第5話

 次の日。

 僕には、ある予感がしている。

 それを待っている。


 あの時と同じように、僕は昼休み、階段の踊り場にすわって、詩集をひらいている。それはもう読み終わったものだ。しかし、それでなくてはならなかった。


 廊下に反響する上靴の音を聞きながら、同時に僕は、自分の鼓動も聞いていた。

 その瞬間を待っている。

 訪れなければそれで終わりだ、むしろそちらを望んでいる自分もいる。


 だがそのときは、あっさりと訪れた。

 あまりにも都合よく。


 僕はめまいがして、ここが現実ではない場所のように感じた。

 あるいは、実際にそうだったのかもしれない。


「なんだ、やっぱりここにいたんだ」


 まうえに、那由多がいた。

 彼の髪は、陽の光をあびてきらきらとかがやいていて、そのまつげも、同じひかりで、満ちていた。

 こちらの苦労など知ったことではないように、彼はあっさりと、全くおなじ状況で、姿を見せた。


「おまえ。それ、好きだよなぁ」


 彼の声には不思議な調子が含まれていて、音が反響するこの場所にあって、妙に籠って聞こえるのだった。

 つまり、僕の耳に、距離を飛び越えてとどくのだった。

 僕は彼をちらりと見て、もう一度詩集に目を落とす。


「くひひ」


 その声だ。

 僕は、期待しているのか。

 彼がすぐそばにやってくることを。

 その不思議なかおりの皮膚が、近くに感じられることを。

 その頬の、うぶげが――……。


 だが彼は。


「あ。やべ。わすれてた」


 僕の横を、通り過ぎて、おりていった。

 かおりは、なにもしなかった。

 気付けばもう、彼は階下に居て、外の世界に合流しようとしている。

 駄目だ――行ってしまう。


 その前に。その前に、やらなくてはならない。

 僕は意を決して、言った。ほかならぬ、彼に対して。


「……水城」


 彼は。立ち止まった。

 ふりかえる。


「どうして、ぼくなんだ」


 そう言うと、彼はまた、あの笑顔を見せて、言葉を返した。


「……言っただろ。二度は言わねーかんな」


 それだけだった。それだけで、彼は行ってしまった。

 ――どれのことだよ。


 こうして僕の最初のたくらみは、ほかならぬ彼によって、肩透かしにおわった。

 けれどもそれは、僕と彼の日々の、最初でもあったわけだ。


 事実それは、次の日から明らかに開始された。

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