第5話 初めての解剖
「ではそろそろ始めようかのう」
舞踏会の幕が下り、事件が発生してより約二時間後。
ほぼ真夜中と言っていい午前0時半。王宮内の医術院に必要な人員が集められ、ローザの遺体が研究台の上に乗せられた。
ただし女性としての尊厳を慮ってか、裸体ではなく薄い白のローブがかぶせられている。
今回の立ち合いに臨むのは計10名。執刀医のエフィム卿と助手の医術士が3名。そこに加わるのは容疑者でありながら、解剖の提唱者であるマリアージュ。さらに捜査責任者のオスカーと聖騎士一人。残りは今回の解剖の最高責任者である王太子・ルークと、彼によって派遣された魔道士二人である。
(本当にうまくいくかしら。この世界にはX線装置や冷却遠心分離機みたいな文明の利器はない。法医学者としての私の知識だけで、一体どこまで真実に迫れるか……)
言い出しっぺでありながら、マリアージュは内心不安に思っていた。
現代の法医学は緻密な科学的調査があってこそ、信憑性の高いものとなっている。DNA鑑定がその最たるものであることは、今さら説明するまでもない。
しかしその手段が何一つ使えない異世界で、一体どれだけのことができるのか。マリアージュが心細く思うのも当然だった。
「ああ、ちょっと待っていただけますか、エフィム卿。今回の解剖は我が国にとっても初の試み。よって全てを記録させて頂きます」
しかしマリアージュの心配をよそに、ここで活躍するのが『魔法』だった。
ルークが軽く手を挙げると助手の魔道士が手のひら大のクリスタルを取り出し、それに魔力を注ぎ始めた。
「これは記録専用のクリスタルです。今ここで起きていることをそのまま映像として保存します。後々の資料としても役立つでしょう」
「え、何それ、すごい!」
気づけば思わず声に出して、マリアージュは驚いていた。その声にルークも驚いて、次の瞬間苦笑いしてみせる。
「記録の魔法、知らない?」
「あいにくと魔法には疎いんですの」
『CODE:アイリス』をプレイしたことはあるものの、姪の勧めで嫌々していたこともあり、世界設定の記憶はおぼろげなのだ。
「多くの
「エーテル……純度の高いクリスタル……」
そういえばそんな専門用語があったな、とマリアージュは、はたと思い出す。
この世界で使われている魔法は世界に満ちる【エーテル】という魔法元素から成り立っている。いわゆるファンタジーのお約束という奴だ。
クリスタルと呼ばれる水晶のような石はいわゆる魔石に属されるもので、様々な魔法の触媒として使用されるのだ。
(やだ、すごい。じゃあこれでカメラやビデオの代わりができるじゃない。……くっ、私にも魔法の才能があれば、苦労しないのに……)
自分の無能さを嘆きつつも、マリアージュは魔法の利便性に素直に感謝することにした。画像や映像を残すことができれば、例えば遺体が埋葬された後でも再分析や再鑑定が可能になるのだから。
「ルーク殿下、記録魔法の用意が整いました」
「よし、ではエフィム卿、始めてくれ」
「承知いたしました」
魔道士の準備が済んだのを合図に、エフィムが研究台の前に立った。だがそこでマリアージュは慌てて声をかける。
「あ、お待ちください、殿下。その前にローザ嬢に黙祷を」
「え?」
「思いがけず命を奪われてしまった被害者の冥福を全員で祈るのです。あなたの無念は代わりに必ず果たしますと言う決意も込めて」
「………」
マリアージュの申し出に、ルークだけでなくその場にいる全員が目を瞠った。
まさか気位の高いマリアージュの口からそんな言葉が出てくるとは予想していなかったのだろう。
「……そうだね。まずは死者に心よりの弔いを。全員、黙祷」
「………はっ」
「うむ」
暫しの静寂。
ある者は左胸の上に手を添え、ある者は両手を組んで俯き。
マリアージュだけは手と手を合わせて合掌し、ローザの遺体に軽く会釈した。
「……珍しいね」
「え?」
「その祈り方」
目敏くもルークはマリアージュの動きに注目し、意味ありげに微笑んでみせる。
「君のような祈りの所作は初めて見たな。それも知神・メメーリヤの教え?」
「え、ええ、そうですわ! これが女神流の祈りの捧げ方でしてよ!」
マリアージュは口角を引き攣らせつつ、慌てて弁明した。
危ない、危ない。前世の日本人としての動きが身に染みついてしまっている。
でもまさかそれを素早く見透かされるとは。
「ローザ、あなたの死の真相が知りたい。どうか私に教えて……」
「………」
再び瞑目しながら、マリアージュはかつての解剖前に必ず口にしていた言葉をつぶやいた。
法医学者ならば誰もが思うだろう。
遺体は嘘はつかない。
必ずそこに真実が隠されている。
死者の言葉に耳を傾けるのが、法医学者としてのつとめなのだ。
そんなマリアージュの横顔を、ルークは目を眇めながら見つめていた。
「ではまず何から始めようかのう」
ようやく正式に解剖が始まり、エフィムをはじめとする医術士とマリアージュが、ローザの遺体の周り取り囲んだ。
マリアージュは事前に用意してもらった記録紙に今日の日付を書き込みながら、解剖の手順を説明する。
「では遺体の身長と体重を測定。それから外表を観察してみませんか?」
「うむ、妥当じゃな」
マリアージュは遺体の皮膚の色、乾湿の状態、死体硬直がどれくらい進んでいるかを確認してみた。死後硬直は死後早くて1~2時間、通常なら2~3時間経つと顎から首にかけて広がっていく。ローザの遺体も例に漏れず、まだ全身に硬直は広がっていなかった。
「オスカー殿、舞踏会でのローザ嬢の足取りはわかっているのですか?」
「本日の舞踏会の入場が始まったのが17時。あなたとローザ嬢の口論が目撃されたのが17時30分頃と報告を受けています」
「それはいいから!」
あくまで自分を疑っているオスカーの報告に、マリアージュは辟易した。マリアージュが知りたいのは、ローザが最後に目撃された時間帯だ。
「それ以後のローザ嬢の行動は? 誰かと一緒だったんではないんですの?」
「晩餐が始まったのが19時。ローザ嬢は白鳥の間でご友人達と晩餐を取られています。その後、20時少し過ぎから大広間で舞踏会が始まりました。舞踏会での目撃情報は……」
オスカーが横に立つ騎士に視線を送ると、騎士は首を横に振った。
「現在調査中ですが、舞踏会でローザ嬢を見かけた者はおりません」
「……なるほど。つまり殺害推定時刻は20時から遺体が発見されるまでの22時半の2時間半に限定されますわね」
死後硬直の進行具合を見ても、マリアージュの見立てに矛盾はない。
問題はここからどうやって自身の無実を立証するか、だ。
(死後2時間半、最長4時間と想定しても、死斑の位置から手がかりを得るのは難しいかもしれないわね……)
マリアージュは考え込んだ。
死斑とは死後早くて30分から数時間にかけて、皮膚に現れる紫色の痣のことだ。死斑は重力に引かれて、体の低い部分に現れる。
仰向けで横臥していれば背中、うつ伏せなら体の前面に。
だがもし遺体を動かすと、死斑が移動してしまうことがある。
今回の状況に当てはめて考えると、ローザの遺体はクローゼットの中に隠されていた可能性が高い。つまり犯人はマリアージュの気を失わせた後、ローザの遺体を引っ張り出して床に置いたということだ。
死後に死斑が現れていたとしても遺体を移動させたことにより血液が体内を流動して、死斑が体のあちこちにできてしまうことがある。ローザの遺体もこの例に当てはまっており、死斑から証拠を得るのは難しかった。
「ではやはり致命傷となった頭部の傷を調べてみるのが一番かのう」
「はい」
エフィムの提案に、マリアージュは素早く頷いた。医術士に頼んで、ローザの遺体をうつ伏せにしてもらう。
すると控えの騎士が「よく平気で触れるな……」と、顔を青くしていた。オスカーに睨まれ、すぐに口を閉ざしたけれど。
「これは……」
「なるほど。マリアージュ様の言いたかったことが、このおいぼれにもわかりましたぞ」
そしてとうとうマリアージュは発見した。
自分が犯人ではないという決定的な物的証拠を。
それはやはり殺されたローザの遺体にしっかりと――残されていたのだ。
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