第2話

 「…はい終了!後ろから集めてきてー」

声と同時に鉛筆を置く音、投げる音、ため息、安堵の声、様々な音が聴こえ、教室がざわついた。次第に紙が重なる音が波のように後方から前方へ押し寄せる。

(こんなに心穏やかなのは初めてだ)

拓海は充実感を嚙み締めた。あの後、かなり時間を前借りした。それでもざっと未来一時間分、現実では六時間分。

「特殊能力に目覚めた主人公ってこんな気分なのか…」

シャープペンシルと消しゴムを見つめ、口角が上がりそうなところで、後ろから衝撃を受けた。

「拓海―‼俺はもう家に帰れない‼今回の結果見せたら親に殺される‼」

底辺仲間の赤石がバックハグをしてきた。これまでは拓海も赤石とどんぐりの背比べの成績であるため、テスト後はこうして傷の舐め合いをするのは常だった。そう、これまでは…。

「赤石宗晴君、君はどうしていつもそうなんだね。前回の教訓を生かして勉強したまえよ」

赤石の顔、写真を撮っておけば良かった。まさに鳩が豆鉄砲を食ったよう。赤石は拓海の前方に回り鼻をくっつけそうになりながら詰め寄ってきた。

「おぅおぅ大間さんよ!まるでてめぇが今回は俺より点数をとれたような口ぶりじゃねぇか!」

拓海は黙る。口元は今にも緩みそうで、引き締めるのに必死だ。

「…まさか、お前。嘘だろ!俺たち、卒業まで一緒に補習受けようって約束したじゃねぇか、裏切るなんでそんな…」

「赤石うるさい」

泣きそうな顔の赤石の頭上に拳が振り下ろされ、赤石の顔は机に沈んだ。井上がいた。拓海たちと仲が良く、拓海たちより勉強やスポーツができる、いわゆる陽キャ。陰キャと仲良くしてくれる、稀有な存在だ。

「いっつもテスト前にゲームに集中力を発揮するお前が悪いんだろ、嫌なら普段から勉強しろ。もしくは俺んちで開催される勉強会に参加しろ。それより大間、お前らしくないな、どうしたんだよ今回」

井上は赤石の頭上で話し続ける。赤石はまだ机と接吻を交わしている。マイペースな秀才は友達を殴っても自分のペースを乱さない。

「まあ、今回は気持ちを入れ替えてさ。俺らも高校二年で将来を考えないといけない時期になってきたしな、そろそろ本気出しとかないと」

拓海は出来るだけ気取った雰囲気が出ないように努めて発言する。

「ふーん、良い心がけだな。ところで気取ってるところ悪いけど、本当に大丈夫なのか?カッコつけてダメだったことも何度か見てるからな」

さすが秀才、的確だ。

「大丈夫だ、今回は本当に一味違うぞ。こんなに答案が返ってくるまでの期間が清々しいことは今までなかったからな」

赤石が復活した。

「いってぇ…。まあ、俺はいつまでも待ってるぜ、一緒に補習を受けるその日をよ」

おでこの真ん中が赤くなっている奴が何かを言ってた。




 そして、ついにこの日がやってきた。テスト用紙返却の日だ。うちの学校は各教科の先生がそれぞれ渡して『今回はよくできた』だの『こんなに簡単にしたのにどうして平均点が低いんだ』なんてことはせず、どどんと一括返却する。…だからこそ、ダメージが大きいのだが。

(井上は、いつも通り余裕そうだな。赤石は…屍だ。問いかけても返事はないだろう)

教室をぐるりと見まわし、拓海が前を見る。時間は十分に前借りし、今までにない自信がある。そうはいうものの、今までそんなに自信があった試しがないため、本当に大丈夫かはフィフティ・フィフティだ。ガラッと教室の扉を開け、担任が入ってくる、紙束を抱えて。教室の空気が張り詰める。

「さぁ、お楽しみのテスト返却だな。学年平均は、今までのものと大きく増減はないそうだ。じゃ、出席番号順に返すからな」

出席番号順あるある、大体五十音順に沿っている。そのため、拓海たちの結果はすぐに明るみに出てしまう。屍の赤石の結果なんて特に…。

「赤石…。早く取りに来い、いつまでも死んでるな、…いつもと同じだから」

「ひでぇ!」

赤石が勢いよく立ち上がり、椅子が倒れる。椅子に目もくれず、赤石は先生に突進した。むんずと用紙を奪い取るとそそくさと席に戻る。周囲の席の男子が赤石を慰めていた。

「毎回恥ずかしがるなら勉強すればいいのに。はい、秋田―、浅野―、石田―、……井上、お前次のテストから赤石の家庭教師やってくれないか」

「報酬は?」

「カントリーマアム四個でどうだ」

「一袋で手を打ちましょう」

「足元見やがって、交渉成立だ」

いや、いいんかい‼クラス全員が突っ込んだことだろう、心の中で、知らんけど。

「―…、大間、お前…」

担任の手が止まる。どっちだ。

「…どうしたいきなり。もっと早く本気出せよ」

担任が差し出した用紙はほとんどが八割を達成していた。拓海は手が震えた。安堵と驚愕で言葉は出ず、静かーに席に戻る。赤石の目が最高に怖かったことは記憶に刻まれた。




波乱の時間が過ぎ、昼休み。補習組は今後の予定を伝えるため呼び出されていた。

(呼び出されない昼休み最高)

幸せを噛み締めていると井上がコッペパンを片手に寄ってきた。前の席にドカッと座り込む。

「嘘じゃなかったな、ほんとにどうしたんだよいきなり。お前勉強できるんじゃないかよ、なんで今まで手抜いてたんだよ」

ああ、これが陽キャの世界か。拓海に鼻穴が膨らむ。

「だから、言っただろ?ちゃんと将来のことを考え始めたんだって。今までのままじゃいけねぇってな」

終始不思議そうであったが、井上はそれ以上は何も言わなかった。…ゾンビの赤石が戻ってきた。

「大間先生よー、どんな秘策を使ったんだよ、なんかズルでもしてなきゃ俺たちの間にそんなに大きな溝が生まれるはずなんてないのに…!」

もうむちゃくちゃだ…と言いたいところだが、実質この世のものとは思えないズルをしているので何も言えない。

「頑張ったってことよ、次のテスト前は一緒に勉強しようぜ。俺もカントリーマアム貰っちゃ、仕事はきっちりこなさないとな」

井上が上手くまとめてくれた。…あの闇取引は生きてるのか…。




 その日は授業が終わってもなんとなく、すぐに家に帰る気にはならなかった。帰宅部だから帰っても良いのだけれど。誰もいない教室で自分の机に腰を下ろす。今日のクラスメイトの対応は、テスト返却のあの時からやや変わった。テストのことを話題に何人か今まで話したことがない人が話かけてきた。男子も女子も。なんだか以前よりも教室の居心地が良い。赤石は馬鹿だが、性格が明るく人懐っこいためクラスメイトは皆友達のような奴だ。井上はあまり多くの奴とは話さないが、意見が的確なためクラスにおいても重要な存在だ。拓海は人見知りで成績も下の中、運動も特別できなければイケメンでもない。特にやりたいこともなく部活も入らず、高校生活は極めて低刺激な物だった。今回のこの一件は、拓海にとってはかなり刺激的なものだった。ズルとは言え、自分の時間を有効利用して自分の力で高得点をたたき出し、それがクラスメイトに認められたのだ。

「自分の力で何かを為すってのはいいもんだな」

腎性の成功体験は様々あるが、今日の体験は人生で一番の成功体験だった。

「テスト、いかがでしたカ♡?結果は残せましタ?」

背後で声がした。びっくりして振り返ると森須が一番後ろの席にキチンと座っていた。今日は浮いていない。

「…、あの。急に出てこられるとびっくりするんだけど」

「これはこれハ、申し訳ありまセン。どうもサプライズが好きなものデ」

森須は丁寧に頭をたれ謝罪する。反射的に拓海もお辞儀してしまう。

「ところで、なんでここにいるの?ひょっとしてもう時計返せってこと?」

拓海は身構えた。さすがに一回使っただけで返すのは惜しい気がする。

「いいえ、わたくシは回収に来たのではありまセン、確認に来たのデス」

「確認?」

森須は席から立ってゆっくり近づいてくる。

「何分お客サマの時間を使うものですので、ご使用後には担当者が使用を継続するかを確認しなければならないのデス。こちらも良心的な商売、皆様の些細なお気づきや希望には敏感になりたいのデス」

「クレームを事前に処理しておこうみたいにも聞こえるね」





「まあ、受け取り方は人それぞれですのデ。それで、拓海サマ。ご使用の継続の件ですが、いかがしましょうカ?」

森須はまたもや上から見下ろしてくる。相変わらずにやにやと拓海を見つめる、目は見えないが。

「そんなの決まってるだろ、まだまだ使うよ。俺は俺の時間を有効活用する!」

森須は噴き出して笑う。

「ぷぷっ♡気に入っていただけたなら何よりでございマス。本当は現在流れている時間を有効活用していただきたいところですガ」

「クレーム一つ、『担当者が客を小ばかにします』」

「ああ、すみまセン、営業成績に響きますのでクレームはご容赦ヲ」

森須は慌てたフリをする。

「ところで」

拓海には一つ疑問があった。

「今までの客で、寿命を使い切った人っているの?前借りのし過ぎで早死にした人とか…」

いくらチートな能力を持ったって、早々に人生に幕を下ろすのだけは勘弁だ。せっかくだから、人並みの幸せを謳歌してから死にたい、拓海は目でもしっかり訴えかけた。森須はいつもの調子を崩さず答えた。

「普通の方なら大丈夫ですヨ、そもそもそうならないように前借り時間の引き延ばしもやっておりますシ。多くの方が人生をエンジョイして老いて、家族に囲まれながら天に召されマス」

森須の背中からは白い羽が生え、パタパタ飛んでみせた。どうもイチイチ胡散臭いが、拓海は十七歳、超高齢化社会の現代では、これから平均寿命がもっと延びるだろう。たとえ七十歳台で死ぬ運命だしても、あと五十年近く前借りできる時間はある。

(さすがに五十年も前借りはしないからな…)

「…安心した、聞いておいて良かったよ」

森須は満足そうにうなずき、消えた。教室にはまた拓海一人になった。夕日が窓から差し込み、ほとんどの机をオレンジ色に染める。夕日からの光を貰い損ねた机は仲間外れで拗ねているようだ。

(俺はやっと照らされる机の仲間入りをしたんだ。もう日陰の机には戻らない)

「馬鹿な使い方はしない。自分の時間を有効活用するんだ」

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