ADVANCE
蓮村 遼
第1話
「…あー。終わんねぇな!」
拓海は天井を仰いだ。高校二年の定期考査、テスト前日にして何もかもが中途半端で、範囲は終わりそうもなかった。ただただ知識が羅列されているノートをぼーっと眺め、勉強机に足をかけ椅子を前後に揺する。リズムよく椅子を漕ぐとやる気ではなく、眠気が湧いてくる。
「っつあ!」
調子に乗って後ろに漕ぎすぎた拓海は、勢いよく倒れ床に後頭部をぶつけ悶絶する。倒れたついでに机の上のノートを蹴ってしまったのか、物が降ってきた。がしゃんと落ちた時計の針は十一時四十三分を指す。痛みで眠気は冷めたが、依然としてやる気は湧いてこない。
(ああ…、なんで昨日ゲームなんてやっちまったんだ、後悔するなんてわかりきってたのにさ。母さんにも叱られる)
いつもこうだ。後悔するのはわかっているのに、切羽詰まらないとやらない。何事にもそうだった。自然と苦笑が滲む。
「いやぁ、どう考えても時間がない!」
時間は皆が唯一平等に持っているものだと言えるが(俺の見解だが)、それでもとんでもない発明をする人、めちゃくちゃ金を稼ぐ奴、貧乏でその日の飯にも困る奴、どうしようもなくなって死んじまう奴まで居てピンキリだ。誰もが人生の勝ち組にはなりたいはずだが、そう上手くいくはずもない。
「いや、俺が遊ぶのが悪いんだけどさ。俺はやる気が出るまで時間がかかるんだよ!もし一日が二十四時間じゃなかったら、俺だって…」
そんな夢みたいなことも考えるほど追い詰められている。今回はそれほどまでにやばい。
《そのお悩み!解決できちゃいマス♡》
「…は?」
空耳だろうか。明らかにおかしい声がする。語尾がカタカナなんて、絶対まともな奴じゃない。いや、まず自分一人しかいない部屋で他人の声がすることがおかしい。
「だ、誰だよ⁉」
人影はない、いつもの自分の部屋だ。追い詰められすぎて幻聴が聴こえ始めたのだろうか。
《コッチ、コッチ!後ろデース♡》
…幻聴、ではない?おそるおそる後ろを振り返ると、そこには一人の男性が、浮いていた。真っ黒なシルクハットを被り、これまた真っ黒なスーツ(ツーピースってやつか?)に蝶ネクタイ。昔の海外映画に出てきそうな、持ち手がカーブしている杖を持っている。そして顔は、某〇殺教室の先生みたいだ(目はなし)。そして、両足は床に着いていない、浮いている。
(さっき頭ぶつけたから変なの見えてんのかな…。ただでさえ良くない頭が)
なんて思っていると、その紳士風の不審者は楽しそうに拓海に話しかけてきた。
「私は不審者ではありまセンよ♡申し遅れました、わたくシ、こういう者デス」
ご丁寧に名刺を渡してくる。
『時間がない!お困りのあなたに! 前借り屋 営業mors』
名刺にはシンプルに右記が書いてある。シンプルすぎてなんのことかはサッパリだ。名前なんて読めない。名刺から顔を上げると、不審者は拓海を見下ろしていた。ただでさえ浮いているのに、拓海よりはるかに高身長のため、かなり上から見下ろされる。黒ずくめの不審者に見下ろされるとかなりの迫力がある。
「ム、わたくシをまだ不審者と思っていますネ。私はれっきとした商売人でございマス。名刺にも書いてありますでしょウ?森須と。わたくシはあなたの悩みを嗅ぎつけてきたのですヨ!」
広い世の中、そういう職業があるのかもしれないが、『嗅ぎつけてくる』なんていう大人はいまいち信用に値しない。
「あの、そういう変な勧誘は間に合ってますんで、帰ってもらっていいですか?一応テスト前なんで勉強しないとだめで」
不審者が普通の理由で引き下がるかはわからなかったが、間違ってはいないからいいだろう。ところが、その不審者は帰るどころか、拓海の前に迫ってきた、なかなかの勢いで。
「それ!それですヨ!拓海サン、さっき時間があればって思っていたでしょウ?」
「‼ …思ったけど、なんでわかんの?キモいんだけど」
「わたくシ共前借り屋のレーダーは敏感で、そういうお悩みには反応するんデス。わたくシ共の商売はズバリ!『時間』をお貸しすることなんデス‼」
…何を言ってるんだ、こいつは。時間を貸す?
「やっぱりさっき頭ぶつけたのが効いてるな」
「おや?信じてなイ?きちんとしたお仕事ですヨ。パンフレットもありマス♡」
差し出された紙には使った人の感想やら会社の理念やらが載っている。どうやら実在はする商売らしい。…明らかに人外が働いているのは置いておいて。勉強はしなければならないが、どうせ今からやっても間に合わないことは明白なので、よく出来た妄想のような目の前の奴の話を聞いてみることにした。
「わたくシ共は、時間が足りないと感じている皆様に時間をお貸しするお仕事をしていマス。おおっと、どうやって?そう思ってらっしゃいますネ?もちろんタダでとはいきまセン。しかし、金銭は扱いまセン」
? 意味が分からない。タダじゃないのに、金を扱わないなんて。
「どういうことだよええと、あんたの名前なんて読むの?
「モルスと申します、日本の方には森須と呼ばれておりマス」
「…それじゃ、森須。こっちは得するけど、そっちは損するじゃんか」
森須はにやっと笑った。〇〇教室の先生と違い、歯がギザギザしており、笑うと一層鋭い歯が目立った。
「もちろん、何もないところからポンっと時間だけを生み出してお貸しするのは至難の業デス。わたくシ共が、皆様の未来の時間の前借りをお手伝いさせていただくのデス」
未来の前借り?だから『前借り屋』なのか。ネーミングには納得したが、色々疑問は残る。
「それでも、いったいどうやって未来の時間を前借りして居間に持ってくるんだよ。現代の技術じゃ無…」
「その辺は企業秘密なのでお話できまセン!ですが、パンフレットにも書いてある通り、利用された方からは良い評価をいただいていマス。」
拓海が持っているパンフレットを、森須はパラパラめくり、ページを示す。
「そしてそしテ!わたくシ共の事業の最大の特徴は前借りする時間にありマス!わたくシ共は特殊な技術を使って、時間を引き延ばすことに成功しましタ!ですので、未来から十分を前借りした場合、現在の時間では六倍の一時間として使用することができるんデス‼」
ふざけた話が耳に入ってくる。未来を前借りして現在では六倍にして使える?
「いろいろ突っ込みどころはあるけど、そんな都合のいい話ってことは、デメリットも相当あるんだろ?」
「拓海サマ、なかなか鋭いですネ!しかし、ご安心ヲ。わたくシ共の事業は皆様にただただ時間を有意義に使っていただくことを第一に考えておりマス。皆様の笑顔がわたくシ共の給料ですで、デメリットはナッシング!良心的でございましょウ?」
どこまでも胡散臭い。しかし、夢のような話で、今を逃したら後はない、そんな気がした。途方もないこれからの人生の時間をほんの十分そこら使ったところで、大きな影響があるようには思えなかった。
「…そこまで言われちゃ、使わないわけにはいかないよな。現にこの説明でかなり俺の勉強時間も削れてるし。そこんとこは取り返しとかないと」
森須は手を叩いて喜んだ。
「あア♡!素晴らしい考えですネ!きっとあなたにはこの先良いことが起こりますヨ」
そういうと森須は懐からレトロな懐中時計を取り出した。ゴールドだが輝きは控えめで、かなり使い込んだ感じがする。普通の時計は長針、短針があるが、この時計には長針しかない。文字盤の裏側は何か複雑な模様が刻まれている。そして同じようなゴールドの短い鎖もついている。
「こちらを差し上げマス。時計の上にツマミがありまして、そこを回すと針が動きマス。使いたい時間分、例えば一時間をご使用になりたければ十分ですネ。時間を合わせてそのツマミを上からポンっと押しマス。そうすれば、あら不思議!時間が一時間巻き戻っているのでございマス」
説明をしながら森須は実際に時計を使って見せた。さすがに実際に時間を戻しはしなかったが。
「…ちょっと待てよ」
拓海はふと疑問が湧いた。
「森須ってお前一人なのか?もし他にも従業員がいるなら、この時計を持ってる人も何人かは居るってことだろ?そいつらが自分の好き勝手に時間を巻き戻したら、なんか変なことにならないか?」
森須は嬉しそうに笑う。
「拓海サマは頭の回転が速いですネ♡でも心配には及びまセン。わたくシ共としても、世の中をぐちゃぐちゃにはしたくないので、その辺は調整しておりマス、もちろん企業秘密ですガ…♡」
怪しすぎるが、遠慮は無用らしい。
「ふーん、そうなんだ。じゃあ気にしないでいいな」
夜中も夜中で、自分のテンションもよくわからない。もう疑問に思わなくなってきた。すんなり事態を受け入れられてきている。いつの間にか、森須から時計も受け取り、時計は手に収まっていた。ちょうどよいサイズで収まりが良い。
「じゃあ、使ってみるよ。…返す時はどうすれば…」
時計から視線を上げると、森須の姿はすでになかった。時間にしてみれば三十分程度の出来事だったようだ。狐につままれたどころか、鷲掴みにされて、知らない世界に放り投げられた感覚だ。懐中時計の存在だけが、さっきの出来事を現実として証明している。
「…説明で三十分も時間取らせやがって」
ちょうど良い、拓海はさっそく懐中時計を使ってみることにした。時計の長針を「1」に合わせる。あとはツマミを押すだけ。
(…爆発したりして)
そんなありもしない不安がよぎる。何度もいうが怪しい、怪しすぎる。この時計がどこかの諜報機関の装置、もしくは凶悪な爆弾じゃない保証はない。今になって恐ろしくなってきた。
(小さい頃は知らない人からものを貰うなってよく言われてたな)
大人になるにつれ、周りは知らない人の方が多くなる。会ったこともない人からネットを通じて物を買ったり、よくお互いを知らない奴らと個人情報を交換したりする。今や、『知らない』ことに対する恐怖は薄れてきている感覚は麻痺してきている。グルグルぐるぐる、ただ不安を煽る考えだけが頭をめぐる。
(やらない後悔よりやる後悔、やらない後悔よりやる後悔…)「やらない後悔より、やる後悔!」
深夜テンションとは怖ろしい。拓海の手はさっきまでの逡巡がなかったかのように、あっさりとツマミを押した。
かちっ
自分の部屋だ。さっきまでと同じ。文字が並んだノート、散らばったプリント、倒れた椅子、床の時計…。いや、さっきとは違う、いや同じというべきか。時計は十一時四十三分を示していた。時計の最終確認は、森須が現れる前。しっかりその目で確認した。森須とは結構話していた。もしその出来事が夢であっても、時計はいくらか進んでいないとおかしい。時計が壊れているなんてことも…なかった。秒針は子気味の良い音を刻んでいる。
「この時計、本物かよ…!すげぇ‼」
…オーパーツは実在したのか。いや、現代の技術なら…、無理だ。鳥肌が立つ。自分は前世で何か得を積んだのか、未来で功績を積んだから、過去の自分が恩恵を受けているのか。…考えるだけ無駄だ。今できることは一つ。
「テスト勉強だ」
拓海は、今度は迷わず三十分ほど未来を前借りした。
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