第26話

『――先日7日より行方不明となっている〇〇氏については、現在も捜索が続けられておりますが……――』


 夏の日差しが格子状の光となって降り注ぎ、理性を蒸発させていく。

 そのなかで、常軌を逸したニュースが流れていても、麻痺した感覚のなかでは分からなくなる。

 『ゆくえふめいじけん』は、もはや、どれほど鈍感な人にとっても偶然では済まされぬような、不穏なものとして町全体に広がっている。

 見えない何かが、このうだる夏の白い世界を、おおっている。


 されど人生は続く。

 クラスメイトの怪我は治っていた。

 立派なもので、あの日の出来事については触れなかった。

 あとはお互いに、宿題との格闘を誓い合って電話を終える。

 暇ができれば、ときどき会って、だらだらと喋ったり、カラオケに行ったりする。

 住所を知っているわけでもない。

 親友といえるほど親しいとも思わない。

 それでも一緒に居られるというのは、きっと今後にとっても重要なことなのだと思わされる。


 ……那由多と対面した時の、あの多幸感、そしてそれと同じ量のプレッシャーは、ない。


 あんな別れ方をして、気にならないわけがなかった。

 だから僕は、偶然を装って、二度、三度、彼の集合住宅の前を通り過ぎたりした。


 すると、彼も同じことを考えていたのか。

 狭いエントランスで、夏の幻のように茫漠としたシルエットで佇んでいる彼を目撃したことがある。


「あ……」


 どちらが発した声かは分からないが、気まずかった。

 気まずかったけれど、何もしなかった。

 彼が謝るまで、あるいは、なにかしらを釈明し、心のうちを曝け出し、知っている彼と同じ存在になるまで、僕は手出しをしないことにしている。


 僕は立ち去って、アスファルトのひびから生える雑草の奥で、彼の蜃気楼はそこに居たままになっている。



 意外だった。

 事態は、何も変わらないまま、ゆっくりと過ぎていくものだと思っていたけれど。


「――行方が分からなくなっていた〇〇氏が、九日未明、都内某所で、遺体で発見されました。警察は、――」


 遺体。

 背景と同化し、完全に居なくなって消え去ること。

 街から人が消える。希望ごと、ねこそぎ、そのまま。


 父が、アイスを食べたいと言っていた。

 別に要求されたわけでもないけれど、ただ、買っていったら、喜んでくれるかな、と思った。

 だから買いに出かけた。

 それだけのことだったのに。


 街頭の大きなスクリーンに映されたそのニュースは、僕をすっかり厭な気持ちにさせた。

 なにか、途方もなく大きなものとたたかわされている気になる。それはつまり、勝てない、ということだ。


 ――やっぱさ、あれなんじゃないの。ほら、噂になってる。

 ――なに、なに。

 ――宇宙人。本屋でも見たけど。動画もあるよ、ほら。何か、拉致して、解体して、どうのって。

 ――ばか、そんなことあるわけないでしょ。


 街の声。

 バカバカしいと否定してしまえばそれまでだけど、僕の耳には今不快に聞こえる。ある程度納得できてしまうからだ。


 ……見えない何かが、侵略をはじめている。この、狂った夏にまぎれこんで。

 見えない何か。

 せつめいのできないなにか。

 日常に溶け込んでしまうほど僕らにそっくりだけど、明らかに、それとは違う、なにか。


「さわいでるよな」


 ――声。

 僕が画面から目を離すと、そこにいた。


 那由多。


 彼の周囲から音が消えて、耳に水がつまったみたいになる。

 彼だけだ。僕に見えているのは。


 僕らは、往来の真ん中で、彼と向き合っている。

 手にはアイスの入ったエコバッグをぶら下げたままだ。早く帰らなきゃ。

 でも、そこに那由多がいる。

 あまりにも、おあつらえ向きのタイミングで、彼は現れた。

 座標を宇宙から投影して、ワープしてきたみたいに。


 彼は変わらず、学生服姿だ。

 それで、ポケットに手を突っ込みながら、こちらに向けて、「いつもの」いたずらっぽい笑顔を向けている。


「なゆ、た……」

「必要以上に騒ぎすぎだっての。俺たちが居るからって、なんだよ、なぁ。差別だぜ、まったく」


 彼は僕の声を聞いていない。

 実際それは幻かもしれなかった。一方的に語りかける。


「話をしてるだけだ。ネタになればいいと思ってる。誰も本当は気にしてない。自分の身が守れればそれでいいんだもんな。俺もやりやすいよ」


 何を言っているのか。

 わからない。あたまがくらくらする。はやくアイスを持って帰らないと。


「俺は本当に、お前以外、どうだっていいんだなぁ。お前は、俺が選んだクリャシュノフェシュだから」


 そんなこと言うなよ。

 どうだっていいなんて言うなよ。


 ――そんな言い方、許さないぞ。

 ――そうやって君は、彼を傷つけたし、部屋に鍵だってつけてなかった。


「じゃあさ、お前」


 声が聞こえる。

 突き付けられる。


「じゃあ、お前にとっての、そいつと……”ともだち”の差って、なんだよ」


 心臓が痛む。

 バッグを取り落とす。

 気付けばそこから那由多が消えている。


 そして次の瞬間に――轟音が、耳に飛び込んでくる。


 振り返ると、人々の悲鳴が聞こえた。

 車が、街路樹に衝突しているのが見えた。それは前面から炎と煙を吐き出している。

 人だかり。ざわめき。シャッター音の連なり。


 ――おい、なんで急に。

 ――わからない、とつぜんつっこんできたんだ。何かに操られてるみたいに。

 ――はやく、救急車、警察。電話しなきゃ。


 運転席では、男が額から血を流して気を失っている。


 やっぱり、那由多はそこにいない。僕は車に群がっていく人々に何度もぶつかられて、自分に何もかも足りないことを突き付けられていた。


 ――結局、半分以上溶けてしまっていた。

 父が気付いたかどうかは分からない。


 いまはどうでもよかった。

 途中、事故を見たことは、母親からも聞かれたが、大して答えなかった。


 アイスについては、箱から一本とりだして、食べもせずに洗い流してしまった。


 何かの儀式のように。

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