第2話 十三時十分、窓から飛び出す

 帰り道、俺は商店街モールの中を歩いていた。


 学校が新入生を迎え入れた春。

 半ドンで午前中授業だけだった日の昼過ぎだ、桜咲く季節とはいえまだ肌寒さもある時期だった。商店街モールには昼食を摂ろうとする会社員らしき人の姿もちらほら見受けられる。


「なんなんだろうね、早霧のあのテンション」


 俺は人ごみに歩調を合わせながら、肩を竦めた。

 別に完成版が必要ってわけじゃあないんだから、適当なトコで切れてても構わないじゃないか。


 データのアップロードを失敗してたぽいのは悪かったけど、それにしても怒りすぎだ。

 俺はポケットから財布を取り出して中身をチェックすると、商店街のコロッケ屋さんに向かった。

 なんか食べなくちゃーやってらんない、そんな不満な気持ちで一杯だったのだ。


「おばちゃんコロッケ二つね」


 揚げたてのコロッケは格別だ。

 ハフハフと素手で摘まんで食べていく。

 早霧もコロッケ食べて気を落ち着けてくれりゃーいいのに、と言いたい。


「昨晩はなぁ。友達と遊んで気分転換すりゃラストが浮かぶかと思ったんだけど、そんなこともなかったな」


 これまでいくつも趣味で物語を書いてきたのだが、最後まで書き終えられた作品が一本もない。もう少し、というところになると、頭の中がポカンと真っ白になってしまうのだ。


 なんというか、筆が進まない。急に書くのが怖くなる。


「困ったもんだよなぁ」

『自分のことなのに、まるで他人事じゃのうお主』


 頭の中の女の子が、なんとも呆れたような声音で呟いた。


「そうかな?」

『本気で悩んだことがないのであろうな』

「んなこたーない」


 ついに頭の中の女の子と会話までしてしまったぞ。

 頭がオカシくなったのだろうかと思わなくもないが、聞こえるものは仕方ない。

 ここ数日ずっと聞こえているので思い悩む時期はとうに過ぎてるのだった。


『まあよい、コロッケ食えコロッケ』


 この声、どうやら俺にアドバイスをくれているらしい。

 ここ幾度かの経験で、なんとなしそれを感じている。

 意味もわからず従う気にはなれないがコロッケは大好きだ。食べよう。


 しばし続くハフハフの天国。

 揚げたてコロッケをひとしきり平らげたら人心地ついた気がしたので、俺は帰路に戻った。


「なんかめんどくさくなるよな、やめちゃうかなー」

『清々しいほどのクズ発言じゃのぅ』

「そうかー?」

『そうじゃろう。締め切りまでに間に合わなくて怒られた、だからめんどくさい、辞めようかな。これをクズと言わなくてなにがクズと言うものぞ』

「そう正面から言われると、ムカつく」


 俺がゲーム制作同好会に入ったのは半年とちょっと前、去年の秋のことだった。

 最上級生が受験準備で引退したのちに人が足りなくなったと、幼馴染の森本早霧に有無も言わさず引っ張り込まれたのであった。


 以来、俺は早霧にいつも怒られている。

 作業をしても、褒められたことがない。それがとても不満だった。


 なんというか、もっと良いところを見つけてくれてもいいと思うんだ。

 俺はきっと褒められて伸びる子。


「頼まれて入ったんだから、も少し扱いよくていいと思うんだよ」

『締め切り破っておいてこの言いざま。クズさ図々しさここに極まれりじゃな』


 まるで肩でも竦めたような声音が、頭の中に響く。

 俺は「うるせー」と口を結んだ。


 ◇◆◇◆


 商店街を抜けて駅前の大型マンションにたどり着く。

 ここの五階にある一室が俺の暮らしている場所だった。


 現在両親ともに海外赴任中の一人暮らし、週に一度、近くの親戚が様子を見に来てくれるという生活だ。


「ただいま」


 誰もいない部屋に向けて玄関から声を掛ける。

 これは習慣だ、当然答える者なぞいない。


 そのまま自分の部屋に入り込むとパソコンの電源を点けた。

 OSが立ち上がり、セットアップが完了する。

 ゲームのデータを弄るためのツールをマウスでダブルクリックし、作業環境を整えた。


 俺が今回早霧に頼まれているのは、美少女お色気アドベンチャーRPGの会話データだった。世界観からキャラ設定、ストーリーまで、シナリオに関することは全て任されていた。

 ログインパスワードを入力して、パソコンの回線をネットに繋ぐ。


「あれ? 確かにこっちから見てもアップロードしたログが残ってない……」


 ということは俺のミスなのか?

 うーん、と首を捻ってみても、なんにも事実は覆らない。

 はい、俺のミスらしいです。


「おっかしいな、送ったと思ったんだけど」


 ぼやきながらテキスト作成ツール上からデータをネットの共有データベース上にコピーする。

 今度は確実にアップロードできた。ログにも残っている。

 これでよし。

 まだ全てのシナリオが終わったわけではないけれど、頼まれていた部分は送れたはず。


 俺はポケットからスマホを取り出し、早霧に電話しようとして――やめた。

 自分のミスだったらしいことを謝ろうかとも思ったのだけど、早霧に「ほら見なさい」と憎まれ口を叩かれるのが目に見えている。

 俺はメールでひと言「送った」とだけ送信して、パソコンデスクから離れてベットの上に寝っ転がったのだった。


「それはだめじゃよ」


 また、鈴のような女の子の声。いやしかし。

 気のせいか? 頭の中からというよりは、耳から声が入ってきた気がしたぞ?


 寝っ転がったばかりのベッドから上半身を起こし、周囲を見てみる。

 テレビは点けてない。パソコンも、別に声が出るサイトなどに繋げているわけじゃない。


「誰かいる……わけじゃないよな?」


 軽く肩を竦め、またベッドに寝っ転がろうとした、そのとき。


「億劫がらず、ちゃんと電話せにゃあ」


 ――また聞こえた! 俺は思わずベッドから跳ね起きた。


 ベッドの下を見る。誰もいない。

 本棚の陰を見る。誰もいない。

 天井の隅を見る。誰もいない。

 どこにも人の姿はない。だが。


 なにか妙だった。

 人の気配を感じる。視線を感じるのだ。

 誰かが、何かが、自分のことをじっと見ているという感触が拭えない。


 俺は部屋の窓をガラリ、思いっきり開けてみた。

 この季節にマンションの五階から覗く昼過ぎの風景は、なんとものどかなものだった。

 日も高く、暮れどきはまだまだ遠い。

 小さく見える駅前商店街を見下ろしながらも、薄く青い空には筋状の雲が浮かんでいる。


 とても窓の外から誰かが部屋を覗くことなど出来ない高さであることを確認し、俺がホッと胸を撫でおろした直後、


「良い勘をしておる」


 カラカラとした笑い声を伴ったそいつが、俺の背後に気配を現した。


「さすがはお主さま、わしらの創造主といったところじゃの」


 振り向くとそこには、まるで中世ファンタジー世界のお姫様のような、ヒラヒラした豪華な白ドレスを着た背の低い少女が浮かんでいた。


 見た感じ、歳の頃は十二、三の中学生くらいか?

 フレアに大きく広がった刺繍つきのスカートがゆーらゆら、片手に大きな本を開いて持ち、成績の悪い生徒を褒めるような口調で続ける。


「当たらずとも遠からず。わしは覗いておったのよ、お主の中にある窓からお主のことを」


 白くて長い髪をサラサラに流し、気の強そうな目と口元でニンマリ笑う小柄な少女。


「は……?」


 俺は思わずその場にへなへなとへたり込んでしまった。


「なに? なんなのおまえ? なんで浮いてるの?」

「そんなことよりほれ、早く電話を……、あああ遅かった! 本に記された『運命』が変わってしもうた!」


 片手で開いた本を覗き込みながら残念そうに首を振る白髪の少女が、へたり込んだままな俺を見下ろして憮然とする。


「栗永惣介」

「な……、なんだよ運命って」

「十三時五分、お主はパソコン殴って壊す」

「え?」


 思わず部屋の時計を見た。今は十三時二分。

 なに言ってるんだ、この


「な、なんでだよ!? そんなことする理由がない!」

「十三時六分、ペコペコとベッドに向かってバッタのように頭を下げる」

「どんな理由でベッドによ!」

「十三時十分、窓から飛び出す」

「はああーっ!? なに言ってんだ、ここ五階だぞ!」


 俺は声を大にした。

「ありえない」と思わず少女のことを小馬鹿にしたような言いざまで否定してしまう。


「ふん。まあみておれ」


 スマホの着信音が、突然部屋に響きわたった。

 ピッポロピッポ、スマホ端末のデフォルト呼び出し音が大きく響く。

 スマホはベッドの上に置いてあった。


「う」と俺は唸った。――ベッドの上。

 正直、そんなすぐにベッドの方に行く気のなかった俺だ。


 だから少女の言をどれもこれも否定した。

 ベッドの近くにはパソコンもある。


『お主はパソコンを殴って壊す』


 少女の言葉が蘇った。

 いやいや馬鹿な。そんなことする理由なんてない。

 俺は脳内に漂い始めたイヤな予感を必死で否定した。


「ほれ電話じゃぞ。取らぬのか?」


 ピッポロピッポ、ポッポロピッポ。

 電子音が鳴り響く中、少女はニンマリ笑うと、フワフワ浮いたままベッドまでの道を開けた。


「と、取るよ。そりゃあ取るさ」


 なんとも言えぬ不気味さを感じながら恐る恐る立ち上がり、俺はベッドの前まで歩いた。

 ベッドに置かれたスマホを見ながら、ゴクリと喉を鳴らす。

 取って、……良いんだよな?


「ほれ、取れ取れ」

「取るって」


 コール主は森本早霧。俺は思い切ってスマホを手に取った。


「もしもし」

「なんですぐ出ないのよバカッ」


 スマホのスピーカーがキン、となるほどの大声。

 思わずスマホを放り投げてしまった俺は、その勢いでよろめいた。


 そこにパソコンデスクがある。

 デスクの上のパソコンに俺の拳がストライクだ。

 がしゃあん! と音を立ててパソコンがデスクから落ちる。床に向かってクラッシュした。


「うわわ」

「惣介、こら惣介聞いてるの?」


 床に落ちたパソコンの様子を見るか、怒声を奏でるスマホを見るか。

 一瞬悩んで俺はスマホの方に意識を向けた。


「な、なんだよさっきのデータの話か? 確かにあれは俺のミスだったぽい」

 俺はスマホに向けて頭を下げた。


「悪かった」


――それはあたかもベッドに向かって頭を下げている風でもあり。


「はっ!」


 とした。

 横を見ると、ふわふわ浮いたドレス姿の少女がニマニマ笑いを浮かべながら白い髪をかき上げている。

 俺は思わずワタワタと手を振って、


「こっ、これは違うぞ!」

「なにが違うの」


 返事はスマホからきた。スマホの向こうで早霧がヒートしている。


「い、いやあの早霧? わりぃホントはすぐ電話に出れたんだけど」

「すぐ出れるなら出なさいよ、こっちだって心配しちゃうんだから!」

「だからわるいって。で、なに?」


 俺はベッドの上に転がったスマホを手に取り、耳元に持っていく。


「メール来たけど、データ半分しかアップされてないわよ?」

「ええ?」

「なんか中途半端だから、全部アップして欲しいの。今から頼めるかしら?」

「あ、ああもちろん……って、うあっ」


 俺は床に落ちてしまったパソコンの様子を見た。

 デスクの上に置き直して配線をチェック、そしてスイッチオン。

 ブオオーン、と排熱ファンの音が鳴り始めるも、パソコンは立ち上がらない。


「すまん早霧、パソコンが壊れたみたいだ」

「はああーっ?」

「言うたじゃろう惣介? パソコンは壊れると」


 横から少女が口を出す。

 その声をスマホが拾ったのか、早霧が声をさらに荒げてきた。


「ちょっと惣介、なんか今、女の子の声が聞こえたんだけど?」

「なんでもない、なんでもないぞ早霧」

「つれないことを言うものじゃのーお主さま」

「なんでもなくないんだけど惣介。なんであんたの部屋から女の子の声が聞こえるの?」

「……テレビ、そうテレビの声だ。なあ?」

「そうそうテレビじゃよ。だから気にするでない森本早霧」


 そう言ってにこやかに、ふわふわ浮いた白髪の少女はスマホに向かって声を掛けた。


「な? ほらテレビ」


 なんだろう、汗がだらだら出てくる。


「と……」


 スマホの向こうで、早霧がなにか言いさした。俺は聞き返す。


「と?」

「ととと……!」

「ととと?」


 ここで一拍の合間。爆発は次の瞬間だった。


「飛んできなさーいッッッ!」


 早霧の大声でスマホのボディが震える。


「今すぐ! 同好会に! 飛んで戻りなさい惣介! 事情を聞かせて貰うから!」


 ブツン! ツー、ツー、ツー。電話が切れる。


「さ、早霧!?」

「おほ、大変なことになったのぅ」


 右手をわざとらしく口元に添え、少女はププーと笑ってみせた。俺は思わず宙に浮いた少女のことを上目遣いに睨みつける。


「な、なに笑ってんだよおまえのせいだろっ」

「ミュジィラムネア」

「は?」

「おまえではない、わしの名はミュジィラムネア。アースカインド大公国の姫にして勇者」

「みゅじ? え?」

「ミュジィでよいぞお主さま、わしは遠き地よりお主の運命を守りにきた者じゃ」


 そういうと少女――ミュジィは両手を腰に当てて小さな胸を張った。


「おまえ、最近俺の頭の中でごちゃごちゃ喋ってたやつだよな?」

「うむ。ようやくこの世界と波長が合ってきての、こうして現出することができた」

「や、やっぱり。いったい何者……?」

「よいよい、詳細は追って話そう。今は早霧の言う通り、同好会室まで飛んで戻ることが肝要じゃ」


 言われて俺は慌てた。

 早霧が怒ってる。怒った早霧はホント怖いのだ。


「そうだ急いで学校に戻らないと」


 俺は鞄を手に取り、戻る用意を始める。

 壊れてしまったパソコンの外付けハードディスクを鞄に詰め、玄関に足を向けた。

 と、そこにミュジィが浮きながら立ちはだかった。


「どいてくれ、学校に戻る」

「まーまて惣介。お主の言う通り、こたびの諍いはわしのせいじゃろう。ゆえに責任を取ろうと思う」

「え?」

「早霧も言うておったであろう、『飛んでこい』と。よかろう飛んでいこうではないか」


 ミュジィはにんまり笑うと俺の手を取った。

 その握ってきた手の感触は柔らかく、ちょっとひんやり。なんとも心地好い感触だったので。

 ――俺は一瞬油断した。


「飛ぶぞ惣介」


 グイ、と腕を引っ張られる。

 グイグイっとミュジィに引っ張られたその先は、窓の外。

 俺たちはスポンと窓の外へと飛びだした。


 マンションの五階の窓から飛びだしたのだった。

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