第33話 第三の魔法
「ゲームのデータが全て消えてるだって!?」
放課後の会室。俺は驚きのあまり、会長の顔を二度見した。深刻な顔をした会長が、俺の目を見たままにこっくり頷く。
「そ、それじゃゲームの開発は……?」
「当面は続行不可能ね、端から端まで消されてるもの」
会長は、ふう、と溜息をついた。俺は憤りを抑えきれずに声を荒げてしまった。
「リーネの奴が強硬手段にでも出たんですかね!?」
「それが……、ネットとは分断されているハードディスクに入れておいたデータも消えてるのよ。リーネちゃんの魔法って、あくまでネット上のデータにしか影響及ばないはずよねミュジィちゃん?」
『そうじゃの。彼奴のハッキング魔法は強力じゃが万能ではない、オフラインなデータには手を出せぬはずじゃ』
「しかもこのハードディスクにはパスが掛かっててね? 私以外には早霧ちゃんしかそのパスを知らないの」
深刻な顔をした会長が、呟くように言った。
「早霧が消したとでも言うんですか?」
「惣介君、早霧ちゃん今日学校に来てた?」
「……いえ、なんか今日は休みみたいで」
早霧は今日、学校に来ていなかった。最近早霧の元気がなかったので、調子が悪いのだろうかと少し気になってはいたのだ。
「職員室で先生に聞いたらね、昼頃早霧ちゃんが来て会室の鍵を使ったっていうの」
「え!?」
俺は少し狼狽えてしまった。
「で、でも会長。早霧がデータを消す理由なんてありませんよね?」
「そう思うわ。だからミュジィちゃんに聞きたいの」
会長は俺のことをじっと見据えた。いや俺の中のミュジィに視線を送っているのだろう。ミュジィはゆっくりと、俺の中で腕を組んで話し出した。
『暗示のことじゃな?』
会長が、コクリと頷く。「……暗示?」俺は怪訝に思い訊ねた。
「バルスクの一件、あれはリーネちゃんがバルスクの人に暗示を掛けて操った結果の出来事だったでしょう? だからもしかして、今回もって」
『ありうるじゃろうな。リーネの奴が早霧に暗示を掛けてデータを消させた。――じゃが』
ミュジィはそこでいったん言葉を切り、なにかを考えるように間を取った。
「じゃが? なんだよミュジィ」
『暗示は所詮暗示じゃ、本気でイヤがる類のことをやらせるとかは出来ぬ。果たして早霧がそんな暗示に乗せられてしまうじゃろうか』
「じゃあ、早霧ちゃんがデータを消したわけじゃないと?」
『まあわからぬ。深い暗示を掛けられて、消すことがわしらの為になると思いこまされているならば話も変わってくるしの』
俺たちは沈黙した。確定情報がない中での議論は道を見失いやすい。
「直接早霧に聞いてみるのが早いですよ会長!」
と俺はスマホを取り出して早霧に電話を掛ける。会長が小さく頭を振った。
「あたしも掛けてみたわ、でも出てくれないの」
メールも返事がこない。仕方なく俺たちは早霧の家まで聞きにいくことにしたのだが。
「えっ? 早霧の奴、昨日から家に帰ってないですって?」
驚愕の事実を早霧母から聞かされた。今から警察に捜索願いを出すところだと云う。
「なにか連絡があったら知らせてね? 惣介君」
心配そうな早霧母。俺たちは意気消沈して早霧の家を離れた。
近くにある小さな公園で、俺と会長はブランコに腰掛けた。
「なんか大ごとになってるね、惣介君」
「ええ」
「どうかしらミュジィちゃん、リーネちゃんが関わっていると思う?」
『わからぬ。わからぬが、早霧は家にも帰らぬ癖に今日はわざわざ会室に寄っておる。そして会長殿と早霧にしか扱えぬハードディスクからデータが消えた。これはリーネの望むところではあるだろうて』
「関わってないと考える方が不自然、か」
ミュジィの言葉を継いで、俺は結論を述べた。
「ここから俺たちはどうするべきだと思う? ミュジィ」
『リーネの奴はこちらを監視しておるのじゃろう? この間みたいにそれを逆手に取って、なにか行動を起こさせるのが良いのではないか?』
「なるほどな。まだデータが残ってたフリをするなんてのもいいかもしれない。リーネがデータを消そうとしているなら、また反応があるはずだ」
俺と会長は、学校メールで『データの残骸を見つけたので復旧できるかもしれない』というやりとりをしていくことにした。そこからは、リーネの反応待ちだ。
「あんにゃろう早霧まで巻き込んで。いくらなんでもやりすぎだ、姿を現したらとっ捕まえてやる!」
こうして俺たちは「リーネ誘き出し作戦」を決行することになった。
そして三日が経った。相変わらず早霧は学校に来ていない。
俺と会長は毎日会活もして、データ復興をしている「フリ」をしていた。家に帰れば学校メールを使ってお互いやりとりをし、データ復興の目処が立ったと仄めかす。
しかしリーネからの動きはない。なにも起こらない。
「……くそっ!」
俺は会室で作業をしながら、小声で毒を吐いた。早く引っかかれ、食いつけ、とブツブツ唱えながら、その日も芝居に勤しんだのであった。
◇◆◇◆
「これ、本当にアタック掛けないで大丈夫なのかなのだ?」
木造四畳半、古いクーラーがゴンゴンと鳴っている安アパートの一室で、心配そうに眉をひそめている幼女がいた。リーネだ。
散らかりまくった部屋の中に、おおよそ建物には不釣り合いなパソコンのセットが何台も稼働していた。複数のモニタを監視しながら、リーネは横でゲームをしている早霧に話し掛ける。
「大丈夫。それは罠だから気にしないで」
空虚な目でモニタを見ながら、面白くもなさそうにコントローラを握っている早霧。
「リーネちゃんが監視していることは皆知ってるわ。だからそれは罠よ、本当にデータが生きてたならそんな大事な話をネット通信でやりとりしない」
「ふむ。さすがサギリ、味方にすると頼りになるのだ!」
会室のデータをモニタリングしながら、リーネは感心するように言った。部屋の雨戸を締め切った四畳半が、モニター群の明かりだけで明るい。
モニターの明かりに照らされた早霧は、やはり無表情にコントローラを弄りながら、
「だいたい私がそんな雑な消し方をするわけないの。プログラムに関しては徹底的にやるのが私なんだから」
「我と一緒だな! 我もプログラムに関してはちょっとうるさいぞ!」
「リーネちゃんはうるさすぎ。物理的にうるさい」
「なんだとなのだー?」
「特に私にゲームで負けるとうるさい。負けず嫌いなのね」
「負けず嫌いはサギリも一緒なのだ! 我が勝つとサギリはしつこく再戦してくるのだ!」
「そんなことないわよ。私はあっさりしてるもの、すぐ諦めちゃう」
そうだ、と早霧は心の中で一人頷く。
そうだ私はあっさり諦めた、惣介をプロデュースしていくという自分の夢を。
諦めて、ゲームのデータを消して、今までを全てなかったことにした。
私は最低だ。
だけど今、その最低さがいっそ清々しくも思える。
捨ててしまえば思い悩むことはないのだ。思考を停止してよいのだ。
もう今はなにも考えたくない、と早霧はゲームのコントローラを握りしめた。ひたすらゲームでもして、よそ事を頭から追いやって、なにも考える必要のない状態へ。
リーネが早霧の隣にきて、コントローラを手に取った。
今早霧が遊んでいる格闘ゲームにリーネが乱入してくる。
「昨日は負けたままだったから、今日は勝つのだ!」
リーネちゃんが羨ましい、と早霧は思った。
魔王に捨てられたのに、前向きにまた行動している。私と同じに「居場所」を失ったはずなのに、なにかをする気力が残っている。ああ、本当にうらやましい。
「負けたのだーっ!」
と頭を抱えているリーネ。
だが早霧は知っている、すぐにリーネは再戦を申し込んでくる。負けず嫌いなのだ。
――私が負けず嫌いですって?
リーネの言葉を反芻して、早霧は苦々しく笑った。嫌いもなにも、私はもう負けている。全てに負けて、全てを捨てた。諦めてしまった。
諦めた者に再戦を申し込む資格なんてないのだ。
許されるのは、ただ醜く、なにかを呪うことだけ。
だから呪ってやろうと早霧は思った。
この世界を、自分の幸せを、そして惣介の幸せを。
醜く、汚く、全てを道連れに堕ちていこう。そう思ったのだった。
◇◆◇◆
夜になり、ベッドに寝転がりながら俺は連撃ゲーム通信を開いていた。
今月号に書いた自分の記事に目を通している。
「……特別名文というわけでもないのに、俺は最近チヤホヤされている」
『なんじゃ、チヤホヤされているという自覚はあったのか』
「そりゃあるさミュジィ。半分気分がよくて、半分気分が悪い」
『ほう? ノリノリで阿呆づら晒しておったと思うたのじゃが、気分が悪かったのか?』
「俺は別段変わってないのに急にチヤホヤされる。それはつまり、俺本人が凄いんじゃなくて俺についた箔が凄いんだ」
俺は雑誌を置いて、身体を起こした。
「連撃で記事を書いた、バルスクとの噂が広がった、ネットでたくさんインタビューされた。これらを通して、連撃やバルスク、ネットの評判という箔が俺についた」
『それがわかってて、なんであんな自慢げに振る舞っておった?』
「そうすることがサークルの為だと思ったんだよ。サークルの知名度をもっと上げる為に、俺も積極的に乗っていかなきゃって。俺たち皆で作るゲームの為だって」
俺は台所でお茶を淹れ始めた。するとミュジィが俺の中から出てきた。
「おまえも飲むかミュジィ?」
「茶請けはドラ焼きがよいな」
丸テーブルを二人で囲んで、茶を啜った。テレビを点けて、ぼんやりと眺めながらドラ焼きを口にする。口にドラ焼きを入れたまま、俺は続けた。
「早霧の奴、どうしてるんだろ。リーネに暗示を掛けられてるとして、無事なのか」
「あのリーネが心底酷い行動を取るというのも考えられぬな。彼奴は甘ちゃんじゃ」
「確かにそうかも。……まあ、早霧が無事ならいいんだ。無事なら」
「ゲームは全消しされても、か?」
「ゲームはまた作り直せるさ、早霧が無事なら。その辺、おまえの予言書にはどう浮かんでいるんだ?」
ミュジィが懐から大きな本を取り出して、ページをめくり始める。
「わからぬな。ただ、最悪のルートではお主は早霧を失うかもしれんようだ」
「早霧を失う!? なんだそれ、まさか早霧が死ぬってことか!?」
「さてどういう意味かはわからん。早霧がこのままお主の元を去るのかもしれぬし、敵に回るのかもしれぬ。もちろん死ぬという意味なのかもしれぬ」
「なんだよそんな未来、わけわかんねぇ。俺と早霧は一緒にゲームを作るんだよ!」
俺は声を荒げて、すぐに後悔した。ミュジィに当たったところで意味はないのだ。気まずい気持ちでミュジィから目を逸らしてしまった。落ち着くために大きな呼吸。
「ごめんミュジィ、大声出して」
「気にするな。ストレスは溜めぬ方がよい」
「……うん」
俺はしょぼくれて、お茶を啜る。
「リーネは引っかからないな。もうこっちの手口がバレてるのかな?」
「かもしれんの。なにせあちらには今、早霧もおる。早霧が見破っておる可能性はあるな」
「暗示に掛かってリーネの味方をしているのか……」
「さてな。あながち暗示だけと言えるのかどうか」
ミュジィは両腕を組むと、お茶に目を落としてなにか言いづらそうな顔を作った。
「どういうことだよ」
「……前も言ったであろう? 早霧がデータを消すのを嫌がっているならば、よっぽど深い暗示を幾つかの方向から掛けねばならんのじゃ。そしてわしは、そこまでの力はリーネにないと思うておる。つまりそれが意味するところは」
「ミュジィ! まさか早霧が自分で望んでゲームゲータを消したっていうのか!? なぜ!?」
「なぜだかは、直接聞いてみんとわからぬ。じゃがたぶん、そうだ」
俺はテーブルに拳を叩きつけてしまった。
なんで早霧がそんなことをするってんだ、わけがわからない。
いったい早霧になにがあったのか、今の俺には想像することすらできないのだ。それが口惜しい。
「早霧……! いったいどこにいるんだ!」
俺がテーブルに突っ伏して塞ぎ込んでいると、ミュジィがおもむろに立ち上がった。
「……時が来たのかのぅ」
ミュジィが神妙な顔で俺を見る。
「クリエイターズ・ドーンの予言に従い、第三の魔法を授けよう」
「第三の魔法?」
俺が問いかえすとミュジィは頷く。それは
その名は「
「この魔法の発動条件は簡単じゃ。寝転がればよい」
ミュジィに言われ、俺は床に寝転がった。フローリングの上に敷かれた絨毯の感触が背中に少しこそばゆい。「これでいいのか?」と問うと「それでよい」とミュジィが頷く。
「目を瞑って、早霧のことを思い浮かべよ」
俺は言葉のままに従う。早霧、早霧。あいつそういや制服のままで、着替えてもいないのか? 早く解放してやりたい。事情を聞きたい。あいつになにがあったのか知りたい。
雑念だけが頭の中をグルグルと巡っていく。なかなか集中できない。集中しなきゃ、集中だ。気ばかりが焦る。ああ、焦る。そんなことを考えていると、俺のまぶたの上にひんやりとしたものが乗っかった。
「焦るな。大きく深呼吸でもせい」
それはミュジィの手のひらだった。俺の熱くなった心が、ひんやりと醒まされていく。
「……うん」
俺は頷いて、大きく息を吸った。頭の中がシンとなり、目の前に暗闇が広がる。その暗闇の中を俺は泳いでいった。ゆっくり泳いでいった。あっちに寄り、こっちに寄り。時折大きな息を吐きながら、ひたすらに闇の中を彷徨った。どれだけ経ったであろう時間のことをすっかり忘れた頃に、なにやら小さな赤い星が一つ。暗闇の中に煌めいた。
「あ」
「見えたか?」
なんとなし俺にはわかった。それが早霧だと。
「その星は目の奥に残る。星を追っていくのじゃ、早霧はそこにおるはずじゃ」
俺は急いで外着に着替え、ミュジィと共に部屋を飛び出したのだった。
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