1-3 襲撃
第二試合までの空き時間はそれぞれ好きな形で過ごすことになった。
ヘレナとイレーネは屋台を制覇するのだと息込んでナノを連れていった。
残されたチセとフロレンツィアがさてどうしようかと話していると、フロレンツィアを呼ぶ声があった。
声のした方向からはフロレンツィアと同じ白い髪の女性が駆け寄ってきていた。
「姉さん!?」
フロレンツィアがあからさまに動揺した声を上げる。そして女性が彼女のもとに来るなり、なぜここにいるのか、と詰め寄った。
「なんでって…フローラたちが勝ったから……」
フロレンツィアと彼女の姉は、その理知的な薄紅色の目や雪のように白い髪から一見して二人が姉妹と分かる程度には似ていた。ただし、フロレンツィアは年の割に大人びた雰囲気があるとはいえ、姉と比べると女性らしい凹凸が圧倒的に足りておらず、その点に関しては姉は妹にはない成熟した大人の魅力をももっていた。
「圧勝だったね」
「姉さん……」
フロレンツィアは嘆息し、姉を呆れ返ったような目で見た。「護衛は?」
「おいてきた」
「自分の立場ってものを……」
「そんなに怒らないで。ほら、お友達もびっくりしているよ?」
「あ……」
フロレンツィアは姉の言葉で思い出したかのようにチセを見て、そしてその友人の微笑ましげな表情に顔を赤らめた。
「私の姉です」
「初めまして。エルヴィラ・アイベンシュッツです。あなたはチセ・アルトナーさん……であっているよね?」
「私のことご存知なのですか?」
「フローラからの手紙でね。聞いていた通り美人さんね」
チセは軽く愛想笑いを浮かべ、口を開こうとした。しかし、続く言葉は硬い物がぶつかり合うような衝撃音によって遮られた。
エルヴィラの顔のすぐ真横に、直径1.5センチほどの鉛玉がまるで時が止まっているかのように静止していた。
そこに居る誰もがそれはエルヴィラを狙って、あり得ない速度で放たれた物であり、先の耳をつんざくような衝撃音の正体であることを分かっていた。にも関わらず、狙われている本人は談笑の続きでもするかのような微笑を浮かべていた。
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エリザは対象が隙を見せるのを鷹のような目でじっと待っていた。彼女は暗殺対象のエルヴィラが第一魔法場での対抗戦の観戦席に着くのを確認してから、第一魔法場の周辺なら対象がどこにいても狙える位置にある第2研究棟の屋上へと向かった。
エルヴィラが護衛をつけずに観覧席の外に出てきたとき、エリザは自分のような暗殺者を誘き出すための罠を疑い、すぐには行動にでなかった。
自らの周辺を警戒し、エルヴィラの周囲を確認する。
自分の周りには誰も居らず、またエルヴィラの周りにもすぐ彼女を守れる位置にいる者は見当たらない。
さて殺そうとエリザが考えた矢先、エルヴィラが二人の人物に近づいた。二人とも知っていた。一人はあらかじめ資料で見たエルヴィラの妹、もう一人は同じ施設で育ったチセであった。
チセを巻き込みたくないという、心のうちに一瞬生まれた願望は、エルヴィラの殺害という使命によって掻き消される。エリザはポケットから鉛玉を一つ取り出し、それを目の前まで浮かせるとエルヴィラに注意を戻した。
エルヴィラは一切警戒する様子すらなく、本当に楽しそうに会話していた。それがエリザの目にはどこか不気味に映った。しかし、次の行動を止めさせる程ではなかった。
彼女はエルヴィラの頭を狙って弾道を設定し、そして目視では捉えられない速度で宙に浮かせた鉛玉を発射させた。それはまっすぐ吸い込まれるようにエリザの頭まで進んでいったはずだった。しかし、狙った頭に直撃することはなく、その直前でピタリと止まった。
エリザはまず弾が外れてしまったことを疑い、間髪入れず第二撃を打ち出した。しかし対象が倒れることはなかった。それどころかエルヴィラは彼女の方を向いた。
エリザは、外したのではなく防がれたのだと気づくと同時に、自身の身体が屋上の壁面で隠れるように身を低くする。
おそらくあの一瞬では正確な位置までは知られていないはずだ――そう考えようとしても、恐怖と警戒心とが、すぐにその楽観的な考えを打ち消した。
エルヴィラがこちらを向いた瞬間、目があったような気さえした。
エリザはとにかく一瞬でも早くそこから離れることを優先した。
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エルヴィラは自分を狙った暗殺者の姿までは捉えられなかったが、弾が飛んできたであろう方角から大体のあたりをつけることはできた。
「フローラ、アルトナーさん、できる限り厚いシールドを展開してここから離れなさい」
そう言ったエルヴィラの声は、先刻まで談笑していた者とは別人のように冷淡で、その顔は身内のフロレンツィアをもゾッとさせる程に冷徹であった。
フロレンツィアは小さく頷くと、チセの手を取った。
「姉さん、大丈夫よね?」
「大丈夫よ。さっさと行きなさい」
「チセ、行きましょう」
チセは頷くと、自身の身体を覆うようにシールドを展開させた。フロレンツィアも同様の魔法を発動させると、チセの手をより一層強く握り締め、対抗戦の観戦場へと走り出した。
エルヴィラは妹たちが離れていくのを目の端で捉えながら、暗殺者が潜んでいたと考えられる場所に単身で向かって行った。その顔に恐怖の色は一切なかった。
・ ・ ・・・・・・………─────────────────………・・・・・・ ・ ・
チセはフロレンツィアに手を引かれる形で、第一魔法場の観戦席の人だかりの中に入っていきながら、心臓が強く脈打つのを感じていた。命の危険を感じているからではなく、興奮を覚えているからでもない。彼女は襲撃者の正体も襲撃の理由もなにも知らないが、唯一その者の居場所だけは手に取るように分かった。襲撃時にその影を見たわけではない。彼女自身何故だか分からなかったが、まるでもう一人の自分がそこに居て、その目に映した情報をこちらに伝えているかのような奇妙な感覚があった。チセはその不可思議な感覚に意識をもっていかれており、フロレンツィアに引っ張られるままにほとんど足だけを動かしていた。
フロレンツィアはしばらく後ろを振り返ることなく早足で観客席を通り抜け、姉の護衛の者が居るであろう場所へと向かって行っていたが、その途中で、ようやく友人がどこか放心状態にあることに気がついた。恐怖と焦りと友人を守らなければならないという使命感とに背を押されていた彼女は、そこで初めて足を止め、チセから手を離した。
「チセ……?」
フロレンツィアは無表情でじっと虚空を見つめている友人にゾッとなった。それは心配から来たものでもあり、また得体の知れないなにかと相対しているような恐れにも似た感情から湧き上がってきたものでもあった。つい先刻まで笑い合っていた友人がその瞬間、全く別のなにかになってそこに居るかのような感覚にフロレンツィアは襲われた。
「……ああ。悪い」
チセはその得体の知れないなにかから自分の意識を取り戻したように静かに、しかしはっきりと呟いた。
フロレンツィアが心配げに彼女の目を見る。
「大丈夫ですか?」
「少し考え事をしていた。すまない」
「いえ、あの、ごめんなさい。巻き込んでしまって」
フロレンツィアは視線を下に落とし、それから考えを無理やりにでもまとめるかのようにぶつぶつと呟いた。
「チセはここに居て……いや、私と一緒に来てもらったほうが……」
動揺が彼女に頭の中のまとまりのない思考を言葉にさせる。
「フロレンツィア」
とその時、チセがそっと彼女の手を握った。
「落ち着いて。フロレンツィアはどこに行こうとしていたんだ?」
「姉さんの護衛がいるところに」
「場所は分かるのか?」
「おそらくですが。どうやって姉さんが護衛の方々を巻いたのかは分からないし、ほとんどは姉さんを探しているだろうけど、少なくとも一人は観客席の元の場所にいると思います」
「そうか。ならフロレンツィアはそちらに向かって。私は先生にもこのことを知らせてくるから」
「でも……」
「別に私が狙われているわけじゃないだろ?私の心配は良いから」
チセが安心させるように言うと、フロレンツィアはまだどこか心配の色を残しながらも了解を示すように頷いた。それからチセの手を強く握り返し、祈るようにぎゅっと目をつむった。
「分かりました」手を離してフロレンツィアが言う。
フロレンツィアの小さくなっていく後ろ姿を見送って、チセもまた彼女とは別方向に急いだ。途中、教師の一人とすれ違ったが、一瞥するのみでそのまま通り過ぎて行った。
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エリザが第2研究棟の屋上から撤退しようとしたとき、彼女のうちには自分の居場所が特定されているのではないかという恐れとそれに対する懐疑とのどちらもが存在していた。しかし、屋上を出る扉に手をかける前に一度背後を振り返ったことで、その懐疑は悪い意味で消え去った。
エリザは屋上の縁に立つエルヴィラの姿を認めた。襲撃失敗からの時間とその時の互いの距離を考えると、エルヴィラは浮遊魔法でほぼ真っ直ぐこの場所に来たということになる。
エリザは自分より格上と思われる敵と相対してなお動揺を表に出すことなく、あくまで冷静に服の内側に隠し持ったナイフを抜き、臨戦態勢をとった。
次の瞬間、エルヴィラの背後から半透明の長い腕のようなものが勢いよく伸びてきた。その数は八本で、それぞれが放物線の軌道を描くようにエリザに迫ってくる。
エリザはエルヴィラに向かって駆け出した。エルヴィラがけしかけた半透明の腕はほぼ同時にエリザへと襲いかかったが、エリザから見て左側からの攻撃が他よりも微かに早かった。彼女はそれを後退しつつかわすと同時に、その腕をナイフで切りつけた。僅かに切り傷がついたものの、すぐに元通りになる。少なくとも通常のナイフ程度では切断不可能だと分かり、エリザは攻撃の回避に専念しつつ、服のポケットの中の鉛弾を左手で握る。そして続く攻撃を避けるとともに、それをエルヴィラに向かって高速で弾き飛ばした。しかし、その弾はエルヴィラの体に傷をつける前に、彼女が最小限のサイズで展開したシールドによって弾かれる。腕から逃れることで精一杯のエリザにはその様をはっきり確認することはできなかったが、目の端で捉えた、初期位置から一歩たりとも動いていないエルヴィラの姿から、自身の攻撃が全く何の意味もなさなかったことを悟ると同時にどう足掻いても勝ち目がないことを理解した。
エリザは縦横無尽に迫り来る半透明の腕をひたすらに避けつつ、逃げる方法を探す。しかし、その方法を見つけ出す前に限界を迎えた。逃げ道を見つけ出そうとほんのわずかだが、注意を他へと向けたために、それまで間一髪で避け続けていたエルヴィラの攻撃に対する注意がその分散漫になった。そのために四方から迫りくる攻撃に対応しきれなかった。
あわやここまでかと思われたその瞬間、エリザの周囲に彼女を取り囲むような半球の分厚い半透明の膜のようなものが突如として出現し、そこまで来ていた腕を全て弾いた。
エリザはその光景に目を大きく見開いた。直後、その瞳はエルヴィラの背後から現れた影によって彼女が横に大きく蹴り飛ばされる瞬間を捉えた。
エルヴィラがいた場所には先刻彼女と共にいたチセが立っていた。
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チセはフロレンツィアと別れると、第二研究棟の屋上へと向かった。それは理性による行動ではなく、ほとんど衝動に近いものであった。この問題に不必要に介入すべきでないという考えと、襲撃者の正体を知りたいという欲とがないまぜになって、心臓が早鐘を打つ。襲撃者の姿さえ見ていないにも関わらず、その場所が分かる。チセのうちには、その者が自分に似たなにかなのだという強迫観念にも似た考えが芽生えていた。それを明確に自覚する代わりに、彼女の動悸がさらに早くなる。動悸が早まるにつれて、思考がより薄まり、足が早く動く。まるで身体の内側に自分とは別の存在があり、それが自分の身体を動かしているかのようでさえあった。
第二研究棟の屋上へと浮遊魔法で浮かび上がった時、チセの瞳は、迫りくるエルヴィラの魔法に取り囲まれ、逃げ場を失い、瞬時固まってしまっているエリザの姿を捉えた。その瞬間、チセは考えるよりも早く、エリザを守ように彼女の周りにシールド魔法を展開していた。そしてエルヴィラが背後を振り返るよりも早く、空中で横に半回転して彼女を蹴り飛ばした。
チセとエリザの目が合う。エリザはその眼が転げ落ちそうなほど目を見張っていた。チセは彼女のところまで駆け、その周囲に展開していたシールドを解除した。
「エリザ、なぜ……」
チセは一度言いかけた言葉を飲み込み、より直接的に尋ねた。
「あそこの女性を殺すためにここに居るということで間違いないか?」
努めて冷静を装っていたが、その内心は焦りと動揺とでぐちゃぐちゃであった。それが有無を言わさぬ迫力となって表面に現れていた。エリザはすぐに頷いた。
エリザの肯定を受け、チセが踵を返す。彼女の目線の先には倒れたエルヴィラがあった。
チセは自らの行動を省みて、全てを台無しにしてしまったと考えた。だが、目撃者がエルヴィラ一人であるのなら、彼女さえここで殺してしまえば、なんとかなるかもしれない―――チセはその一縷の希望に縋るように魔法を発動させようとした。
刹那、倒れたエルヴィラの周囲からイソギンチャクのような無数の半透明の腕が出現し、チセとエリザに向かって伸びてきた。チセは咄嗟にエリザと自分とを覆うシールドを展開させ、それらを弾く。
エルヴィラは上から糸で引っ張られるように数センチ宙に浮かび上がると、冷徹な瞳をチセへと向けた。
「アルトナーさん、一体どういうことかしら?」
チセは答えなかった。代わりにシールドの範囲をエリザがギリギリ入る程度に狭め、その密度を上げる。
結果としてシールドの外に出たチセに、エルヴィラの魔法の腕が一斉に襲いかかる。しかし、それらはチセに触れる前に全て切断されるとともに、その軌道をずらされた。
エルヴィラが目を見開く。
そこには10本の剣に囲まれたチセの姿があった。
「魔力量の数値が120もあるっていうのはどうやら本当らしいわね」
エルヴィラが少し引きつった笑顔を浮かべる。
チセは周囲に剣を五本残し、残り五本をエルヴィラへと放った。しかし、放った剣は全て、エルヴィラへと到達する前に無数に重なり合った魔法の腕によって弾かれる。先刻はその腕をほとんど抵抗なく切断できていたためにチセの内には瞬時の驚きがあったが、彼女は表に出すことはなく、間髪入れずに向かってくる腕を避けつつ、その攻撃を冷静に観察する。半透明でありながら、先刻よりもはっきりと見えるようになっている。エルヴィラがその魔法に注ぎ込む魔力を増やしたためであろう。そのために腕の強度が増した。チセは自分の周りに配置した魔法の剣を二本手に取り、それらにさらに魔力を注ぎ込む。
魔法の腕を回避したり、周囲の剣でその軌道をずらしたり、時に両手に持ったそれらの剣で切断したりしながら、エルヴィラへと近づいてく。絶えまない攻撃の中にあって、その動きは滔々と流れる川の流れにしたがっているかのようで、一切の乱れなく、滑らかであった。見る見るうちにチセとエルヴィラの距離が縮まっていく。
間合いに入った瞬間、チセはその手元すら目で捉えることのできないほどの速度でエルヴィラの首に向かって剣を振るった。が、その首が体から離れることはなかった。
チセは大きく踏み込み、右手の剣をエルヴィラの首に当てる直前の体勢で固まっていた。それはチセの意思によるものではなく、彼女には何が起こっているのか全く理解できなかった。左手の剣を振るおうとしても、後ろに退こうと力を入れても微かに震える程度しか動けない。彼女の周囲の剣も魔法の腕に押さえられ動かすことができない。
「明らかな勝機もないのに一人で戦おうとするわけないでしょ」
エルヴィラは、どうにかその場から動こうとしているチセを見下ろして言った。チセが薄れゆく意識の中、最後に見たのは彼女の冷たい目であった。
その日を境に、チセは姿を消した。
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