第3話 花見の思い出

 四人は『すみだリバーウォーク』から隅田川を通り、対岸の墨田区側の公園に歩を進めていた。梨里子りりこ康史郎こうしろうに話しかける。

「『厩橋うまやばしお祭り食堂 誕生篇』も映画公開までには単行本を出す予定です。そして今描いている『厩橋お祭り食堂』の第二部が終わったら、今度は『ファッション・カイドウ』の話を描こうかなって」

 『ファッション・カイドウ』とは康史郎の義兄、高橋たかはし海桐かいどうが開いた服飾卸問屋だ。現在は梨里子の夫、たちばな美津則みつのりが店主になっている。

「確か、マンガでは『大橋快晴』の名前にちなんで『快晴堂かいせいどう洋品店』だったな。また面白い話になりそうだ」

「ええ。まずは企画を通さないといけませんけどね。浅草橋あさくさばしの昔の賑わいも描きたいですし、父と母にはまた色々お世話になることになりそうです」

 梨里子は後ろを歩く両親を振り返った。


 『すみだリバーウォーク』の中程には、ハートに天使の羽の飾りが付いた手すりがあり、カラフルな南京錠がいくつもぶら下がっている。その前に若い男女が立ち止まった。

「あれは何かね」

 康史郎の問いに梨里子が答えた。

「『恋人の聖地』。恋人同士で南京錠を付けるんです。実は私たちが入った入口にもありましたよ。飾りはなかったですけどね」

 若い男女は互いに取り出した南京錠を交換している。それを横目に通り過ぎながら、康史郎は懐かしそうにつぶやいた。

「南京錠か。昔住んでいたバラックで、戸口の鍵代わりに使ってたっけ」

「映画では昔の横澤よこざわ家も出ますから、楽しみにしててくださいね」

「ああ、楽しみだ」

 康史郎の歩みが少し早くなる。梨里子は歩調を合わせた。


 『すみだリバーウォーク』を渡った四人は墨田区側の隅田公園に入り、桜の木の近くでシートを広げた。

「ここでお昼にしましょう」

 梨里子は自分のエコバッグに入れたいなり寿司とのり巻きを取り出すと、康史郎に言った。

「お昼代は結構ですよ。ノートのお礼です」

「すまないな」

 康史郎はシートに座ると、周央が差し出すペットボトルのお茶を受け取り、マスクを外した。康史郎の髭面を見た椿つばきが言う。

「横澤さん、ずいぶんお髭伸びましたね」

「最近ずっと剃ってないんだ。どうせ外に出るときはマスクだしな」

 康史郎は苦笑するとペットボトルを口に付けた。


 桜の花びらが時折散る中、四人は紙皿に取り分けたいなり寿司とのり巻きを食べていた。

「こうしていると、昔の花見を思い出すな。高橋家と横澤家と戸祭とまつり家、三家族が揃ってにぎやかだった」

 周央が桜の枝を見上げながら言う。椿が話を引き継いだ。

「そうそう、私たち子どもが場所取りをして、お店は臨時休業。征一せいいちおじいさんがいなり寿司、お母さん達がおはぎを作ってたわね」

「ヒロさんもいただろ」

 康史郎の突っ込みに椿が答える。

「そうそう、ヒロさん。果物が大好きだったわね」

廣本ひろもとひさしさんは親父たちの面倒を見てくれた恩人で、『ファッション・カイドウ』を開く時にも自分の店を閉めて手伝いに来てくれたそうだ。残念だが梨里子が生まれる前に糖尿病で亡くなられたけど、いい人だったよ」

 周央の説明をうなずきながら聞いていた梨里子が言った。

「私もうちのお墓参りの時にいつもお参りしてましたけど、横澤さんのノートでおじいさん達の親代わりになってくれたと知って、『廣田ひろたひろし』という名前でマンガに出すことにしたんです」

「わしもヒロさんがおいしそうに果物を食べる姿を思い出して懐かしかったよ」

 康史郎はそう言うとのり巻きを口に運んだ。


 皆の食事が終わり、紙皿を片付けながら梨里子が尋ねた。

「三家族揃っての花見って、いつ頃までしてたんですか。私の子どもの頃はもうしてませんでしたよね」

 途端に、康史郎の顔色が変わった。周央と椿も固まっている。ややあって康史郎が切り出した。

一希かずきが亡くなった時までだ」

 固まったままの四人を見守るように、川風が桜の枝を揺らしていった。

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