第3話
そこから月日は流れ、拓海は高校三年生になった。本格的に受験戦争がはじまり、周りも当然のように空気がひりついていた。あの日以来、赤石・井上・拓海は順番にそれぞれの家で勉強会を開催するようになった。赤石は拓海に置き去りにされたのがよほど悔しかったのか、真面目に井上のしごきを受け、着実に成績を上げていった。井上は人に説明すると理解が深まるとより勉強会に意欲的だった。一方拓海は懐中時計を駆使し、勉強と遊びの両立を実現していた。勉強会においても、時間の前借りは役に立った。わからないところがあったら、まずは井上に説明してもらう。それでもピンとこない時もある。赤石なんてのは、何回も井上に聞くことができるだろう。そうして何とか噛り付いて頑張っている。だが拓海は良い点を取ってから、変にプライドが高くなってしまい、何度も人に聞くのは気が引けた。変に赤石より高得点を取ってしまっているがゆえに、なかなか素直に自分の無知を認めることができなくなっていた。そんなときのとっておき、懐中時計のツマミをちょちょっと捻ってポンと押せば、井上に質問を聞く前に戻ることができるのだ。そうしてあたかも初めて聞きましたみたいな顔をして同じことを聞く。井上は実質何回も同じことを答える羽目になるのだが、その甲斐あってか、以前より知識が身に付きやすくなっているらしい。
勉強会が終わって家に帰ると、いよいよ懐中時計の真価が発揮される。まずは落ち着く自分の部屋で好きなゲームを気が済むまでやる、これは息抜きと称しているため、罪悪感は薄い。そしてしっかりと風呂に入りリラックスする。しっかり夕飯を食べテレビを観る。受験の面接に向けて時事問題を収集するのだ、観ているのはバラエティが主なのだが。以前はこんなに好き勝手に過ごしていれば、母親は必ず勉強しなさい!だらだらしないで、受験生でしょ⁈なんてキンキンした声で拓海のケツを叩いただろう。しかし、成績が上がってからは至って穏やかだ、父親も同様。やりたいことを全てやったら、時間を未来の自分から前借りしながらマイペースで宿題と受験勉強を行う。常々、時間に追われるとやりたいことができないと思っていた。どうして時間は皆平等に流れるのだろう。ゆっくり過ごしたい人、追われながらもスリリングに過ごしたい人もいる。ゆっくり過ごしたい人には、スリリングに過ごしたい人より、たくさんの時間が必要なのではないか。それを拓海は実現できている。未来の自分を削ることによって。
(俺は要領が悪いのかもしれない、ペース配分も下手だ。だからこそ、今日だけを見ないで未来までをトータルで見るんだ。今自分のペースを知り、コントロールできるようにすることで未来の自分を要領の良い自分にするんだ。そのために、必要最小限の前借りで済ませる、俺はしっかり未来を考えている)
自分だけがズルをしている罪悪感が、常に付きまとうから、拓海はそんなことを考えながら日々を過ごした。
「俺たちは縁があるな、今年からも一緒の学校に通えるなんてな!」
赤石は満面の笑みで他二人を見る。勉強会の甲斐あって、三人は同じ大学に通うこととなった。井上は頭が良いため、医学部へという周囲の期待があったが、人に教える楽しさに気づき教師になるため教育学部へと進学した。赤石はもともとスポーツに関わる仕事がしたいという夢があったらしく、体育学部へ。拓海は勉強の中で英語の成績が
一番良かったため、外国語学部へ進学した。一年生では教養がほとんどのため、三人で行動できる時間が多かったが、徐々に専門に分かれていくと自然と一緒に過ごす時間は減っていった。そうなると、各々交友関係は広くなっていく。
「拓海は受験の時ってどうやって勉強してた?」
「…どうしたの急に」
拓海はサークルで知り合った看護学科の上田紗矢と一緒にランチ中。拓海は学食のパスタ(A定食)を巻く手を止め、紗矢はかつ丼を頬張りながら続けた。
「単純に興味あって。ここってまあまあ偏差値高いからさ、なんか効率良い勉強法とかあったのかなって思って」
紗矢は付け合わせの沢庵をかじる。拓海は当然返事に困る。だって、チート能力を使ったから。
「紗矢だって、同じ大学に通ってるんだから。今更勉強法なんて聞かなくても十分勉強できるだろ」
「あれ、言ってなかったっけ?私浪人したんだよ。だから拓海より一個上。めっちゃ頑張って一年余計に勉強したけど、やっぱり医療系って難しいわ。最近ついていけるか不安になってきたからさ。拓海地頭良さそうだから、アドバイスよろしく」
は?初耳だ。そういうのって最初に話すことじゃないのか?いや、自分からは話さないか。しかし、アドバイスなんてできるわけがない。過ごした時間だけで言ったら、紗矢の何倍にもなるかもしれない。
「紗矢は…、なんで浪人してまでここの大学に入ったの?看護学科なら他の大学でも良かったんじゃないか?」
紗矢は箸を止める。
「ちょっとアドバイスは…ってまぁいいか。ふふん、ここの大学に拘るには理由があるんだよ。話長くなるけど聞きます?」
「手短に」
「そっちが聞いてきたんだろうが。長くしてやるから覚悟しろ」
長くなると宣言があったので、食器などは片づけてからしっかりと話を聞くことにした。
紗矢が小さいころ、なかなかな大怪我をして入院したことがあったらしい。手術までするような怪我。そこで担当してくれた看護師さんにすごく憧れたらしい。
「すんごいカッコよかったんだよ。入院ってただでさえ知らない場所に寝泊まりしなきゃいけないし、ずっと親がいるわけじゃないし、寂しいじゃん?その看護師さんは出来るだけあたしが寂しくないように、すっごい小まめに会いに来てくれたの。あたしが話したいことがあればうんうんって聞いてくれるし、ちゃんとお薬のこととか説明してくれたんだ。ちゃんと向き合ってくれた感じがしたんだよね」
それは一目惚れだったそうだ。退院してからもその看護師にお礼の手紙を書いたり、会いに行ったりしたらしい(仕事の邪魔しに行ってないか?)。
「もうそっからの夢は看護師一択だったね。しかもだよ、その看護師さんの母校がここだっていうじゃん!じゃあもう、受験しないわけにいかないでしょ‼でもさ、ここって偏差値高いから、親にも高校の先生にも無理って言われた。ちゃんと勉強は頑張ったつもりだったけど、全然足りないって…」
「みんなから言われたのに、志望校は変えなかったの?」
拓海は頬付けをつきながら言うと、紗矢はキッと鋭い視線を向けてきた。
「おい、真面目に聞け!話を聞く姿勢がなってない‼…だってさ、考えてみなよ?そこで周りの言うとおりに違う学校にいっても、確かに看護師にはなれるよ?でも、それじゃあたしが小さいころから目指してた夢は叶ったことにはならないの。あたしはあの看護師さんに憧れて、同じ学校に入って同じ看護師になりたいって思ってたの!だから、それを曲げるのは違う‼」
紗矢は腕を組み、ふんぞり返りながら言い放つ。そして拓海をしっかり見据えて続けた。
「あたしは、今足踏みしても、将来後悔しない方を選んだ。人それぞれだと思うけどね。…拓海は何か夢とか、譲れないこととかある?」
拓海は答えに困った。今までそんなに譲れないことが己にあっただろうか。森須に出会って、そこからはなんとなくで時間を過ごしてきた。成績は上がったが、成績を上げたいと思って上げたことはなかった。大学選びも井上・赤石が行くから、今の成績なら入れるという理由で選んだに過ぎない。未来を前借りしてやったゲームや遊びだって、特別やりたいわけでなく周囲に勧められ、周囲の流れに乗っただけに過ぎない。そういえば、井上と赤石はちゃんと将来を考えて学部を選んでいたっけ…。拓海は英語の成績が一番良かったからという理由で選んだ。
将来の夢は……?何がやりたいんだっけ。あれ、未来を前借りしてまでやってたことって、意味あるんだっけ?
「拓海?どしたの固まって。そんなに考えないとやりたいこと出てこないのー?」
紗矢が拓海の目をのぞき込み、前髪をいじっている。
「…ああ、そ、そうだな。改めて言われると夢とか譲れないこととか、ないかも」
「へぇそうなんだ。ちっちゃい頃はなんか夢あったんじゃない?警察官とか消防士とか…」
拓海は動けない。幼少期のことを思い返すが、なかなかなりたかったもの、やりたかったことが浮かんでこない。
「そんなに思い詰めんなって!まだ就活までは時間あるし、今からでも興味あること探せばいいじゃん。文系って融通利きそうなイメージあるし。看護学科は明確な資格とれるけど、就職先とか決まってくるしさ」
紗矢は講義があるからと小走りで行ってしまった。
その日はイマイチ講義にも身が入らず、サークルにも寄る気が起きなかったため真っすぐ家に帰った。
「…バイト休みで良かったわ」
今日は何も身が入らないので、バイトで何をしでかすかわからなかったから良かった。自分の部屋に入ると、すぐにカバンを下ろした。やりたいこと、なりたいもの。ちゃんと考えてみると、全然浮かばない。
(昨日まで何勉強してたんだっけ…。これって、俺の将来の何に役立つんだっけ)
重いカバンの中身が、急に拷問の重りに見えてきた。今まで重りを背負って移動していたのか?ただでさえぼんやりしていた自分の将来が、もっとぼんやりした。手を伸ばしても何もつかめない、濃い霧が立ち込める。けど、光はなんとなくある、真っ暗ではない。…意外と暗いよりなんとなく明るい方が怖いかも。暗闇は見えないから何が出てくるかわからないから当然怖い。でも、なんとなく明るいのは、見えているのに、ちゃんと明るいってことはわかるのに、その先に何があるかは認識できない。それなのに何かを見つけようと、手探りで地面やら前やらに必死に手を伸ばす、歩き続ける。
「自分の目指すものがないっていうのは、こんなに不安なことだったのか?」
高校の時、赤石に言った。
『将来のことを考えるなら、そろそろ本気を出して勉強しないとな』
…どの口が言っているのだ。笑いが込み上げてきた。友人たちはなりたいもの、自分の将来を見据えて今から動いている。ゴールがある程度決まっていれば、多少悩んでも気持ちが折れても、また立て直せるかもしれない。
(俺は?)
何に悩む?何で気持ちが折れる?将来っていつのことだ?就職?結婚?…葬式?今までの人生、自分からこれがやりたい、これでないと絶対だめだ!なんて主張したことなんて、今思い返せば無かったかもしれない。
「唯一自分で決めたことは、自分の未来を削ることだったか」
懐中時計はあの頃から少しも変わってない。手で触れていれば多少汚くなるかと思ったが。少しも変わっていない、時計も、拓海も。
拓海の成績は、その頃からみるみる落ちていった。心配した周囲の気遣いで、勉強を教えてもらいもしたが、以前のように知識が頭に入ってこなかった。時計を使い、時間を前借りしても、その罪悪感で思うように頭が働かず、さらにその気持ちを埋めようと時計を使った。周囲の目は徐々に哀れみに変わっていった。偏差値が高い楽興だけあって、みんな頭が良い、できない人の気持ちがわからない奴のほうが多いらしい。井上・赤石は最後まで気にかけてはくれていたが、学科が違うため教えられるところもなかった。ゼミの教授からも何かと説教じみたことを言われることが増えた。何とか留年だけはしないようにするのに必死だった。
就活もひどいものだった。やりたいことがわからないため、合同説明会でも、どこの話を聞きに行ったらいいかわからない。できるだけ多くの会社の説明を聞いてみるが、どれもピンとこないような気がした。しかし、ぐずぐずしている時間はなかった。とりあえず面接は受けに行った。しかし、肝心の志望動機が薄い。だって、とりあえず受けているだけだから。当然のように落ち続ける日々だった。その中でも受かるのは、明らかにブラック企業。
(当然だ。俺を欲しがる会社はまともな会社じゃない)
とりあえず給料がもらえて、食うに困らなければいいか、そう思ってしまっていた。
そんな中、拓海は奇跡のようなホワイト企業に就職できた。小さなホテルだったが、近年外国人の宿泊客が増え、話せる従業員を増やしたいとのことだった。
「今はみんな大手に就職したいでしょ?うちみたいな小さいところは、良い条件もなかなか出せないから人だ集まらなくてね。本当に助かったよ」
人事の人は優しかった。他の従業員もみな優しかった。
「…ここでずっと働きたいな」
拓海の口から、自然と言葉がこぼれた。
「お、いいよ、ずっと働きな!」
「このホテルふぁある限りはね!いつなくなるかわかんないけど」
スタッフたちの笑い声が聞こえる。拓海は気づいた。これも未来、自分のなりたい未来だ。そうか、こんな簡単なことでいいのか。なりたいものはあったらあった方がいいけど、なくても見つかるんだ。ここ数年頭にこびりついていた錆が落ちたようだった。拓海には夢ができた。
『ずっと、このホテルで働く』
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます