第10話-定義のない言葉
閑架は晴翔の変化に気が付いていた。
ここ最近、帰りは必ず体育館へと赴き、謙吾の部活が終わるまで待っている事も、謙吾がもっと深い、なにかしらのアクションを起こした事も、晴翔がそれを誤魔化してやり過ごそうとしている事も。
閑架だけではなく、いつも晴翔と行動を共にしている四人全員が気が付いていた。
「晴翔、ダイジョブ?」
気怠げな声で聞いて、閑架なりの優しさを見せる。晴翔はそこまで思い悩んでいないつもりでいた。
ストーカーを遠去けただけ、たったそれだけの事、と。
「大丈夫だけど……なんで?」
「いやー、別に」
ふいと視線を逸らし、閑架は小さな溜息を吐いた。逸らされた視線を追って、晴翔は閑架を見上げた。
「のんの別に、はなんかある時のやつ」
「晴翔の大丈夫、は大体大丈夫じゃないやつ」
「なにそれ」
自身の言葉を真似て返してきた閑架にムッとして、晴翔は眉間に皺を寄せる。閑架は弟の相手をする姉のように、晴翔の顔をしっかりと見て言った。
「晴翔は極限まで我慢しようとして結局爆発するの、うちらは分かってるって話」
「……結衣や勇哉も?」
「あの二人が何気にアンタの事、一番可愛がってるかもね」
過保護だよねー、と言いながら再び溜息を吐き、閑架は晴翔から視線を逸らす。
アンタが一番分かってないんだよ、とでも言うかのように。
「そうかな」
「何回言わせる気」
「閑架、はるるんに優しくしなさい」
「はるるん呼びキツいって」
お茶目な父に苛立ちをぶつけ、閑架は眉間に皺を寄せる。
「閑架ちゃんは手厳しいですね」
「私がふざけているのが気に入らないみたいで……」
「親にはシャキッとしててほしいに決まってんじゃん」
和やかな雰囲気の晴翔の父と閑架の父は仲が良く、たまの休みに二人でフラフラと出掛ける仲である。
それをよく思っていない訳ではないのだが、母親に似て考え方がやや堅い閑架は、思春期も相まって拒否反応が出てしまうらしかった。
「まぁまぁ、のんパパだって仕事の時はこうじゃないんだからさ」
「自分の会社だからって好き勝手やってるよ絶対」
閑架の父は、規模は小さいながらに飲食店を三つ程経営していた。自身が店頭に立つのは、殆ど採算など考えていない、趣味でやっている例のカフェだけで、その他の会員制バーと立食スタイルのピザ屋は人を雇い任せている。気の置けない、しかし真面目な人を閑架の母が見極めて雇い入れているため問題も少なく、よく繁盛していた。
「でも、お父さんが会議にいるだけでも違うんだよ。こんなゆるゆるだけど、肩肘張らないでみんな本音を教えてくれるわ」
「志戸さんのお人柄がそうさせるんでしょうねぇ」
「ゆるゆるですけどね」
「そんなにゆるゆるかな……」
自覚がないだけに、彼は思い悩むのだが、妻はそんな夫を愛していたので問題なかった。
こういった光景を見て、晴翔は思う。
結婚したら、こんな家庭がいいな。
と。
しかし、晴翔はこれまで、恋心というものを抱いた事がなかった。
幼い頃の殆どを病室か自室のベッドで過ごし、まともに学校へ行くようになったのは、小学二年生の頃だった。だが、クラスメイトからその細過ぎる身体や、白過ぎる肌を揶揄われ、苦痛を感じた晴翔は保健室へと逃げるようになった。教室で過ごせるようになったのは、小学五年生の夏頃だった。この時、初めて謙吾と同じクラスになったのだ。
中学ではなぜか三年間謙吾と同じクラスで、ベッタリと晴翔の傍にいる謙吾を警戒し、女子は二人に近寄らなかった。
よって、クラスの内外拘らず、晴翔は女子と関わる機会が全くと言っていい程なかったのだ。
結衣と閑架、典昭は樋泉学園の中等部からの持ち上がりで、勇哉は晴翔や謙吾と同じく高校からの外部進学組。結衣と晴翔、勇哉は一年生の頃にクラスが同じで、結衣が閑架と典昭を二人に引き合わせた。
結衣と晴翔が付き合っていたかもしれない、という可能性は存在しない。なぜなら、結衣も勇哉も互いに一目惚れで、入学した数日後には交際が始まり、SNSのカップルアカウントを作ると瞬く間に人気を博したからである。ちなみに、閑架と典昭は中学生の頃から付き合っていて、こちらはadattarsizmのモデルカップルとして知られている。
カップル二組と一緒にいて疎外感はないのか、とよく聞かれる晴翔だが、本人は特に気にしていなかった。結衣と閑架で盛り上がる話題もあれば、男子三人で盛り上がる話題もあるし、五人で同じ話題について話す事もあった。例えば、adattarsizmの撮影について、とか。
晴翔が早退した日なんかは、それぞれ放課後デートを楽しんでいたので、結衣や閑架も「邪魔をされている」と思った事はなかった。
晴翔の中に、恋人というものへの憧れはあるのだが、どうやら今まで知り合った女子の中にしっくり来る人はいなかったらしい。
両親や結衣達を見ていて、楽しそうだな、幸せそうだな、と嬉しい気持ちになる事はあっても、羨んだことはないのだ。
「ねぇ」
「なに?」
今日は典昭がいない。
閑架と連れ立って歩く事など殆どなく、背高いな、さすがモデルやるだけあるな、と感心していたのだが、その表情が家族と出掛けているとは思えない程曇っているのが気になっていた。
「耳貸して」
「ん」
少しだけ身体を屈めて閑架は晴翔の言葉を待つ。
そっこりと、和気藹々と話している親達には届かぬように、晴翔は小さな声で言った。
「典昭いないと、つまんない?」
「…………まぁ」
想定外の質問に閑架は少し躊躇いを見せたものの、曖昧に肯定した。そして、なんだコイツ、と思った。
「なんで?」
そして、閑架は何故そんなことを聞くのか気になり、今度は彼女が晴翔に問い掛けた
「浮かない顔してるから」
「そんな事ないけど」
少しだけ、ムッとした顔をする。
「あるよ。いつもよりツーンってしてる」
「あっそ。晴翔はパパとママがいるからいつもよりぶりっ子だね」
「そんなんじゃねぇし」
いつもよりも幾分丁寧な言葉遣いをする晴翔を揶揄い、閑架は溜飲を下ろした。
二人のやりとりを聞いていた大人達は、微笑ましく思い、しかし、気取られぬよう静かに見守っていた。
「つか、なんで来たの」
閑架は今日、晴翔に会ってから一番聞きたかった事を口にした。
「え、テーブル買いに?」
「アイツいるって分かってたのに?」
「いや、いると思わなかったよ。知らなかったもん」
「知らなかった訳なくない?カフェでラックとか個展の話したじゃん」
と、閑架は、何言ってんのコイツ、と顔に書いて晴翔に目を向ける。言われた晴翔は、カフェでの出来事を思い出していく中で、『A.Hiuchi』『個展』『家具』という単語を思い出した。
「……あ!」
思わず声を上げた晴翔に「今かよ」と、閑架は鋭くツッコんだ。
***
ロビーに置かれた品のいいソファーに掛け、項垂れたままでいるダビドは何度目か分からない溜息を吐いた。
(泣いてしまいそうな顔をしていた)
立ち去る間際、チラリと見えた晴翔の表情は悲しいものだった、と思い出してダビドは後悔していたのだ。
豪奢な階段を軽やかに降りたジュストは、ロビーを見渡すと、すぐにダビドの下へと駆け寄った。
「ダビ、なにをしてるんだい?もう始まっているから、早く来てくれて。人が足りない」
「キャンセルだ」
ダビドの言葉に眉根を寄せ、額に手を当て、呆れたように溜息を吐く。
「冗談を言ってる場合じゃないんだよ」
「大真面目さ」
今にもソファーに寝転がってしまいそうなダビドは、そうしたい衝動を抑え、ただただ項垂れていた。
「なにがあった?」
「ハルトくんに会ったんだ」
「……そうか、来てくれてよかったじゃないか。……それで?」
「しばらく会いに……体育館に来ないでくれ、と言われてしまった」
「あー……とりあえず、ホールへ戻ろう。大勢が君を待っているよ」
重大な事柄が起きた事を理解したジュストであったが、ダビドがなにかをやらかした、という可能性までは思い至らず——大いに有り得ることだが、さらに上塗りするとは思ってもいなかったのだ——ひとまず気分転換をさせようとしていた。
ダビドはA.Hiuchiの家具を好む人々を愛しており、彼らの賞賛の声を子守唄にしたい程であった。今日は、そんな人々に数多会えるまたとない機会である。
「そんなに人がいるのか」
「ああ、お陰で君のお父さんはしばらく休めないそうだよ」
「ハァ……しばらく、ねぇ」
溜息混じりに呟き、ダビドはジュストに腕を引かれて立ち上がる。そのままジュストにズルズルズルズルと引き摺られるように、その後ろをやる気なさそうに歩いた。
「しばらく、ってどのくらいだ」
「しばらくはしばらくだろう」
「具体的に」
「人による」
分かりきっていた返答だったが、ダビドが今一番聞きたくないもので、舌打ちした。
「おい、人がいる」
「僕が誰かなんて誰も分からないだろう」
「君のお披露目も兼ねているんだから、今ここで舌打ちをしていればびっくりされるよ。ホラ、シャキッとしてくれ」
と、言われたダビドなのだが、ブツブツと未だに、気に入らない、はっきりとしてほしい、とジュストに聞こえている事も憚らず、小声で呟いていた。
二人がホールに足を踏み入れると、煌びやかなシャンデリアの下で、家具が単体で置かれているエリアと、シリーズらしい統一感のあるカラートーン・デザインの家具でまとめられたエリアが広がっていた。
多くの人々が声を抑えつつも、この光景に興奮しているのが分かる空間の中、満足そうな顔でそれを眺めている長身の日本人男性がいた。
ジュストは脇目も振らず真っ直ぐ彼の下へと歩んでいき、声を掛けた。
「父さん、連れてきました」
「ん?ああ、ありがとう、ジュスト。じゃあ、向こうで案内をお願い出来るかい?少し休ませてほしいな」
「ええ、コーヒーでも召し上がってください」
「そうするよ。ダビ、おいで」
背の高いダビドの隣に並ぶと男性は少し小柄に見えた。ジュストは「父さん」と呼んだが、彼の実の父では当然なく、ダビドの父である。ダビドと兄弟同様に育ったジュストにとって、ダビドの父は父親同然であった。
「不機嫌だね。何かあったのかい?」
「なんでもないよ」
「嘘が下手だね。母さんにそっくりだ」
「あの人は直球過ぎる」
「ダビも相当だよ」
流暢なイタリア語で話しながら、二人はホールの片隅に設けられたレストスペースに辿り着くと、セルフサービスのコーヒーと紅茶を淹れた。
このスペースにある椅子やテーブルもA.Hiuchiのもので、実際の座り心地を体感しつつ休めるとあり、入れ替わり立ち替わり常時人がいた。
「恋をしているんだって?」
「ああ。写真を見せた事があるだろう」
「キュートな少年だったね。彼と喧嘩でも?」
「……しばらく、会いたくないと言われた」
「なにをしたらそうなるんだ」
呆れたように、しかし笑いながら嬉しそうにダビドの父は優しく問い掛け、コーヒーを啜った。
「いつも彼の近くにいる男が、抜け駆けをした上に僕を挑発してきたんだ。抜け駆けは構わないさ、いつかある事だと思っていた。けれど、あの男は自分が選ばれるものだと思っていた。それが当然だとでも言うように」
「それはムカつくね」
「そうだろう?それなのに、ハルトくんはあの男を遠去けようとしないんだ。優し過ぎるし、きっと有耶無耶になるのを待っている」
「……優しい、かな」
「とても優しいよ。……どうして?」
捲し立て、少し落ち着いたダビドは紅茶を口にする。好みの香りではないそれに少し眉を顰めた。
「有耶無耶にするって事は、ちゃんとイエスともノーとも言わないという事だろう?誰も傷付いていないのは表面だけで、一世一代の大一番だったなら、その彼は深く傷付くんじゃない?ダビだって、イヤだろ?」
「まぁ……確かに」
腑に落ちたような、落ちていないような顔で相槌を打ち、ダビドは紅茶の入ったカップをテーブルに置いた。
「ダビは、彼の事を愛してる?」
「当然だよ」
「そう。じゃあ、あまり強引に行っちゃダメだ。君は少し突っ走り過ぎるからね。そこも母さん似だ。追い掛け回しているってジュストから聞いたけど、しばらくは会いに行かない方がいい。彼もそれを望んでいるんだろう?」
「また……」
「また?」
なんのこと?と問い掛けて、父はコーヒーを飲み干す。ムッ、と口元に力を入れてダビドの言葉を待った。
「しばらくって、曖昧で定義がなくて、それぞれの感じ方で変わる言葉だろう。ハルトくんも、しばらく来ないで、って。……僕には彼の望む期間が分からないし、もし僕の思う期間を空けて行ったところで、もう来たの、なんて言われたら、嫌われる未来しか見えない」
「嫌われるかは分からないけど、一般的には一週間くらいじゃない?」
「一般的……」
父に提案された冷却期間は、ダビドにとって長過ぎた。
だが、実のところ晴翔もそのくらいでいいと思っていて、それ以上だと気不味いな、とも考えていた。
「ダビにとって、一週間は長い?短い?」
「長い」
「そっかぁ。でも、うん。分かるなぁ」
優しい笑顔で何度も頷き、ダビドの言葉に同意する。彼も妻を深く愛していて、出来る事ならこの個展でも傍らに置いておきたかったのだ。
「母さんは?」
「ブュッフェを楽しんでいるよ。アフタヌーンティーも行くらしい」
「本当に食に目がないな」
「かわいいだろう」
「そうだね」
と、チャーミングな母を思い出し、ダビドは父と同じように柔らかく微笑んだ。
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