザの手を包み込んだ。


・ ・ ・・・・・・………─────────────────………・・・・・・ ・ ・


 チセが目を覚ましたのは魔法際から一日が明けた昼過ぎであった。彼女は電灯の光に目を細めながら上体を起こすと、辺りを見渡した。どこかの病室であることは見て取れた。ベッドは彼女が使用している一つのみで他に人はいない。部屋の隅には監視カメラがあった。窓の外には曇り空の下の見知らぬ景色がある。人の姿はない。

 チセがベッドから降りようとしたとき、病室を訪ねる者があった。チセの目がまず捉えたのはその幻想的な白い髪であった。

「起きたようね」

 エルヴィラは食事が置かれたトレイを手に持ち、まるで病人を気遣うようにチセに近づいて来た。しかし。その顔に張り付いた笑顔には嘘臭さがあった。

「安心しなさい。殺すつもりならすでに殺している。あなたに危害を加えるつもりもない」

 エルヴィラはチセのベッドの傍らに置かれた椅子に腰を下ろし、ベッドサイドテーブルにトレイを置いた。

「お腹空いているでしょう。食べなさい」

 トレイには、柔らかそうなパンと食欲をそそる湯気をほかほかに立てるスープ、そしてゴロゴロと大きな肉団子に甘辛そうなタレが絡んだ肉料理が載っていた。それをはっきりと目にした瞬間、チセの口の中に唾が広がった。彼女は瞬時躊躇ったが、押し寄せてくる食欲に押されるようにそれらを食べ始めた。

「あなたに聞きたいことはたくさんある」

 チセが食事を平げるのを待って、エルヴィラが口を開いた。

「一体どういうこと?この場所もそうだけど、あなた自身が私に会いに来るのはおかしい」

「私はあなたが一体何者なのかを知っておきたい。あなたたちのことは私と私が信頼を置いている者しか知らないわ」

「……フロレンツィアは?」

チセは聞こえるか聞こえないかの小さな声で言った。そこには微かな希望と恐れとがあった。

 エルヴィラは大きく目を見開いた。

「話していない。一応、あの子に友情は感じていたってこと?」

「……別に」

「そう。まあ今聞きたいのはそこじゃないから良いわ。聞きたいのはなぜ私を襲ったのかってこと」

 チセはただエルヴィラを睨むのみで答えなかった。

「そりゃ話さないよね。あまり気は進まないけど、無理やりにでも話してもらう」

 エルヴィラのその言葉にチセは警戒を強め、ベッドシーツへと手を伸ばそうとした。が、途端に体が動かなくなった。第2研究棟の屋上で意識を失う前に味わったものと同じ、自分の体が自分のものでなくなったような感覚が彼女を支配する。

 エルヴィラの両の手がチセの顔を掴む。エルヴィラは掴んだその顔をゆっくり自分の顔へと向けた。二人の目が合う。エルヴィラの​​薄紅色の瞳は冷たく、澄んでいて、そしてまるで全てを見透かしているような光を帯びていた。チセはその瞳の中に得体の知れない恐怖を見た。そこから目を逸らすことはできなかった。次第に意識が薄れゆく。

「私の質問に答えなさい。あなたがあの学校に入った理由は?」

「この社会に溶け込むため」

「溶け込んでなにをするつもり?」

「詳しくは知らない。聞かされていないから」

「あなたはなぜ私を攻撃したの?あなたに与えられたその役割と矛盾しているように思うのだけれども」

「エリザを殺そうとしていたから」

「エリザ?私を最初に攻撃してきた子ね。あの子とはどういう関係?」

「同じ施設で育った」

「施設、それは一体なんの施設?」

「魔女を殺すための魔女を作るための施設」

「魔女というのはなに?」

「超自然的な力を行使するあなたたちのような存在。魔女は人類を滅ぼす。人類に取って代わろうとする突然変異体」

「どういうこと……いえ、その中でも何故私を狙ったのかは分かる?」

「知らない」

「そう」

そこでチセは糸が切れた操り人形のようにパタリと倒れた。


・ ・ ・・・・・・………─────────────────………・・・・・・ ・ ・


 チセはまた夢を見た。

 彼女は湖畔の芝生の上に座っていた。隣にはエリザがいる。その光景からチセは今日が土曜であったことを思い出す。チセたちは最大週に二日だけ外出が許可されていた。なにも問題を起こさなければ外出できる。チセは毎週土曜にエリザと、火曜にナノと外に出ていた。

 太陽の光が燦々と降り注いでいる。心地良い風が二人の間をすり抜ける。そこに外出にあたっての担当職員がやってきて、二人に密かにもって来てくれたキャンディを渡してくれる。それを口に入れると、チセは傍らに置いていたスケッチブックを持ち上げた。土曜の日はエリザと湖畔で絵本作りをする日である。ほとんど気まぐれで始めてみたものであったが、いつしかそれが一番の楽しみになっていた。かけがえの無い思い出。暗闇の中の小さな光のような侵しがたい記憶。それなのにどんな話を作ろうとしていたのか、話が完成したのかすらもう覚えていない。


・ ・ ・・・・・・………─────────────────………・・・・・・ ・ ・


 チセが次に目を覚ましたのは翌日の明け方だった。彼女は体を起こすと、軽い頭痛に額を抑えた。いつ眠ったのか覚えていない。

 またしてもすぐにエルヴィラが食事を持ってやって来た。彼女は昨日と同じようにベッドの傍らの椅子に腰を下ろし、チセが食べ終えてから話しかけた。

「あなたの身体を検査したわ。頭の手術と薬物投与の形跡があった。心当たりは?」

 エルヴィラからの問いかけに俄かにチセは脳の奥から来るような痛みを覚え、頭を強く抑えた。エルヴィラは突然のことに驚き、椅子から立ち上がって彼女に寄り添う。

 チセの息が次第に荒くなる。

「無理に思い出そうとしなくて良い。ゆっくり息をして」

エルヴィラはチセの背をさすりながら声を上げる。その声に呼応するようにチセの呼吸に落ち着きが戻ってくる。

「大丈夫?」

 まだわずかに息を切らしながらもチセは軽く頷いた。

「アルトナーさんが守ったエリザという女の子も検査したけど、同様の結果だったわ」

「エリザは無事なの?」

「無事ではあるけど、良い状態とは言えないわ」

「どういうこと?」

「先ほどエリザもアルトナーさんと同じと言ったけど、その度合いが違う。もっと酷い状態よ。幾度も手術や投薬を繰り返したのでしょうね。深刻な脳の萎縮が見られる。彼女もこの病院にいるわ。望むなら会わせてあげても良い」

チセはエルヴィラに縋り付くようにして「会わせて欲しい」と頼んだ。


 エリザは病室の窓から差し込む陽光に包まれて静かに眠っていた。そこはチセがいた病室と同じような様相で、部屋の隅には監視カメラがあった。エルヴィラもチセとともにエリザの側まで行き、チセよりも一歩後ろで立ち止まった。

「しばらくすれば起きるとは思う。起きるまでここで待っている?それとも……」

「起きるまで待つ」

チセはベッドの傍らの椅子に腰を下ろした。

 それから十分程でエリザが目を覚ました。彼女は側にチセとエルヴィラの姿を認めて、驚いたように上体を起こす。

「チセ、今日は土曜だった?」

エリザの質問にチセは首を傾げる。

「昔の記憶が蘇ってきているらしいの」エルヴィラが彼女の近くで囁くように言った。「でも最近の記憶は抜け起きている。私を襲ったことすら覚えていない」

「そう、か」

「私は外に出てるから二人で話すと良い」

 エルヴィラはそう言うと、言葉通り病室の外へと去っていった。

 監視カメラがあるため見られていることには変わりないが、チセはそちらを一瞥だにせず全く気にしている様子を見せなかった。彼女は驚きや感動、そして罪悪感をないまぜにしたような目でエリザだけを見ていた。

「先生は行ってしまっても良かったの?」

 エリザが不思議そうに尋ねる。

「先生?」

「さっき出て行ったでしょ?新しい先生だって言っていたわ」

「ああ、今日は特別に二人にしてくれるって」

「今日はなにか特別な日だったかな。今日は何曜日?」

「何曜日だったか……私も覚えていないな」

「チセが忘れるなんて珍しいね。土曜日だったら嫌だな」

「どうして?」

「だってきっと外出の許可は出ないもの」

「私の方にも話は来ていないから土曜日ではないよ」

「そっかぁ。良かった。お話はどこまで描いたのだったかな?」

「私も覚えていないな」

「チセも?本当に珍しいね」

「思い出せるところまで話してくれないか?」

「うん、良いよ。どこまで描いたかも思い出せるしね」

 エリザは嬉しげに笑って、一つ咳払いをしてから語り出した。

「女の子は一人ぼっち。女の子はたいへんな病気で病院のベッドから出られません。みんながおそとで遊んでいるのを窓から眺めるばかり。

『いいなぁ。わたしもあんな風におともだちと追いかけっこしたりしたいなぁ。外の世界を見てまわりたいなぁ』

女の子はいつも誰もいない病院のお部屋の中でそう言っていました。

 そんな女の子を窓の外からいつも見ている子がいました。雲のように白くて小さな鳥です。白い鳥は女の子とおともだちになりたいと思っていました。でも勇気が出ませんでした。どうしたら良いのかもわかりませんでした。そんなとき、小さな白い花を見つけました。とてもきれいだったので、白い鳥はそれを女の子にも見せたいと思いました。

 白い鳥は女の子にその白い花を一輪もってきました。

 コンコンコンと病院のお部屋の窓を叩くと、女の子が顔を出してくれます。

『まあ、きれいな小鳥さん!それにきれいなお花』

白い鳥はよろこぶ女の子の手の上にお花を載せます。女の子は嬉しくて嬉しくてたまりません。女の子は一人ぼっちじゃなくなりました」

エリザはそこで眉をハの字にして、「えーっと」と額を抑える。

「女の子と白い鳥はお友達になりました」

 チセが言った。彼女は虚空を見つめていた。その様はまるで体はこの場にあるのに、心は別の何処か遠くにあるかのようであった。

「それから季節が一つ回った頃、女の子は大きな手術を受けることになりました。

『こわいわ』

女の子は白い鳥に言いました。白い鳥はもう一度あの白い花を探しにでます。花を見せれば、女の子を勇気づけられると思ったからです。しかし、前に花を見た場所にはありませんでした。どこにも見当たりません。白い鳥はもう少し遠くに行くことにしました。でも見つかりません。もう少し遠くへ。もう少し遠くへ。そうしているうちにどんどん病院から離れてしまいます。そんなとき大きな嵐がやってきました。白い鳥はつよい風のせいでうまく飛べません。必死に大きな木の下に降りようとしましたが、風に押されてその幹にぶつかってしまいました。すごく痛い。寂しい。白い鳥は思います。

『女の子は大丈夫かなぁ』

白い鳥はひとりぼっち。

 女の子もまたひとりぼっちになってしまいました」

小さな滴が床に落ちた。

「チセ?」

俯き、顔を隠すようにこめかみを押さえるチセを、エリザが心配げに覗き込む。太陽がちょうど雲に隠れ、部屋に影が落ちた。暫しの静寂が病室を支配する。

「いや、なんでもないよ」

 目元を拭うようにしてチセはそっと顔を上げた。そして、彼女は眼前に自分の罪を見た。


・ ・ ・・・・・・………─────────────────………・・・・・・ ・ ・


 エルヴィラは警備員の男とともにチセとエリザの様子を監視室で見ていた。そこには複数の大きなモニターが壁一面を覆うように備え付けられており、その一角にエリザの病室が映し出されている。

「二人きりにしてよろしかったのですか?」

警備員が尋ねる。

「大丈夫よ。彼女たちが逃げ出そうとしてもすぐ捕まえられるし、それにこのくらいの自由は与えてあげるべきだと思っているの」

「なぜです?」

「アルトナーさんには狂信的情熱も正義感もない。彼女はそういったもので動いているわけではない。ただ命じられた通りに動く兵士として作られ、概ねその通りに動いていた。理由は分からないけど、その洗脳が解けてきている。少なくとも彼女が私を襲ったのは彼女の管理者の意志ではなかったはずよ。それに命令を遵守しているといっても全くの機械のようなものでもない。ちゃんと感情もある。フローラには少なからず友愛の情を覚えているようでもあったしね。善に報われれば善を返し、愛を向けられれば愛を覚える、そういった人間性はあるのでしょう」

「それは同情を覚えたということで……ん?何か様子がおかしいですね?」

警備員は言いかけた言葉を飲み込み、エリザの病室が映ったモニターの一つの画面を拡大した。「泣いているのか?」

 エルヴィラはモニターに映ったチセを注視していた。


・ ・ ・・・・・・………─────────────────………・・・・・・ ・ ・


 顔を上げたとき、チセは心配げな目を向けてきているエリザの顔と、部屋の隅に佇む少女の姿をしたなにかを見た。チセはそれを知っていた。それは人の形を模しているが、人ではない。ワンピース姿のスラリと長い髪の少女―――人工的にさえ見える青白い光の集まりがその姿を形作っている。それは一切の表情すらなく、薄暗い部屋の端からただじっとチセを見つめていた。チセもまたエリザの肩越しにそれだけを見つめていた。彼女はそこに自分の罪を見た。

 記憶が彼女の頭をもたげる。チセは意識を失った。

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