第25話
それは那由多であるはずだった。
認めたくないのは、彼のことを「こわい」と感じたからだ。
ドアを後ろ手に閉めるのも、靴を脱いで、ゆっくりとこちらに向かってくる挙動も。
彼の顔には薄い笑顔がある。
だけど、なぜだろう。いつもと同じ角度の眉、口角――不安。
視界が斜めになるなか、僕は後ずさる。
なぜ、そんなことをする必要があるのか。彼が口を開く。
「不法侵入だぜ。通報してやろうか」
「開いてたじゃないか」
「開いてたら入るのかよ。ワルくなったな、お前も」
「話をずらすなよ……君は一体、この部屋で、」
「何をしようとしていたんだ、か?」
彼が言った。
平時ならいつもの「いたずらっぽい口調」で片づけられそうなそれは、今その瞬間、詰問の調子を帯びている。
僕はどんどん後ろに下がる。足で、工具を踏まないように。そうすれば爆弾がはれつする。そんなきもちで。
「お前には、関係ないことだぜ」
「そんな……」
いともあっさりと。否定。断絶。
腹が立つ、のを感じる。安心する。彼にまだ期待することができる。このあとの返答を。
だから、意を決して、一歩前に踏み出して。
「関係ないって、なんだよ……僕ら、友達じゃあ、ないのかよ」
父さん。すまないと思う。
あなたが僕に与えてくれた安心を、僕自身の手で、捨て去ることになる。
「答えろよ、那由多――」
「友達。友達、ね…………俺らが?」
彼は、「嗤った」。
口の端だけをつりあげて。
僕は確信する。
僕が今、対峙しているのは。
踊り場で一緒に詩集を眺めていた彼でも、本屋に出かけた彼でもない。
こいつは。
これは――あの夕暮れ、あの謎の男と対峙し、コンビニの駐車場で友人を事故にいざなった、あの水城那由多だ。
そして、その水城那由多のことを、僕は、まったく違う生き物であると考えているのだ。
僕の中に、別のレイヤーが差し込まれる。
これは会話じゃない。
対決だ。未知の生命体との。
「じゃあ、お前、聞くけどな。あいつらはなんなんだよ」
彼の企図するところは明白だ。
「……クラスメイトだよ。それが、どうしたんだ」
「一緒に帰ってるだろ」
詰問。
「そりゃ、そういうこともあるだろう。仲が、良いなら――」
そこで、はっとする。
今のはまずかったかもしれない。
明文化できないけど、そう思った。そして、案の定。
「へえ、お前がな、お前が、他の奴と仲良く、な」
悪意の籠った言い回しだ。揶揄するような。
これまで、そんな彼を見たことがなかった。
それが、剥き出しの彼なのか。それとも、別の何かなのか。
僕はおそれ、形勢が不利になるのをかんじる。
「何が、言いたいんだ」
「お前、そんな風に、ひとりじゃなくなるんだな。最初とは大違いだ」
「……でも、だけど。僕は別に、あいつらのことを何にも知らない。友達と言えるかどうかすらわからない」
「じゃあなんで一緒に居るんだよ、友達でもないなら、一緒にいる理由ないだろ。お前が嫌う連中だぞ」
「そんなの、」
彼の追及はとまらなかった。
「矛盾してんだよ、お前。おかしいぞ」
「そんなの……おかしいのは、そっちだってそうだろ」
だから僕は反撃に出る。
しかし躊躇いながらだ。
いまこの瞬間、僕たちの関係がぐにゃりと溶けて曲がって、知らない領域に突入している。
それをなによりもおそれていたのに。
夕暮れはもう、過ぎてしまったのか。
口はまわるが、僕の内心の部分は、必死にそれを否定しようとする。
だが、もうとまらない。
「なんで、そんなのがあるんだよ」
散らばる工具を指さす。
「そんなに僕にいろいろ聞いてくるなら、そっちだって教えろよ。何に使うんだよ、何がしたいんだよ」
那由多は苛立たしげに頭を振って、舌打ちをする。
「……だから、お前には関係ないんだって」
「結局逃げてるんじゃないか。君は僕から逃げてるんだ。答えられないくせに」
歪んだ喜悦。止まれ、止まれ。
「君は僕と同じだって言うけど、僕のほうにその実感がわいたことなんか、殆どないんだぞ。それどころか僕は、みじめなばっかりだ。だから僕は君に負けないように、
君以上に、色んな奴と仲良くしてやろうと思ったんだ。君の影響なんだぞ」
「お前……」
まくし立てながらも、僕は視界の端にうつる凶器をおそれている。
こっちが勝っているわけじゃない。僕はおそれている。
不法侵入のことなんか、頭からぬけおちている。そのまま、工具で頭を砕かれるところまで、僕は止まらない。止める手段をしらなかった。
「僕らの間がクリアにならない限り、僕は君と再び仲良くすることなんか、出来ない。君が、彼に謝らない限り」
そこまで言って、ひといき。
ようやく。
ようやく僕は後悔し、呆然とする。
取り繕うことばをさがし、硬直する。
彼は――また頭を掻いて。
「そうかよ。お前、言ったな。言えるだけ」
僕に、ちかづいてくる。一歩、また一歩。
彼の顔に影がかかって、彼を知らない顔にする。
唾をのむ。
その時。
インターホンが鳴った。
「すいません。なんかすごい騒ぎが聞こえたんですけど。大丈夫ですかぁ」
間の抜けた声。
近隣の住民だろうか。
直前までとはうってかわった。
……そこで、打ち止めだった。
彼を見たとき、彼は僕から目を背けて、うつむきながらつぶやいた。
「今日はもう……おしまいだ。分かってるだろ」
残念ながら、遺憾ながら。反論の余地はない。
「帰ってくれ。鍵はただの、閉め忘れだ」
何か、かける言葉を探した。
それは、形だけの、うわべだけの謝罪かもしれなかった。
だけど僕は「賢明にも」何も言わないことを、選んだ。
薄暗い部屋、がらんどうの、がらくたのとびちるへやのなかでひとりたたずむ彼を置いて、僕は、部屋を出る。
瞬間、驚いた顔の、インターホンの声の主らしき男が居たが、無視をして、脇を通った。
そこからは、家に帰りつくまでひたすら、修行僧のように目を瞑っていた。
いまは何も視界に入れたくなかった。
なんの「解釈」も、したくなかったからだ。
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