蓮太郎と藍が出会ったのはある田舎の公立高校の入学式だった。

 二人は二年間同じクラスだった。そして、学年1,2を争い合う程の秀才であった蓮太郎と藍は気付いた頃には互いにひかれあっていた。

 蓮太郎が藍に己の想いを打ち明けたのは高校二年生の夏休みの前、前期の終業式も日だった。蓮太郎の告白に藍の二の句はなく一言で快諾した。それから、二人は暑い休みの日々を二人で過ごした。共に勉強し、共に食べ……。共に寝たのは、付き合い始めて二週間が経った日だった。

 藍が着衣を払った時、蓮太郎は既に違和感を感じていた。藍は頑なに蓮太郎に背を向けようとはしなかった。行為が終わった時、その違和感は鮮明なものとなった。蓮太郎は藍の背中に多量の痣とやけど跡を認めた。

 蓮太郎は藍に尋ねる。

「そ、その背中の痣は……?」

 表情を変えず藍は答える。

「階段から落ちちゃった」

「そんなはずないだろ!」

 蓮太郎の怒りが滲んだ声に藍の体が震える。

「…………お父さんに」

「虐待……ってことか?」

「違う。教育……だって言ってた」

 藍には父が下した罰が虐待だという自覚が無かった。いや、違うとそう自分を騙していた。しかし、愛しき蓮太郎の怒りの形相を見て、その薄氷のような自覚も割れつつあった。

「君のお父さんは、君の体に教育と称して傷を付けた。そうだな?」

「うん」

「それを虐待と言うんだ!」

「うん」

「話してくれ。お父さんが君に何をしたのか」

「うん」

 藍はポツポツと語りだした。まだ物心もつかぬ頃に母が死んだこと。物心ついた頃の父は藍をよく愛してくれていたこと。最近リストラされた父が酒浸りになって暴力をふるってくるということ。

 語り終えた藍の頬に一筋の雫が伝う。ひくひくと揺れる肩は今にも崩れてしまいそうだった。

 蓮太郎は震える藍を抱きしめた。そして、必ず救うと誓った。



 藍が生まれて2年が経った冬、藍の母、あおは死んだ。藍の父、橙助とうすけは一人で娘を育てることを強いられた。藍はそこまで手がかかる子ではなかった。だが、初めての子育て、一人での子育て、藍が成長してもなお橙助の懊悩は常人の比ではなかった。懊悩が視界を歪める。歪んだ視界では娘すらも歪んで見える。歪みを押し付けるように橙助は藍に暴力を振るった。寂しさを隠すように。



 そこからは早かった。蓮太郎はまず藍のことを両親に相談した。幸いにも蓮太郎の両親は役場勤めだったため、あれよこれよとことが進んだ。

 結果として藍は父親から離されることとなった。そして、施設で暮らすこととなった。しかし、近場に受け入れ可能な施設が無かったため、東京の施設で暮らす運びとなった。

 藍は始め東京に行くことを拒んだ。そんな彼女を説得することが蓮太郎に課せられた役目だった。


「行きたくない気持ちはよくわかるよ。でも行かなくちゃ」

 蓮太郎は同情を混ぜ説得を試みる。

「でも……一人になりたくない。お父さんは、今はああなってしまったけど昔は私を愛してくれていた。お父さんと離れて東京に行ってしまえば私は一人よ。誰も愛してくれない。だから……私はここにいたい」

 藍の自分のことを忘れているかのような物言いに蓮太郎は憤りを覚えた。

「俺は?俺は君を愛している。いくら君が離れようとそれは変わらない。俺は愛する君が傷つくのが嫌だ。だから、頼むよ。もうこれ以上傷つかないために行ってくれ。俺は東京の大学に進学する。だから、それまで待っててくれ。それまでは、君が寂しくないように手紙を書くよ。君が望むなら毎日でも。君を一人になどしない」

 蓮太郎の宣言に藍の気持ちが揺らぐ。

「本当に来てくれる?私を一人にしない?」

「ああ、約束する。絶対に一人にさせない」

 藍の瞳は今にも涙が零れ落ちそうなほどに潤んでいた。その瞳には蓮太郎の微笑みが映っている。

 藍はもう寂しい思いはしなくていいのだと安心した。蓮太郎さえいれば独りではないのだと。

 日が傾いた橙の公園で、二人は震える唇を重ねあった。



 藍が東京で暮らし始めてから2年の月日が流れた。藍は19歳になった。藍は施設から離れ、六畳一間のアパートで一人バイトをしながら暮らしていた。2年が経った今でも蓮太郎からの手紙は絶えず、約束通り藍は一人ではあっても独りではなかった。

 蓮太郎からの手紙に拠ると蓮太郎は、今東京の大学に通っているらしい。

 藍と蓮太郎の二人には共通して偶然再会したいという思いがあった。だから、あの夏以来の再会は未だ迎えていない。藍は今日も再会の夢を見ながらコンビニのバイトに精を出していた。


 藍が蓮太郎と再会したのは、藍が治験に参加した時だった。

 この頃の藍は困窮していた。働き口が続々と潰れてしまったからだ。だから、藍は生きていくために、夢を叶えるために、金を求めていた。今回の治験もその一環だった。

 ある大学病院の大部屋、治験の参加者が集う部屋に藍と蓮太郎は居た。

 治験初日に二人は顔を合わせていた。しかし、互いに気が付いたのは治験が始まって一週間の晩ことだった。藍は蓮太郎の見目が変化していたために、蓮太郎は自分が変化してしまっていたために気が付くことにそれだけの時間を要することとなったのだ。

 再会の晩、二人はここ2年のことを語り合った。蓮太郎もこの日を待ちわびていた。

 藍は語った。施設で浮いていたことを。蓮太郎の手紙のおかげで孤独を感じることはなかったということを。蓮太郎はよく頷きながら聞いていた。

 蓮太郎は語った。藍と再会するために、無我夢中で勉強したことを。東京に来てからは藍と会えることを期待して毎日を送ったことを。しかし、自分の髪色が変わっている理由を語ることはなかった。



 藍を救ったことが学校中に広まってしまった蓮太郎は、一躍一目置かれる存在となった。蓮太郎は周囲が騒ぎたてることなど気に留めていないはずだった。しかし、過度な称賛は蓮太郎の心に歪を産んだ。具体的には、蓮太郎は自身の行いの全てが正しいと思うようになった。


 その歪がやがて比翼連理を引き裂くことになる。



 再会してから8年、蓮太郎が北見研究所に就職したことを機に二人は結婚した。

 最終的には結婚したものの、その過程は多難であった。藍の住むアパートで火災が起きて突然同棲が始まったり、些細な痴話喧嘩で1か月も藍が家出したり、それはもう多難であった。

 だが、結婚してからも災難は尽きなかった。


 結婚してから2年が経過し蓮太郎の給金が安定してきた現在、二人は子を持つことにした。藍の不妊が発覚したのもこの時だった。

 藍の不妊が発覚した時、蓮太郎は「気にすることはない。それなら二人で生きよう」と藍を励ました。しかし、蓮太郎の母はそれを許さなかった。彼女は蓮太郎にばれないように藍に連絡しては石女と罵った。

 勿論、藍はそれを蓮太郎に相談した。しかし、蓮太郎はそれを、母の蛮行を信じようとしなかった。藍がしつこく言えば、渋々といった様子で母を問いただすこともあった。それでも蓮太郎は母の物言いを一方的に信じた。

 藍は蓮太郎への不信感を覚え始めた。

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