第23話

 那由多が、わからない。

 その事実に気付いた時、僕は多少なりともショックを受けた。

 あれだけ、ともに時を過ごしていた存在が、ふいに自分の元を離れて、知らない領域に行ってしまう。

 最初から彼はそうだったじゃないか。そういわれればそうなのかもしれない。

 だけど違うのは――今の「わからない」が、何か、言い知れぬ不快感、とげのようなものを伴っているということだった。

 それは、言ってしまえば、彼に対する「反感」でもあった。

 そう思う自分さえ嫌悪し、僕は深みにはまっていきそうになっていた。


「くそっ……!」


 僕は部屋で一人、悪態をつく。こういう時、誰にも相談できないのが僕の弱さだ。

 

 ノック。どきりとする。

 入ってきた。


「居るか」


 父だ。一瞬身構えた。


 しかし現れた父は亡霊のような出で立ちでもなければ、僕を威圧する姿でもなかった。

 髪型こそそのままだが、目がさえていて、意識が明瞭であるように見えた。

 虚をつかれたきもち。


「どうしたの」

「いや、その、な」


 父は所在なさげに部屋を一瞥した後、床に座り込む。僕に目こそ合わせてこないが、そのまま続けた。


「お前。昨日から調子が悪そうだ。どうした、何かあったか」


 意外だった。

 意外なほどに、父親としての言葉だった。

 最初は驚き、そして次には、ひどくあっさりと、凝り固まったこころがほぐされていくのを感じ、それが言葉を吐き出させた。

 ――あるいははじめから、その瞬間を待っていたのかもしれない。


 僕は話した、友人のことが、わからなくなった、と。

 あれほど近くにいたのに、最近は随分と遠くに感じられる、と。

 かといって、以前の関係性に戻ったとか、そういうわけではなく。もっと別の、得体のしれない何かに変貌していきそうで怖いのだ、と。

 那由多であることは言わなかった。

 あの海の日のことが尾を引いていたからだ。


 だから父は、僕の言葉をすげなくあしらうのかと思った。

 実際は違った。


「それは、難しい話だな」


 父は深く考え込むように息を吐いて、言った。


「友達ってのは、分からないもんだよ。父さんも……大学時代、たくさん友達がいたけど。みんな疎遠になってしまった」


 はじめて聞く、父の話。


「だけどな。今思うと、父さんはそいつらのことをわかろうとしすぎてたのかもしれないな。だから、それで喧嘩になったりしてしまった。その結果が、今だ」


 父の話。

 近くて遠い存在だった父の、リアルの、過去の話。

 それはなめらかに、僕の心にはいりこんでくる。


「……」


 父の、においを感じる。

 これまでただ、おそれるだけだった父の、体臭のようなものが、身近に。


「どれだけ仲良くなったり、関係が深まっても。他人は他人でしかないのかもな。でも、お互いのことをよく知らなくても、一緒に居て心地がいいなら、それだけでいいんじゃないかと、父さんは思う」


「その友達が……僕には言えないような秘密を、たくさん抱えていても?」


「それは、言ってしまえば、お互い様だろう。なんなら、父さんだって、お前に言ってない秘密を、たくさん持ってる。でも、俺とお前は親子で居られる」


「……」


 意外なほど、抵抗なく、その言葉を受け入れている自分に気付く。

 それは父の人生だった。切り分けられて、僕の目の前に提供された、父の知らない部分だった。

 だけど、知ってよかったと、いま感じていた。

 素直な感銘。

 ――あの夕暮れとは、まるで違う、在りし日にほど近い、父の落ち着いた姿。


「……ありがとう」


 なんだかむしょうに、懐かしくなって、切ないような、胸が締め付けられるような気持ちになって、父をいとおしく思った。

 だから、そう言った。

 父は困ったように頭を掻き、少しだけ笑った。


「大したこと言ってないぞ。こんなんでいいのか」


「いいんだ。ありがとう」


 うれしかった。

 父は、あたたかかった。


 少なくとも、次の行動の原動力になるぐらいには。

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