第34話 早霧とリーネ

「また負けたのだーっ!」


 リーネのアパート。絶叫したリーネがコントローラを投げ捨てる。どうやら今日はこれでオシマイだろうと早霧もコントローラを置いた。


「明日また勝負するのだ!」

「いいわよ、また明日」

「ほんとにまた明日なのだ! それまで早霧はちゃんとそこに居なきゃダメなのだ!」

「はいはい、居るわよどこにも行かないわ」

「絶対絶対なのだ、約束なのだ!」


 昨日も今日と同じように約束を交わした。毎日約束している。早霧は、約束なんていう不確かなものを信じ切っているリーネを、とても可愛いと思った。

 モニタの明かりだけに照らされた暗い部屋の中、二人でカップラーメンを啜る。

 リーネはカレー味が好きなようで、いつもそればかりを食べている。ただ、この日リーネは早霧が食べているシーフード味にも興味を示したようだった。


「サギリはいつもそれを選ぶな?」

「うん」

「うまいのか?」

「おいしいわよ? 食べてみる」


 早霧は箸で掴んだ麺を、フーフーしてからリーネの口もとに持っていった。リーネはパクっとそれに食いついて、ズルズルズル。見事に啜ってみせる。


「むう、これはこれでうまいのだ」


 リーネは感嘆混じりの声を上げた。「よかった」と早霧が軽く笑う。


「だがサギリ、こっちもうまいのだ! 食べてみるのだ!」


 同じくリーネも箸で掴んだ麺をフーフーし、早霧の口もとに持っていく。早霧はそれを啜った。おいしい。幾度か食べたことのある味だが、今日のものはまた格別に思えた。


「おいしいわ、リーネちゃん」

「どちらもうまかったな! サギリ!」


 二人は同じタイミングでカップラーメンを食べ終えると、背中合わせに寄りかかりあいながら座った。しばらく闇の中で沈黙が続いたあとに、リーネがぽつりと語り出した。


「我は、魔王さまとこのように一緒に食事がしたかっただけなのかもなのだ」

「え?」

「世界がどうのとか、本当は関係なくて。ただ、我を必要と言ってくれた人と一緒に楽しく過ごしたかっただけなのかも」

「リーネちゃん……」

「だけどもう、今の我は魔王さまに必要とされていない。誰からも必要とされていない。我は、我には、もう居場所がないのだ」


 居場所がない。それは自分と同じだ、と早霧は思った。

 惣介に追い抜かれて、やることを見失い。皆を、仲間を裏切った。もうどこにも帰れる場所はない。リーネちゃんに不思議なシンパシーを感じていたのは、私たちに共通点が多かったからなのかもしれない。

 ああそうか、と早霧は納得した。リーネちゃんが魔王さまに必要とされたかったように私もまた、惣介に必要とされたかったのだ。


「それでも」


 とリーネは握りこぶしを作った。


「我は魔王さまに一度は忠誠を誓った身なのだ。だから、仕事はやりとげるのだ」

「そこは私と違うのね、リーネちゃんは強いわ」

「は?」

「私はリーネちゃんみたいに立ち上がれない。自分で考えていたよりも全然自分は弱かった。すぐに挫ける人間だった」

「サギリ……」

「私はリーネちゃんを応援するわ。私に出来なかったことを成そうとする貴女を応援する」

「でも今の貴様は……」

「馬鹿ね、暗示なんてとっくに切れてるわよ。私はリーネちゃんのお友達」


 ふふふ、と早霧は笑った。


「そ、そうなのかなのだ!?」

「そうよ」

「じゃ、じゃあサギリは、自分の意志でここに居てくれるのかなのだ!?」

「ええ、もちろん」


 ふはは、とリーネは笑った。二人は真っ暗な部屋の中で、楽しそうに笑った。ひたすらに笑った。共になにかを忘れようとするために笑った。

 そこに。


「早霧っ!」


 と闖入者が現れた。「助けにきたぞっ!」と声を上げながら四畳半一間のドアを開いたのは惣介だった。惣介が早霧を探して、この古アパートを見つけたのであった。


「惣介!?」「ソウスケッ!?」


 座っていた二人が立ち上がり身構える。


「無事か早霧!? やっと見つけたぞ、さあ帰ろう! みんな心配してるっ!」


 早霧の腕を掴もうとした惣介の手をリーネが払う。


「サギリは返さないのだっ!」

「リーネッ!」

「サギリは我と一緒にいるのだ! 約束したのだ!」

「なに言ってやがる、早霧に暗示を掛けておいて!」

「サギリは我のモノなのだ! 貴様なんかに渡さないのだソウスケっ!」


 スッと、そのとき早霧がリーネの前に立った。「サギリ……?」とリーネが不安そうな顔を見せる。


「惣介……、私のために来てくれたの?」

「え?」


 潤んだ早霧に見つめられて、惣介は狼狽えてしまった。


「いやその……」

「いやその、なに?」


 当たり前だろうおまえの為に来たんだ、と、そこで言いたかったはずの言葉が一瞬で霧散してしまう。急に何事かと恥ずかしくなってしまい、惣介は早霧から目を逸らした。


「バ、バカ。なに言ってんだ、俺は……、俺は……」


 と早霧の目を見ぬままに。


「ゲームが完成しないから! そう、プログラマが居ないとゲームが完成しないじゃないか! だからほら早霧、一緒に帰るぞ!」


 そして早霧も目を逸らした。


「そうよね……そう、そうなのよね……」


 二人は互いの目を見ずに言葉を交わす。寂しい言葉だ。それは幼馴染として過ごしてきた二人には今までなかったものだった。


「そう。必要とされているのはプログラマ、私自身じゃない」


 噛みしめるような声で早霧は言ったのだった。


「……わかっているわよ、惣介は成長した。私なんてもう必要ない。惣介や会長のような高みに登れない私は、もうそこに必要ない」

「さ……早霧?」

「私が手を引かなくても、惣介はもう階段を上っていける。むしろ私が手を引かれることになった」

「なに言ってんだ早霧、そんなことは全然ない! 俺はまだおまえを必要としてるし、一緒に居てくれなきゃ困るって思ってる!」


 早霧がなにを言い出したのか、惣介には理解できなかった。今さらながらに惣介は、早霧の顔を見る。自分から目を逸らすその顔が青ざめていることに惣介は気がついた。


「嘘つき」


 上目遣いに早霧は惣介をねめつけた。


「嘘つき! 惣介、もう自分でなんだって出来るクセに! 私のことなんか気にしてないクセに! あんたなんか、あっち行っちゃえばいいのよ!」


 大声を張り上げて、両の拳を握りしめる。


「リーネちゃん! リーネちゃんは言ったわよね、惣介をギャフンと言わせる力を私にくれるって!」

「あ、う!? うむ、言ったのだ!?」

「今がそのときよリーネちゃん、あなたの力を私に分けて!」

「わ、わかったのだサギリッ!」


 リーネが早霧に手をかざした。すると早霧の身体が輝く。


魔法狂戦士マジカルバーサーク、発動なのだっ!」


 早霧は惣介を、ドンと突き倒した。

 無造作で軽い動作に見える一撃、しかしその衝撃は惣介の胸を突き抜けた。


 惣介の身体が吹っ飛ぶ。

 そのままゴロゴロと転がり、入口のドアを破って惣介は部屋の外に追い出されたのであった。


 ◇◆◇◆


「さ、早霧……!?」


 擦り傷に打撲、俺は一瞬で全身ボロボロにされてしまった。しかし、不幸中の幸いか骨に異常はなさそうだ。


「大丈夫か惣介、肉体強化フィジカルマイト!」


 裏から突入する予定で部屋の外で様子を見ていたミュジィが、慌てた様子で俺に魔法を掛けてくれた。痛みが引いていく辺り、回復する魔法かなにかなのだろう。ありがたい、俺は立ちあがるとすぐにアパートへ向かって駆けだした。


「惣介」


 と早霧がアパートから出てきた。暗い中、ゆらりと現れた早霧の身体は、ぼんやりと光っていた。風でも受けているようにツインテの髪や制服が揺れ続けている。


「惣介、もう帰って」


 淡々とした声で早霧が言う。冷たい、とも違うまったく感情が乗っていない声。今まで聞いたことがない幼馴染の声に、俺の背中が粟立った。ぶわりと嫌な汗が出た。が。

 次の瞬間、無性に腹が立ってきたのだ。帰るわけないだろう、と。一人でなんか、帰るわけないだろうと! 俺は「なに言ってやがる!」と声を上げた。


「ふざけるなよ早霧! おばさんだって心配してんだ、俺はおまえを連れて帰るぞ!」

「お母さんには悪いことをしてると思う。でももう良いの。私は帰らない、そう決めて出てきたわ」

「家出かよ、自分探しかよ、馬鹿なこと言ってんじゃねぇ! 力ずくでも連れて帰るかんな!」

「力ずく……?」


 早霧は笑った。暗い笑顔で笑った。ここで初めて、早霧の声に感情がこもった。だがその感情はねっとり滴るように俺の身体に纏わりついてくるもので。


「今の私に力ずくだなんて……、ふふ、できるかしら」

「や、やってやるさ!」


 俺は自分を鼓舞する為に声を張った。覚悟する、早霧を殴ることを覚悟する。早霧は既に臨戦態勢、気持ちで負けるわけにはいかない。

 遠慮なしに殴り掛かる俺。しかし俺の拳が早霧の顔に届く前に、早霧の掌底が俺の腹に当たる。俺は胃液を吐きそうになりながら、一歩下がった。


「やれー! やっちゃうのだーっ!」


 とこれまたアパートから出てきたリーネが、なにやら魔法を唱え始めた。火の玉を用意したリーネは、どうやらそれを俺に投げつけるつもりのようだ。しかし。

 そんなリーネに向かって雷撃が奔った。避けたリーネの睨む先には、ミュジィがいた。


「主の相手はわしじゃよリーネ、あの二人の問題はあの二人に任せておけばよい」

「ミュジィラムネア……!」


 アパート前の住宅街、街灯で照らされた閑静な路地にて俺たち四人の戦いが始まったのだった。


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