第3話 契約成立じゃの
俺はミュジィに引っ張られて、マンションの五階の窓から飛びだした。
「わわわわわ、うわあぁぁーッ!?」
叫びが空中に霧散していく。「落ち、落ち、落ちッッッ」
「落ちるうぅぅぅぅうッッッ」
落ちなかった。
思わず目を瞑ってしまった身体が、ミュジィに引っ張られながら宙を飛ぶ。
上昇、上昇、上昇。雲の高さまで上昇、俺たちは青い空の底まで落ちていく。
ひいい、と目を瞑ったままの俺に、ミュジィが声を掛けてきた。
「落ち着け惣介。ゆっくりでよい、目を開けてみぃ?」
びゅおぉ、びゅおぉ。風切る音と共に優しげな声は俺の耳に届いた。なので。
ゆっくり、片目だけ開けてみる。
「……うおっ」
これは凄い、と。
怯えることを忘れた声を思わず上げてしまった。
マンションが、商店街が、学校が、まるで地図でも見てるかのように小さい。
ミニチュアのように見える街並みに、思わず魅入ってしまったのだった。
自分よりも遥か下に鳥が飛んでいた。
遠くに見える地平は霞んでいる。
大地と空の狭間に、自分たちはちっちゃい。
しかし感じるのは孤独ではなく、傍らにいる女の子の温かい体温だった。
飛ぶという感覚はこういうものなのか。なんだろう、心が躍る。
「そう、それがお主さま」
ミュジィの声には敬意が込められていた。
「いい加減で考えなしであるも、有事でさえたやすく感嘆や興味を優先できる感受性を持つ者。その強い好奇心がわしらの世界を創り出す」
「すごいな、みゅみゅみゅ。これはどんなトリックなんだ?」
「ミュジィじゃと言うとろう」
ミュジィが軽く俺の頭を小突いてくる。
「トリックではなく、これは魔法という。空を飛ぶ魔法じゃ」
「魔法? 魔法ってなんだよ。そんなものが存在するわけ……」
「ない、と言えるのか? この景色を目の前にしてお主さまともあろう者が」
俺たちは空を飛ぶ。
風を切り、鳥と戯れながら、くるりくるりと宙を舞って自由奔放に空を飛ぶ。
「わしは魔法使い。こことは異なる世界よりやってきた、アースカインド大公国一の魔法使いにして姫じゃよ。納得させるに手っ取り早いと思い、こうしてお主さまを空へと誘った次第ではあるのじゃが」
あまりに突飛な話にポカンとさせられた。
だけど、頭の中のどこかで納得する自分がいる。――なるほど確かに、と。
「……そうだな、突然空まで飛ばされたら異を唱える余地がない。わかったよ、どうやらおまえは魔法使いらしい」
俺は苦笑交じりに頷いた。
「で、その本はなんだ? 魔法の本か?」
ミュジィが大事そうに抱える本を指して聞いてみる。
「そう魔法の本。とはいえただの魔法書ではないぞ、これは惣介、お主さまの『未来』が記された生きている歴程書、『クリエイターズ・ドーン』という」
「お、俺の未来?」
「そう、お主さまの未来」
ミュジィは、風で乱れる白髪を片手で押さえながらこちらを見た。
「もっとも多くの未来はまだ不確定じゃ。先ほどのように、行動を少し違える要素が生まれるだけで変わっていく。わしはお主さまの未来を『正しい方向』に導くために、異世界よりやってきたのじゃ」
「……未来が記されているのに、未来が不確定?」
怪訝に思い問い返した。
ミュジィが目を細め、剣呑な顔をして答える。
「敵がおる。そやつらは、お主さまの未来を『正しくない方向』に導くため、わしに先んじてこの世界にやってきておる。だから未来が『確定しておらぬもの』になった」
「はあ」
「だがこの本にはお主さまの未来が浮かび上がる。まだ確定せぬ未来はぼんやり薄い文字に、確定した未来は濃い文字で詳細に。確定すればそこに向かい歴史の修正力が働き確実に実現される。この本を使い、わしはお主の身と未来を守ろうというわけじゃ」
「身? いま俺の身って言った? 未来だけじゃあなくて?」
ちょっと聞き捨てられないことを言われた気がした。
「言うたぞ、『正しくない方向』の中にはお主の大怪我や、もしかしたら死も入っておるからな。敵がどんな手段に出るかはわからぬゆえ」
「お、俺はいったい何に巻き込まれてんのっ!?」
「そこはまあ、追々じゃ」
「いや大事、そこ大事だぞ」
まあ待て、とミュジィは俺を制してくる。
「今はもっと大事なことがある」
「なんだよ」
「この世界にやってきたばかりで、わしの魔力は尽きかけじゃ。この飛翔魔法はわしの魔力で起動しておる。そのわしの魔力が尽きるとどうなると思う?」
「は?」
と俺は目を丸くした。
目の前でミュジィの姿が薄くなっていく。すぅ、と消えていく。
「はああ?」
「答えは――」
とミュジィが言い差したところで、ミュジィの姿が消えた。
「はああああーっ!?」
そして落下が始まった。
「無責任すぎるだろーっ!」
落ちていく。空の中から地上に向かい、一気に加速で落ちていく。耳に入ってくるのはびゅううううっ! 風切る音のみが世界の全て。
「ミュジィ、おいミュジィーッ!」
声すら掻き消される風の音の中を、俺はただただ落ちていくだけだった。
地上が近づいてくる。姿勢がうまく保てない。
ジタバタしようにも空気の抵抗がすごくて、変な恰好になるだけだ。
落ちる、落ちる。
必死になってあちらこちらを見ていると、頭のどこかで気がついた。
あれ? 落ちていく先に学校の校舎があるじゃないか。このまま地上に落ちたら、俺は校舎から飛び降り自殺をした扱いにでもなるのか?
『そうじゃのう、そうなったら早霧はどう思うかの?』
頭の中で声が聞こえた。ミュジィの声だ。早霧は……悲しむ? いや。
早霧はきっと、自分が電話で怒鳴ったせいと考えるだろう。自分を責めるに違いない。
え、そんな結末になるのか? それじゃあ誰も救われなくないか?
『その通りじゃよ救われない』
ミュジィが淡泊に言った。
『いまお主さまが助かる方法は一つ、わしと契約してこの世界におけるわしの魔力供給源になることじゃ。さすればこの場を乗り越えられる』
「なるよ、魔力供給源。よくわからないけど契約する!」
『よいのか? その代わりにお主さまとわしは一心同体となるぞ?』
「死ぬよりいい!」
『首尾よく納得して貰えたみたいじゃのう。わしも残りの魔力が少なくての、四の五の言われとうなかったのじゃ』
フヒヒ、とミュジィが笑ったような気がしたのは別に俺の勘違いではない。
実際にミュジィは意地悪く笑っていた。
『我、ミュジィラムネア・アースカインドは宣言す。栗永惣介と命の盟約を結び、共に生きると。身一つに心二つ、魂の融合にて時間と空間を共有す。惣介よ、これを是とするか』
「するする! なんでもするっ!」
『ならば起こそう、奇跡を!』
ミュジィの声が俺の頭の中で爆発した。
『わしの命続く限り、わしはお主さまと共にある!』
ドン! と俺の中でなにかが炸裂した。
横目に校舎が見えるほどの、すでに地上近く。
それまで急降下していた身体がふわりふわり、ゆっくり落ちるようになった。
木の葉のように揺られながら、地上へと近づいていく。
ゆるりゆるり、穏やかに滑らかに。視界の中で地上が近づいてくる。
「……たす、かった?」
へなへなと、力が抜けていくのを感じる。
『契約に基づき、お主さまから魔力を供給して貰うことに成功した。だからわしが魔法で着地をフォローできた』
足が地上に着いた。力が入らずそのまま腰砕けに、地面にペタンと座り込んでしまった。
そしてまた、頭の中で声が響く。
『契約成立じゃの。これからは当分の間、二人で一つの魂じゃ。よろしくの、惣介』
「はは、は。なんだよ契約って。はは」
俺は校舎の裏手に座り込んだまま、呆けたように笑い続けたのであった。
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