第11話-愛しているから

 白とベージュを基調としたリビングを思い出しながら、晴翔は家具を眺めていた。

 重厚感のあるウォルナットやローズウッドの家具が並ぶ中にあって、自宅のダイニングに、と考えた時しっくりくるものはなかなかなかった。

「カッコいいのが多いね」

 そう考えているのは晴翔だけではなく、父と母も同様の感想を抱いていた。

「ね。家のがかわいすぎるんじゃない?」

「思い切ってセットで変えちゃうのもありかしら」

「でも、黒い家具は圧迫感があって苦手なんだよなぁ。あれも結構高かったし」

「そうなの?」

「シカモアって高いんだよ?」

「ママが一目惚れしちゃったから、パパが買ってくれたのよ」

「そうなんだ」

 展示されている家具を見渡して、晴翔は明るい色を探してみた。やはりどれもどっしりとした色調で、晴翔はその色合いの中にいてなぜか胸が痛くなった。

「シカモア材も扱えますよ。ほんの少し割高にはなってしまいますがね」

 背後から話し掛けられ、晴翔は肩を跳ねさせる。木崎一家が振り返ると、そこにはジュストがいた。

「あ……お兄さん」

「こんにちは、ハルトくん。いつもダビが迷惑を掛けて申し訳ない」

「あ、いや……えっと」

「ダビって?」

 息子の友人は全て把握していると思っていた両親は、知らぬ男——しかも日本人ではない——に話し掛けられている息子を見て狼狽えた。

 いつそんな交友関係が出来たのだろう、と。

 そんな二人の様子を見たジュストは警戒されていると分かり、色気のある困り顔で答を与えた。

「ロビーで会いませんでしたか?招待状をお送りした、私の弟のような男です」

「……あ、ああ……彼か」

 ロビーで我が子に迫っていた男を思い出し、父はヒクリと頬を引き攣らせた。

「父さん、こちらが例の」

「ああ、ハルトくん?の?ご両親?」

「え、ええ、初めまして」

 と、晴翔の父とダビドの父は初めて顔を合わせ、ごく自然な流れで握手を交わした。

 ダビドの父は嬉しそうに、晴翔の父は窺う表情で様子は全く違うが、その真っ直ぐな明るい印象に晴翔の父も強張っていた表情を和らげた。

「シカモアはもともと希少な木材なので、その分プラスでいただくことになりますが、今回はダビの想い人のご家族ですから、少しサービスしますよ」

「おもいびと……」

 ありがとうございます、と目を点にし、晴翔の父は呟く。

 勘違いじゃないのか、やはりそういうことなのか、と頭の中では大混乱の模様を呈しているのだ。

「父さん、困ってらっしゃる」

「え?ああ、申し訳ない。ダビが嬉しそうに話してくれるものだから、つい……嬉しくてね」

 喜びを隠す事なく全面に顕すダビドの父と対照的に、晴翔の父は受け止めきれておらず、ハハハ、と力なく笑うのが精一杯だった。

「さて、お探しの品は?」

 気を取り直し、ダビドの父が問うと、晴翔の父はクッ、とネクタイを締め直すような仕草をした。気合いを入れる時の癖である。

「ダイニングテーブルを買い換えようかと。ただ、うちはそんなに広くありませんから明るい色のものがいいなぁ、と思っていまして……」

「なるほど。確かに暗い色は空間を引き締めてはくれますが、少し圧迫感が出てしまうかもしれませんね。因みに、フロアのお色は?」

「あー、ミディアムブラウン?というか、ここにある家具よりも少し明るいです」

「おお、それは……印象に違わず可愛らしいお家ですね」

 脳内でミディアムブラウンのフロアにシカモアのダイニングテーブルを設置したダビドの父は、木崎一家のイメージにぴったりな部屋で感心した。

「それなら、シカモアと一味違った美しさのバーズアイメープルなんて如何でしょう?こちらも希少ではありますが、ローズウッドと然程変わりません」

 提案しながら、白色系木材の見本を収めた分厚いファイルを開く。

 ホワイトシカモアとバーズアイメープルのページを交互に見せると、ダビドの父はニッと笑って見せた。

「不規則な柄なのね」

「ええ、天然なので、ひとつひとつ異なりますから、イメージ程度ですが」

「どうだい?」

「他におすすめは?」

「ヒノキなんかは?日本のもので質もいいですし、表情も出ます」

 第三の候補を見た夫婦は顔を見合わせ、頷いた。

「やっぱり、さっきの……」

「バーズアイメープルでお願いしようかな」

「かしこまりました。では、向こうのテーブルへ。デザインの希望など詳細を伺います」

 と、なんとか決まったのだった。


***


 レストスペースに居座る青年は、冷めて苦味の増した紅茶のブラウンをジッと見詰めていた。

 パーテーションのないこのスペースからは、会場全体が見渡せる。

 よって、愛しい人とその家族と、自身の父と似非兄弟が話しているのを、ずっと遠くから見詰めていたのだ。

 僕は近寄れもしないのに、と。

 しばらく会いたくない、と言われてしまった。それにばかり打ちひしがれていて、未だ立ち直れてなどいない。ゆっくりと過ぎる時間が腹立たしかった。

 一週間の辛抱だ、と思うのか、はたまた、一週間も会えない、と思うのか。

 当然ダビドは後者で、今この数十分ですら耐え難かった。

 カタン、と椅子を鳴らして立ち上がり、カップの中身を一気に飲み干す。渋くて苦い、大嫌いな味だった。

 レストスペースにいたダビドがホールから出て行くのを、ジュストは横目に見ていた。

 臍を曲げている事を分かっているから、引き止めにも連れ戻しにも行かない。今は、ジュストも忙しいのだ。

「ハルトくん、ダビドがすまないね」

「いや、その……お兄さんのせいじゃないから、気にしないで」

「いや、私のせいでもある。何度も止めているのだけれど、知らない間に家からいなくなっていることもあってね」

「……そっか」

 晴翔は少し居心地が悪かった。

 ひどいことをした覚えはないのだが、ダビドを突き放したというのに、彼の兄——だと晴翔は思っている——とは話していて、それが後ろめたく思えたのだ。

 特別な人ではないのに。

「ダビは、真っ直ぐないい子なんだよ」

「……そうなんだね」

「周りの声が聞こえなくなる事とか、周りが見えていない事とかよくあるんだけど、その……愛が、深い故なんだ」


 僕は君を愛している。


 ダビドの低い声が、晴翔の脳内で響いた。否、ずっとこびり付いていて離れないのだ。鼓膜から入ってきてじんわりと、ゆっくりと晴翔の中に広がり、イタズラをされているようだった。

 ゾワゾワとして、胸の辺りが熱くなるような。

 初めて向けられた言葉だった。両親から注がれてきたものとは違う、熱いものだった。

 耳元で囁かれたのではないのに、一気に耳が熱くなって——怖くなったのだ。

 晴翔の知らない感覚だった。

 謙吾に抱き締められた日は、確かに謙吾の体温の高さや心臓の音のうるささを実感したのだが、晴翔はそれに釣られるようなことはなかった。

 親しさなら、謙吾の方が親しいだろう。幼馴染で、ずっと一緒にいるのだ。喧嘩もした事がないし、謙吾がどう思っているのかは別として、一緒にいるのは心地良かった。

 その関係に変化が訪れる事はない、と晴翔は分かっていた。

 だからこそ、関係を壊したくない思いで、答えをハッキリさせずにいる。

 大事な友をなくしてしまうのが怖いのだ。

「ダビはね、ずっと君に会えるのを楽しみにしていたんだよ」

「そうなんだ」

「知人から送られてきたメールの写真は小さくてね、顔なんて殆ど見えないのに『この子が好き』って、幼い弟が言うものだから、戸惑ったよ」

「……そっか」

「日本に来る事はなかったから、写真の中の好きな子の話をしなくなってね。去年の暮れかな。日本に行きたいとダビが言い出して、父もそれをダメとは言わないから、トントン拍子に話が進んだんだ」

「……そうなんだね」

「ああ、どうして今更日本に、と思ったよ。……私は忘れていたんだけれど、ダビは覚えていたんだ。あの子に会うためだ、って。大事にしまっていた写真を私に見せて来たから……驚いたよ。」

「……」

 晴翔は肩を震わせて泣いていた。堪えようとしていたのだが、叶わなかったらしい。

 ジュストはそれに気が付き、静かに少し遠くにあるレストスペースへと連れて行った。

 ふかふかのクッションが張られたソファーに晴翔を座らせる。

「すまない。嫌な話をしただろうか」

「……ごめ、ちが……くて」

「違う?」

 涙声の晴翔の言葉に耳を傾け、ジュストはその肩を柔く、トン、トン、とあやすように叩いた。泣かないで、と言っているようなその優しい手に、晴翔はダビドを思い出した。

「俺、誰かを好きになったこと……なくて」

「そうなんだね」

「謙吾の事も……幼馴染としか思ってなくて、好きとか、分かんなくて」

「……そうか」

「でも、あの人……最初は怖かったけど、すごい、優しくて、好きとかより、……おれに、嫌われたくない、って今は思ってるの、すごい伝わってきて」

「間違ってないと思うよ」

「だから、お兄さんから聞いて、俺……ひどい事したかもって思ったら、申し訳なくて」

 言葉を詰まらせながら、晴翔は涙の理由を説明した。ジュストは、これはもしかして……?と思ったのだが、明言してはならないと自制し、ただ泣き止ませる事に集中した。

「ありがとう。ダビの気持ちを考えてくれたんだね。知ったらきっと喜ぶよ」

「もう、来ないかもしんない」

「……なぜ?」

 不安そうな晴翔の弱々しい言葉は、絶対に有り得ないものだった。理由はダビドの言っていた「しばらく来ないで」と言った事についてだと、ジュストは思い至っていた。だからと言って、ダビドが、はいそうですか、となる訳がないことなど、晴翔もそれは分かっているとジュストは思っていた。

「しばらく、来ないでって言っちゃったから……しばらく会えない」

「あ……あー、そういう事か。なるほど。……それなら、ハルトくん的には、どのくらい経ったら会いに来てもいいと思っているかな」

 手っ取り早く済ませてしまおう、とジュストは考えた。だから、晴翔から直接答えを引き出して、それをダビドに伝え、しかしそれぴったりに行くのではなく、二、三日長く合わない期間を設けさせよう、と。

 ああ、神よ。願わくばこの少年の口から、五日間という言葉をお聞かせください。私の兄弟と彼の苦痛をいち早く取り除くためです。どうか——と、願った。のだが、

「……一週間、くらい」

 ジュストは願いを捧げた神に、内心唾を吐いた。

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