第20話
セミがじくじくと鳴いている。
そのうっとうしい声とともに、僕は加速させている。
日々の暮らしを。
僕の内面で起きた変化は、少しずつ、外へも表出していくようになっていた。
「サコタ、ちょっと手伝ってくれ」
「分かった」
僕は、那由多以外のクラスメイトとも、ほんの少しずつだけれど、交流を重ねられるようになっていた。
それはほんのささいなことだ。
僕自身、予想もしていないほどに。
誰かと仲良くなるきっかけというのは必然ではなく偶然なことが殆どだが、そのきっかけ自体をつくろうとするのは自分自身の意思。
僕にはそれが欠如していたが、今は違う。
まず、少しだけ、近くの席のクラスメイトに話してみた。
先生の話が長くなって、休憩時間が圧迫された時。
僕は、小さく「長いよな」とその男子生徒に言った。すると彼は、なんの驚きもなく、ごく自然に「そうだよな」と返した。
それは僕にとっては革命だったけれども、皆にとっては自明のことだったのだ。
僕は――少しずつ、外へ向けて、コミュニケーションをとるようになっていった。
「サコタさ、さっきのアレどう思う。ひどいよな」
「……うん、ひどい」
「一瞬寝るくらい誰だってあるっての。なぁ」
友達、と呼べるかどうかも分からない、何とも言えない間柄。
ついこの間まで名前も印象になかった生徒たち。
なんとなく集まって、なんとなく話して。
時間が来たら、とくに別れを惜しむこともなく解散する。
ああ、でも、それは立派な「社会」だ。
僕がこれまで参画していなかったものが、そこにあった。
サコタという個が、教室のなかで、少しずつ皆に受け入れられるようになっていた。
僕は感謝すべきだろう。
ほかならぬ、那由多に。
彼が僕との出会いで自分自身の孤独について気付いたように、僕もまた、伸びしろに気付けたのだから。
……僕が他の皆と話している間、彼の姿を見ることはない。
大抵、トイレかどこかに行っているらしい。それは彼なりの気遣いなのだろうか。
あるいは、かつての彼に対する僕の態度のように、新たな側面を見せる僕に、彼なりに戸惑っているのかもしれない。
いずれにせよ――僕は、また那由多と話をしようと思った。
きっと苦しいだけじゃない、世界の話を。
◇
格子状に切り取られた夏の空を、飛行機雲が切り裂いている。
クリームの混じった空の色が全力で降り注いでくるなかを、僕たちは先生の訓示を話半分で聞いている。
「えー、というわけで。まぁお前たちがわざわざニュースも新聞も見るとは先生も思ってないけどもだ、噂くらいは知ってるんじゃないかと思うんだ」
少し笑いが起きる。僕もつられて笑う。那由多は先生の方を向いていて、同じく笑っていた。
なぜだろう、ほっとする。
「えー最近、行方不明事件な。あれ、ほんと増えてます。被害に遭われた方の大半は携帯やSNSの通知をオフにしていたらしい。そういうところから不安ってのは広がるんだ。だから注意するように」
ことば。
それは、多少の実感をともなって、僕たちにも波及する。
暑さにめまいがしているうちに、いつの間にか日常に入り込んでいる異物。きっとそれは、こうして明文化されないような多くのものも含まれているのだろう。
何が起きているのだろう、と精査する前に、世界は次々とかたちをかえていく。
僕たちはそれに、抵抗できない。
あらためて突き付けられた事実。
ふと、聞いてみたくなった。
あの時那由多は、世界を二人占めしようと言ってくれた。
なら、その世界に、異物が入り込んでいるとしたら。
君は一体、どうする?
「……先生は。あぁ言ってたけど。こわいよな。どうすればいいんだろう」
「さぁな」
気のない返事。
ちょっと不満。
同時に――少し、不穏に。
僕は、君の考えを、深く聞けた、ためしがない。
ゆっくりと首をもたげてくる、それは「欲」にちがいない。
駄目だ、止めなければだめだ。
しかし、口は動いてしまう。
「答えになってないじゃないか。もっとちゃんと考えて言ってくれよ」
「だって――本当に、そうとしか、思わねぇもん」
那由多はかわらない。
ニュースで報道される人数。
疫病の流行。世界で起きている戦争。
すべてが、夏の温度の上昇とともに、指数関数的に大げさに爆発していく。
そのなかにあっても、那由多は変わらない。
もしかしたらとっくに、全部がおかしくなっているのかもしれないけれど、僕にとって那由多は、保冷剤のようなものだから。
どれだけ世界が崩れていっても、正気を保つことができるのだ。
――本当に。
――「本当に?」
ある日、学校の帰り道。
夏休みに入る前の、最後の日だったと思う。
僕は、電車の座席で眠りに落ちようとしていた。
隣に居るのは那由多だから、彼にもたれてしまおうと、そう思った。
だけど、それは彼じゃないことに気付いた。
全然関係のない、真っ黒な、いやになるほど真っ黒なスーツ姿の男で。
那由多はとっくに、降車していたらしかった。
スーツの男は迷惑そうな顔をして僕の頭を反対側へ押しやった。
僕はといえば、謝意を感じるどころか、呆然としている。
――君、そこ、降りる場所、違うじゃないか。
そうして僕の頭の中に、開け放たれたドアからホームから、セミの声が入り込んできて、ぜんぶをうめつくしていく。
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