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第32話 早霧

 ラナドイルグラフティの販売をバルスクが担当するという話があったのはネット上に漏れ伝わっており、計画が潰れたのちも大きな話題になっていた。

 その結果として「さーくる三人娘」の知名度も一気に跳ね上がり、サンプルゲームのダウンロード数も増えた。


 評価は上々。シナリオの惣介とイラストの会長には個人に幾つもの仕事依頼が舞い込む顛末。彼らはそれを断りつつラナドイルグラフティの開発に注力していた。

 仕事の依頼を断る代わりにネット記事などの取材依頼は断らない。知名度を増すことが重要だと知った惣介たちは、自分たちのアピールを必要な物と認識していたのだ。

 そして今や惣介は、ゲーマーならば知る人ぞ知る、というレベル知名度にまでなっていたのである。


 惣介は成長した。

 早霧はそう思った。バルスクとの一件、様々な面で惣介の活躍を目の当たりにした。その後のネット露出への対応も見事だったと思っている。――なのに。

 何故だろう、早霧はモヤモヤしていた。喜ぶべきことなのに、喜べない。薄っすらとした膜のようなものが自分の感情を包んでいる。喜ぶどころか、なにか嫌な気分になっていく自分を自覚してしまうのだ。

 そんな感情に戸惑いながら、早霧は今日も学校に行くのであった。


「惣介、ほんっとすっげーなぁ」


 昼休み、今日も惣介の周りには人が多い。昨今急に増えたのだ。

 いまや惣介は男子の間で結構な人気者だった。


「まあ頑張ってるからな、最近の俺はちょっと凄い」

「言うようになりやがったこいつ」

「なんか自信ついてきてねーかおまえ? ビッグに見えるんだが?」


 食事どきの惣介の周りには、「あはは」と笑いが絶えない。

 早霧はそんな惣介たちを横目に、クラスの端の席でパック牛乳を飲んでいた。


「ねー早霧早霧、最近惣介君の周り賑やかだよね」


 一緒にお弁当を食べていた友達が早霧に言った。


「いいなー早霧、惣介君と幼馴染なんでしょ? 良物件ゲットじゃん」

「え?」

「え、じゃないわよー。この調子なら惣介君にくっついていけば将来明るいビジョンなの間違いなしじゃん? うまくやんなきゃ、早霧!」


 応援してるから! と友達は親指を立ててウインクした。早霧は頭の中で友達の言ったことを反芻する。


『良物件? くっついていけば将来が明るい?』


 早霧は惣介にくっついて行きたかったわけじゃない。惣介を引っ張っていきたかったのだ。だけどいつのまにかに、完全に追い越されてしまっていたらしい。早霧はぼんやりとまた、惣介を横目で追った。


「なー惣介ぇ、おまえもっと早霧ちゃんに感謝しろよぉ? 早霧ちゃんがおまえをここまでに育ててくれたようなモンだぞ!?」

「もちろん。もちろん感謝はしてる、してるけど、まあ俺も凄い」

「うっぜー、こいつウッゼー」

「あ、ほら早霧ちゃんこっち見てるぞ!? あんま調子に乗るなって」

「早霧ーっ、感謝してるぞー!」


 惣介は早霧に向かって大きく手を振った。それが早霧には苛立たしい。これまでの惣介からは想像もできないアクションだ。苛立ちを越えて、心が麻痺していきそうだった。いや、麻痺させないと耐えられなかったのかもしれない。早霧は惣介から目を離した。


「ほら早霧ちゃんに無視された。ばーかばーかフラれろ」

「べ、別に俺と早霧はフルとかフラれるとかそういうのじゃないし!」

「はいはいはい、さすが惣介君、ツン頂きましたー」


 笑い声絶えない男子たちがうるさくて、早霧は席を立った。

 廊下に飛び出して、ポツンとひとりぼっち。

 とろりとした闇が自分の中に滴ってきているのがわかる。周りが惣介を褒めるごとに、怒りにも似た焦りが自分を責め苛むのだ。ああ、と早霧は耳を塞いだ。

 腹立たしい。苛立たしい。みんなみんな、全て――、


「~~ッッッ!」


 早霧は一人、唇を噛んだ。そうしないと、いけないことを口走ってしまいそうだったのだ。それはこの世界を呪う言葉。早霧は目を瞑って、必死に声を飲み込んだのであった。




 早霧はその日、同好会を休んだ。会室で惣介の顔を見たくなかったからだ。

 体調が悪いと仮病を使ってしまったのは初めての経験だったので、罪悪感が凄い。心配してくれる会長の顔をまともに見ることも出来ず、早霧は挨拶も早々に会室を辞した。

 そして下校中。

 早霧が住宅地の細道を歩いていると、見覚えのある幼女が仁王立ちで立っていた。


「あら……リーネちゃん?」

「仲間であるかのように気安く呼ぶななのだ」


 俯いていた早霧が顔を上げて名を呼ぶと、リーネはプイと横を向く。


「でもこの間はリーネちゃんのお陰で魔王を撃退できたって聞いてるし……」

「あ、あれは気の迷いなのだ! わ、我が魔王さまを裏切るなんてありえないのだ!」


 リーネはゴホンと咳払いをして、


「だいたい貴様それどころではないだろう。大変なのだ、ソウスケに置いて行かれてしまい、一人孤独に取り残されて」

「な、なんの話!?」


 早霧の狼狽えようはもの凄かった。目があちこちを向き、ひとところに留まらない。


「わかっているのだ。最近のソウスケは成長著しい。実力は元からそれなりにあったにせよ、全面的に欠けていた自信を得てきている。世間にもその名を認知されつつあるし」


 ふひ、とリーネが早霧の心を刺激するような声で笑う。


「見たぞ? ソウスケがインタビューされているネット記事。あの男、順風満帆なのだ」

「わ、私だってインタビューくらいされてるわ!」


 早霧は自分でもわからぬ理由で対抗してしまった。リーネにではない、惣介に対抗してしまったのだ。


「わかっているはずなのだサギリ、貴様へのインタビューは女子高生という話題性だけによるもの。ソウスケへの注目とは質が違う。わかっているはずなのだ」


 リーネは細めた目で早霧の瞳を見た。薄っすらと笑みを浮かべて続けた。


「ソウスケは勝手に羽ばたいていく、貴様の手など必要ない」

「そ、そんなことっ!」

「ない、と言えるのかなのだ? わかっているはずなのだ」

「そんなこと……」

「もう貴様の居場所など、どこにもない。可哀そうなのだ、ひとりぼっちの早霧」

「……」


 早霧は黙り込んだ。リーネの目を見つめて黙り込んだ。それはリーネの暗示に掛かりつつある証でもあったのだが、それ以上に早霧は納得してしまったのだ。リーネの言葉に。自分の居場所のなさに。だから。


「なあサギリ、我のところにこないかなのだ?」

「えっ?」

「我と共に、ソウスケの奴をギャフンと言わせてやろうなのだ。恩知らずにも一人で先に進んでいこうとしているソウスケに」


 リーネがにんまり笑っている。その目を見て早霧は、それもいいかな? と思った。自分を置いていこうとしている惣介に、砂を掛けてやりたい。


「我ならば、サギリに力を授けることが出来る。惣介をギャフンと言わせるチカラ」

「私に……力?」

「そう、チカラなのだ! それは気に入らない世界を自分で壊してしまえるチカラ!」


 とろりとろり、早霧の中に闇が溜まっていく。

 気に入らない世界。この世界を、壊してしまう。腹立たしく、苛立たしく、一つも思い通りにならないこの世界を私の手で壊す。それはとても甘い囁きに思えた。

 早霧は思った。


「壊してしまって、いいんだ……」


 ――と。

 この日、早霧はリーネと共にどこへとなく去っていったのだった。

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