第4話 椿の告白

「すみません。息子さんを思い出させてしまって」

 思わず頭を下げた梨里子りりこに、康史郎こうしろうは息を飲み込んでから優しく声をかけた。

「あやまることはない。とらわれ続けているわしらが悪いんだ」

 周央すおうは隣に座る椿つばきを見た。

「それに、一希かずき君が生きていたら私と椿は結婚していなかっただろうしな」

 椿は照れくさそうにうつむくと言った。

「ええ。私、一希君のお嫁さんになると決めてましたから」


 椿は梨里子に顔を向けると、思い出すように話し始めた。

横澤よこざわさんと父の征一せいいちは国民学校からの親友同士、横澤さんと結婚した柳子りゅうこさんと海桐かいどうさんの兄妹も戦後すぐからのお付き合い。仕事で忙しいときは誰かの家で子どもたちを預かったり、花見やお祭りにみんなで行ったり、家族ぐるみで楽しく過ごしていたわ」

「そうだな、貧しかったがみんな未来は明るくなると信じていた」

 周央がうなずく。

啓輔けいすけおじいさんがまだ元気で、『食堂 まつり』ではいつもおいしい魚料理を食べられると評判だったわ。私は一人娘だったから、店の後を継がなくてはとおもっていたんだけど、父は『好きなことをしなさい』と言ってくれた。だから、年上で格好いい一希君と結婚したいなって思ってたの」

「征一がそう言ったのはきっと、自分が漫画家になる夢を諦めたからだろうな」

 康史郎がしみじみと言った。


「でも、一希君にとって私は妹みたいなもので、結婚する気はなかったみたい。ここで最後に一緒にした花見の場所取りのとき、『結婚したいクラスメイトがいる。真優美まゆみは両親に辛く当たられてるから守ってやりたいんだ』と打ち明けられたの」

「そんなことがあったのか」

 周央は驚いたように椿に問いかけた。

「一希君は『真優美の親は「キャバレーの子なんかとつきあうな」と言ったけど、俺は店を継ぐ気はない。もし俺がいなくなったらどこかで二人で暮らしていると思ってくれ。これはみんなには内緒だぞ』と言ったの。私は『誰にも言わないわ』と約束したわ」

 椿の話を聞いた康史郎は右手で左の拳を握りしめた。

「一希はわしにそんなこと一言も言わなかった。確かにオイルショックで『ニューホープ』は潰れたが、わしは仕事帰りに皆が気軽に楽しめるような店をやってたつもりだった。まさか一希に迷惑をかけてたなんて」

 落ち込む康史郎に呼びかけたのは梨里子だった。

「きっと一希君は、横澤さんを苦しめたくなかったんですよ」

「ああ、分かってるさ」

 康史郎は目を伏せた。


「店の借金のことで一杯だったわしは、一希のことは柳子に任せっきりだった。家出した一希が仕事現場で土砂崩れにあって亡くなったと知らされた時、わしの人生はもう終わりだと思った。わしらがやり直すことが出来たのは柳子や征一の励ましや、かつら姉さんの援助のお陰だし、恥ずかしながら一希の保険金にも助けてもらった」

 康史郎は顔を上げ、風に揺れる桜の枝を見つめた。

「そして、真優美さんが妊娠していた一希の息子、広希ひろきが最後の希望になってくれた。二人は内縁関係だったので認知は出来なかったが、広希はわしの孫だ。柳子が亡くなる前に、鳥居とりいさんと結婚した真優美さんに頼んで広希とわしらの遺伝子検査もしてもらったから確実だ。姪のあかりさんと周央君、そして広希にわしの財産は残そうと思っている。たいした額ではないが、広希が来たら温かく迎えてやってほしい。それがわしの最後の願いだ」

「分かりました」

周央は重々しくうなずいた。


「一希君が亡くなったと聞いて、私は秘密を誰にも打ち明けなかったことを後悔したわ。あの時私が引き留めていれば、一希君は家出しなかったかもしれない。顔も知らない真優美さんのことも責めてしまいそうで、どうしていいか分からなかった。そんな私をずっと見守っていてくれたのが周央君だった。私は周央君のプロポーズを受け、『ファッション・カイドウ』で一緒に働こうと決めたの」

 椿の告白を聞いた周央は、そっと椿の肩に手を置いた。

「私は、椿が一希君と結婚するなら仕方ないと思っていた。でも一希君が亡くなり、椿が落ち込んでいるのを見て、私が椿を守ろうと決めたんだ。二代目として『ファッション・カイドウ』を繁盛させビルも建てたのも、椿や梨里子達が安心して暮らせるようにしたかったからだ。幸い三代目の美津則みつのり君も頑張っているし、これからは君たちともっとのんびり暮らすつもりだよ」

「嬉しいわ、あなた」

「ありがとう、お父さんとお母さんが結婚して、私を産んでくれて」

 椿と梨里子のお礼の言葉を聞いた周央は感極まったようにうなずいた。


「ところで、この後『ひょうたん池』に寄りたいんだが大丈夫かい」

 康史郎の問いかけに答えたのは梨里子だった。

「もちろんです」


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