第5話 第一の魔法

 会長のノートパソコンの中には、開発に必要な環境ツールが全て入っていた。

 席についた俺は、まず深呼吸。その後、家でやっていたように会話を入力するツールを立ち上げる。


「さっ、やってみて惣介君」


 握り拳に親指を立てて、にっこり笑う会長。会長と早霧は俺の後ろに立ち、パソコンの画面を眺めていた。


「ど、どうすりゃいいんだよミュジィ」


 小声、ほとんど声にならないような音で俺は口をモゴモゴ、ミュジィに訊ねた。


『お主さまに魔法を授けよう』

「魔法?」

『そう、魔法。クリエイターズ・ドーンの予言に従い、これからお主さまには全部で三つの魔法を授けることになる。今回はそのうちが一つ、加速術式アクセルオンじゃ』


 ミュジィがなにか妙なことを言い出した。

 思わず小声のまま復唱してしまう。


加速術式アクセルオン……?」

『自分以外の時の流れを遅くする魔法じゃよ。結果として周囲からは自分が加速して見えることになるが故に加速術式アクセルオン


 なんか漫画で見たことがある気がする。自分だけが素早くなる技の類か。

 おおお? なんかいいのでは?


『使い方は簡単じゃ、呪を唱えながら息を止めるだけ。息が止まってる間、お主は時間の流れの枠から離れて一人で加速できる』

「え、そんな簡単なことで!?」

『わしの能力を貸し与えてるだけじゃがな。これを使えばタイピングも普段の数倍の速度で行うことができるじゃろ? ゲーム完成に向かう為の必殺技じゃよ』


 俺が頭の中のミュジィと話をしているのが不審だったのか、後ろで見ていた早霧が怪訝そうな顔をする。


「なにブツブツ言ってるのよ惣介」

「あ、いや。気合を入れるおまじないを」


 適当に応え、あっはっは、と笑う。


『ほれ、試してみよ惣介』


 ミュジィに促され、俺は「アクセルオン」と唱えて息を止めた。

 途端、部屋にある時計の針の動きが止まった。

 後ろを振り向いてみても、早霧と会長は止まったままだ。ミュジィは「時の流れを遅くする」と言っていたが、体感的には「時の流れを止めている」に近い感覚だった。


 カチャカチャとキーボードを操作し、手入力でシナリオテキストを書いていく。

 実際、二度目というのは大きいようで、初回に比べたら断然スムーズに書いていける。


 俺は息の続く限りデータを入れ、やがて「ぶはぁ」と大きく息を吐いた。するとどうやら時間が進み始めたようだった。


「え、なに? いつそんなにデータを入れたの?」


 後ろで見ていた早霧が、驚きの声を上げた。


「会長、見てました!?」


 と、横にいる会長を見やる。会長も珍しく細目を開き、


「なぁに惣介くん、そんなにタイピング早かったっけ? 指の動きが見えたような、見えなかったような」


 やっぱり驚きの声を上げている。ミュジィが頭の中で笑った。


『ふはは、凄い凄い。お主さまは魔法の才能があるのぅ、時間の流れがわしにも感知できなんだわ』


 驚いたのは声を上げた三人だけではなかった。

 俺自身も驚いているのだ。目を丸くして、口もポカンと。


『なに呆けているのじゃ。ほれ、もっと続けざまに時を止めてみぃ』


 ミュジィの声で我を取り戻し、また息を止めてみる。

 時間の流れの外に、俺だけが居た。

 カチャカチャと、さっきよりも長い時間キーボードを打っていく。

 だがその時間は、実際には一瞬にも満たない。


 それはゲーム開発において大きな武器だった。少なくとも作業的な仕事ならば、これを使えばドンドン片付けられる。

 俺は思わず大きな息を吐いた。


「す、すごいな。これならあと二日でシナリオを書き直せるんじゃないか!?」

「なに自分でビックリしてるのよ惣介、バカ?」

「はやいわ惣介君。確かにこのペースなら、なんとか間に合うかも」


 信じられない、という様子の二人に囲まれて、俺は興奮冷めやらぬまま拳を握った。


『ほれ惣介、言ってやれ言ってやれ、俺に任せれば大丈夫だと』

「会長、早霧」

「はい?」「なに惣介?」


 ごくり、と俺は逸る心を抑えるため唾を飲み込んで。


「俺、ちょっと頑張るわ」

『かー情けない、そんなことしか言えんのか』

「頑張るわ」


 ミュジィは嘆くが、これが俺の精一杯な宣言だった。

 確かに俺は早霧に褒められたいらしい。これだけ協力してやってんのに、あいつは一回も俺を褒めていない。


 俺は早霧に「グウ」と言わせたい。

 いや違うグウの音も出ないくらい認めさせたい。俺のやることを。

 だからいっちょ、頑張ってやる。

 俺はキーボードを、ターン! と音響くように打ったのであった。


 ◇◆◇◆


 静かな会室。

 ひたすらに響くキーボードの打音と、時計の秒針が動く音。


 俺は加速術式アクセルオンを多用して、かなり早いペースで仕事をこなしていた。

 しかし消えたデータ量が多く、まだまだ完成には程遠い。


『ここらまで、元々どれくらい時間を掛けたデータだったのじゃ?』

「三ヶ月以上は掛かってるよ」

『ひえ、そんなにじゃったか』

「もちろん考えて書く仕事だから、書くだけならだいぶ時間は短縮されるけどね」


 言って俺は息を止めた。再び加速術式アクセルオンだ。

 時間を数十倍にして使えるだけあって、連続使用はなかなかに疲れる。単純に言えば長時間息を止めていくのも大変なのだ。指も身体もだいぶ疲弊してきてる。


『だいぶ疲労しておるようじゃのう』

「そうだね、結構疲れるよこれ」

『内的な魔力も消費しておるだろうからな、仕方あるまいて』


 突然俺の頭の中に腕組みして苦笑しているミュジィの姿がポンと浮かんだ。


「おわ、なんかミュジィの顔が頭の中に出てきたぞ?」

『お主さまとの契約がうまくいっている証じゃ。わしの姿が見えた方がコミュニケーションも取りやすいじゃろ? 同期調整してみたのじゃ』


 ミュジィは両腕を組んで一人、ウンウンと頷いている。


「確かにニュアンスは掴みやすいけど、なんか邪魔だな」

『邪魔いうな。お主さまを敵から守ってやろうというわしに向かって』

「はぁ、守る。敵ってなんなんだっけ?」


 そういえば敵がどうとか言ってた気がする。

 敵とか言われても困るな。正直ピンとこない。


『はあ、ではない。お主、すでに色々と攻撃を受けて不利益を被っておるのじゃぞ。たとえばお主ら、ゲームのデータが消えたやら送れてないやら話しておったじゃろ。あれなぞお主の敵の仕業じゃぞ?』

「はああ!? なにそれなんで?」

『敵はお主にこのゲームを作らせるのを止めさせようとしておる。それが大きな運命に関わってくるからじゃ。だからコンピュータを操れる魔法使いを使って、お主の邪魔をしておるのよ。未来を変えるためにな』

「そんな迷惑な!」


 思わず大きめな声になってしまった。対面席の早霧にジロリ睨まれる。


「なにブツブツ言ってるのよ惣介、手を動かす!」


 俺は首を竦めて黙った。ミュジィとの会話を打ち切って、再びタイピングに集中する。 ピリピリした空気が漂っていた。

 仕方ない、締め切り前なのに大幅な遅れなのだ。


「早霧、途中までだけどいったんそっちにデータ送っとくから」

「わかった」


 それでも加速術式アクセルオンのお陰で、だいぶテキストの書き直しに成功している。ミュジィのお陰だ。


「惣介、少しだけだけど壊れたハードディスクからデータをサルベージ出来たわ。破損データだからテキストも崩れてるの。確認して使えるところがあったら使って」

「ん、サンキュー。……おお、これ結構使えそうだぞ」

「そうよかった」


 黙々とした時間が過ぎていく。そんな中、会長が声を上げた。


「どう二人とも? ジュースでも買ってくるからなにか注文なーい?」


 気を利かせてくれたのだろう、自分の担当であるイラスト仕事が終わってフォロー役に回っていた会長が聞いてくる。


「あ、俺がパシりましょうか?」

「なに言ってんのよ、あんたまだ大量に仕事残ってるんでしょ? 会長も、そういう気の遣い方するくらいなら惣介を叱咤してください!」

「早霧ちゃん、こわーい」

「そんな言い方ないだろ? せっかく先輩が空気を和ませようとしてくれてるのに」


 苦言を呈そうとするも、早霧が声をかぶせてきた。


「マスターがアップすれば勝手に空気も和むわよ。是非とも和ませて欲しいものね、パシりなんかしてて本当に間に合うの?」

「わわわ、わかってるよ。頑張ってるから!」


 俺は早霧から目を逸らした。頭の中にミュジィの姿がポンと浮かぶ。


『おー早霧は本当に厳しいのぅ』

「鬼なんだあいつの前世は鬼なんだ、だけど――」


 小声でミュジィに応える。


「頑張るさ、今回はやってやる」


 俺は一心不乱にノートパソコンのキーボードを打ちまくった。

 無言。

 時計がカチコチ、キーボードがカチャカチャ。ちょっと耐えられなくなったのか会長が席を立つ。


「じゃ、じゃああたし行ってくるね。二人ともコーヒーでいいかなー?」


 無言。


「ひいぃ」


 と目に見えない圧力に負けた会長が、逃げ出すように会室の戸を開けると。


「ここがクリナガ・ソウスケのゲーム制作同好会かなのだ?」


 部屋の外に、ちょうど幼女が居た。


「はい?」


 と首を傾げる会長。

 俺もそちらを見て、キーボードを打つ手を止めた。

 その幼女の姿がだいぶ特殊であったからだ。


 学校という場に似つかわしくない中世ヨーロッパ風のドレス衣装。

 俺は既視感を覚えた、何故だろうと考えるまでもなく理由はわかる。それはミュジィを初めて見た時の違和感と同じものだったからだ。


 普段はアニメや映画などでしか見ることのない恰好。

 夏草色のドレスの上に茶のマントを羽織った耳の長い幼女が、そこには居た。


「あれはおまえの仲間か? ミュジィ?」

『仲間というか……、敵じゃなぁ。電子使いのリーネ』

「え?」


 ――敵だって?

 俺は思わず目を丸くしたのだった。

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