第12話 即売会イベント

 早朝。まだ始発の電車さえ来ていない駅の前は、夜も空けかけで薄暗い。

 五月の始め、ゴールデンウィークの真っ只中、今日は同人即売イベントのある日だ。


「おー、まだまだ早朝は寒いな」


 俺は少しかじかんだ指先をこすり合わせながら足踏みをした。


「ダメねぇ。春といってもこの時間は寒くて当たり前でしょ? はいこれ、使いなさいな」


 横に立っているミントグリーンのロングカーディガンにロングスカートの女の子は早霧だ、使い捨てのミニカイロを渡してくる。俺はありがたく受け取った。


 合宿の甲斐もありイベントに向けた開発は順調と言っていい形で終わった。

 当日である今日はもう、記憶メディアにゲームを焼いてパッケージングした物をイベント会場へと送ってある。

 少なくとも行きに関しては、最低限の用意で会場へと向かえる形になっていた。

 アクビが出る。最後に吐いた息が少し白い。


「なによ惣介、目なんか擦っちゃって。昨日寝てないの?」

「そういう早霧だってさっきウトウトしてなかったか? 寝てないのはおまえの方だろ」

「わ、私はちゃんと早めに布団に入ったし」

『察するに布団に入っただけじゃろ早霧』


 ミュジィが俺の中からツッコミを入れる。


『この惣介も、布団に入るのだけは早かったからな。そのあと寝返りをうってばかりで全然眠れた様子がなかっただけで』


 俺と早霧は互いをジト目で見つめあった。


「やっぱり寝てない」

「おまえだって」


 二人で息を、はぁ、と吐く。手を擦り合わせて、はぁ、と吐く。

 どうも俺は、今日のイベントを前にして緊張しているらしい。正直、早霧も昨日眠れなかったみたいで少しホッとした。

 よかった俺だけじゃない。


「……人、来てくれるかな惣介?」

「来てくれるよきっと」

「おーまーったせーみんなー」


 俺たちが白い息を吐いているところに、遅れて会長がやってきた。

 会長はワイドな白シャツに小さなネクタイ、スラッとした長いパンツルックである。


『おー会長殿』

「遅くなってごめんねー。どうだったミュジィちゃん、二人の様子は」

『こやつら似た者同士じゃ。どちらも昨日あまり寝ておらん』

「あはは、遠足前みたいで興奮しちゃうよねぇ」

『それはそうと、その大荷物はなんじゃ?』


 会長は後ろに大きなキャリーケースを二つ、ゴロゴロと転がしていた。


「ひみつでありますにゃあ」


 うふふ、と笑いながら何故か敬礼してみせる会長。朝からテンションが高い。


『惣介、一つ持ってやれ。二つは会長殿も大変じゃろう』

「あ、うん。持ちますよ会長」

「あほんと? ありがと惣介君。横に転がしていけばいいから」

「はい」


 俺にケースを一つ預けた会長が握り拳を大きく振り上げた。


「さあ駅に入ろう、今日は楽しんじゃおうね!」

「そうですね会長!」


 さあ出発だ、俺のテンションも会長に釣られて高くなる。

 早霧も恥ずかしそうにだが、「ぉー」と小さく声を上げて追従してきた。


 早朝のプラットホームには始発を待つ幾人かがちらほらと居るだけだった。

 ここは都市部と言ってもよい街の駅だから、普段の活動時間ではこんなに人が少ない光景などなかなか見れない。


「なんか新鮮」


 と早霧がキョロキョロ周りを見渡した。


「うふふー。この中にもイベントへ向かう人がいるかもしれないわねぇ」

「まさかぁ」


 と笑う早霧を制し、会長はニンマリ笑った。


「大型の同人イベントを舐めちゃいけない早霧ちゃん、たとえばほら、あそこにいる二人組の男の人とか、きっとイベント組よ?」

「なんでわかるんですか?」

「同族はね、なんとなくわかるの。雰囲気、服装、あと眼鏡。わかっちゃうのよ魂の色で」

「へえー」


 感心して頷く早霧だが、俺は会長がなにを言ってるのかわからなくて首を傾げた。

 なんだよ魂の色って。見抜けるかっつーの。


 しばらく経ち電車が来る。

 俺たちは貸し切りのような車両を贅沢に堪能しつつ、いったん東京方面へと向かった。


 いくつかの乗り換え駅で電車を乗り継ぎ、次第に会場が近づいてくる。

 最初は貸し切りのようだった電車の中に人が増えてくる。というか混んでくる。朝も早いのに、最寄り駅を前にした頃には車両の中はギュウギュウ詰めだ。


「もしかして、これ……」


 俺は会長に向かって呟いた。会長はにっこり微笑み、


「同族同族」

『魂の色が同じらしいぞ惣介』

「わからねーから」


 駅に着くと、客がドッと一斉に降車する。

 人の波に飲まれながら俺たちも電車を降りた。


 駅改札を抜けると、そこはもう会場に向けての一本道。人の群れに歩調を合わせ、キャリーケースをゴロゴロ言わせて俺たちは進む。


「そんなキョロキョロしないでよ惣介、おのぼりさんみたいじゃない」


 早霧が恥ずかしそうに小さく声を掛けてきた。


「いやでも、こんな朝からみんな凄いなって」


 自分でもちょっとビックリするぐらい、俺の言い方は興奮気味だった。

 そんな俺の顔を見て会長が親指を立ててくる。


「欲望イズパワーなのよねぇ、わかるかなぁ惣介君」


 ほーほほほ、と高笑いをする会長。

 周囲の注目を集めてしまう会長に向かい、「やめてください会長!」と早霧がたしなめる。


「早霧ちゃん、旅の恥は掻き捨てよ?」


 何故か逆に早霧をたしなめてしまう会長だ。

 俺は苦笑いをした、テンション高い会長には逆らいようがない。


 そうこうしているうちに会場に着いた。

 大きなイベントにも堪えられるデカい建物が、ずーんと立ちはだかってくる。

 サークル参加である俺たちは先に会場入りできるので、一般参加者がずらっと並んでいる横を抜けて会場内に入っていく。


「なんでだろう、背徳感がある」

「ちょっとズルしてるような気持ちよね」


 と小さくなってる俺と早霧を見て、会長はニヒヒと笑ってみせた。


「特別感があるのは否定しないわ」


 そして俺たちの先頭に立って。


「さあ、こっちよ」


 会場内は外ほどではないが、やっぱり人が多くいて賑わっていた。

 大きな大きなホールだ。体育館を四つ繋げたくらいだろうかもっと広いだろうか。


 ホール内には縦横たくさんの長いテーブルが整然と並んでおり、テーブルで囲まれた内側には椅子が置かれている。

 この、テーブルと椅子を組み合わせて作られたスペースが参加者たち一つ一つのお店となるのであった。


 ガヤガヤと、皆が楽しそうに作業をしていた。

 さざなみのように聞こえてくる笑い声は広くて天井も高いホールの中で、一見騒がしさを感じない。だが時折波となり、確実に耳の中に活気として届いてくる。

 会場内のやる気に中てられたのだろうか、俺はしばらく棒立ちでホールの中を見渡してしまった。


 横で同じように足を止めている早霧と目があう。

 突然、なんかとんでもないところに居るような気がしてきてしまい、身体が一瞬震える。


「西あ、55のB、55のB。ほらこっちこっち、なにしてるの二人ともー!」


 会長の声がした。

 見れば先に進んだ会長が、振り向いて俺たちに向かって手を振っている。


 自分たちに割り当てられたスペースまで迷わず直行できる会長が心強い、そんなことを思いながら俺は早霧と一緒に会長の元へと急いだのであった。


「おはようございまーす、今日はよろしくお願いしまーす」


 両隣のサークルに会長が挨拶をし、テーブルの内側へと入っていく。中に入った会長がスペースに置かれていたダンボールを開けた。


『お、届いておるのぅ』


 明るい声を上げるミュジィ。

 ダンボールの中に入っていたのは、大量の記録メディアだ。

 それは俺たちが会室でパッケージングしたゲームのディスクだった。


「五百枚作りました!」


 会長が声を上げる。


「普通、新参サークルは五十枚売るのも難しいと言われるなか、五百枚も作ってしまいました!」

「え、そうなんですか!?」

「初耳ですよ会長!?」


 いきなりそんな宣言をされても困る。


「どうやって十倍以上も売るつもりなんですか!?」


 慌て顔の早霧が会長に詰め寄っていく。「そこはもちろん作戦があります!」

 詰め寄ってきた早霧の耳元でゴニョゴニョと、なにやら会長が告げている。


「い、イヤです! 絶対イヤ!」

「でも用意もしちゃったし早霧ちゃん」

「知りません! 私はイヤですからね会長!」

「でも五百枚売らないといけないし早霧ちゃん」

「会長って物事の進め方がズルいですよね、いつもいつも!」

「早霧ちゃんは惣介君のシナリオを売り込みたいんでしょ? それにはこれくらいやらないと。早霧ちゃんの本気が見ってみったい」


 二人はその後も小声でやりとりした。

 俺は知っている、このパターンになった場合、だいたい最後は早霧が折れることを。そして案の定、


「あーもう!」


 と恨めしそうな顔を会長に向けながらも、早霧はなにかを承服したようだ。


「じゃ惣介君。あたしたち準備があるからちょっと外すね? スペースの用意は任せた」

「一人でですか!?」

「大変だったらミュジィちゃんに手伝って貰いなさい? ミュジィちゃん、ここではふわふわ浮いちゃだめよ?」

『仕方ないのぅ』


 俺の横にシュポンとミュジィが現れる。

 空中から現れたミュジィは、トン、と床に着地してみせた。


「これでよいかの?」

「よいかの、じゃねーよミュジィ。いきなり姿見せたら周りがどう思うか……!」

「大丈夫じゃよお主さま。わし自身に認知されにくい術を施してから姿を見せておるからの。周囲が驚くこともないであろうよ」

「ふーん。グッドよーミュジィちゃん。それじゃあこっちは二人に任せるわねー」


 うふふー、と笑いながら二つのキャリーケースを転がしていく会長。早霧を連れてどこかに行ってしまった。

 俺はミュジィに手伝って貰いながら、いそいそと支度を始めたのであった。

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