第50話
「あの……ところで明生くん。私ちょっとお願いがあるんだけど……」
と、私は恐る恐る切り出した。
「ん? 何? 由香里ちゃん」
「実はね。私が犬だった時の飼い主の人の様子を見に行きたくて……」
「あ、それは確か、敦くんっていう高校生の男の子だったっけ?」
「う、うん……。その子は私のことチャッピーって呼んでたんだけど、私が麻薬探知犬訓練センターから脱走した時、
凄く悲しそうだったから、今どうなってるのかなって思って……あっ、でも迷惑だよね。一緒に行ってほしいとか。……ごめん、やっぱり私一人で……」
と、私が言いかけると、
「全然嫌じゃないって! 行こう行こう!」
と、明生くんが答えた。
「え? でも……いいの?」
と、驚いて私が聞くと、
「当たり前だよ! ほら早く!」
そう言って明生くんは、私の手を握り駈け出した。
「あ! ち、ちょっと明生くん、早いよー……」
「善は急げさ、やっほーい!」
「もうっ、わけわかんない! あはは!」
二人は、まるで犬だった時のように全力で走って街を抜けると、その先に続く土手の上まで辿り着いた。
「ハァハァ……。わ、私、人間の体でこんなに走ったの久しぶり……」
「あはは、ホントだ。考えたら僕もそうだった! でもなんだか、ここって懐かしいね」
と、土手から見える景色を見ながら明生くんが言った。
「うん……。あれから、そんなに時間は経っていないはずなのに、色々なことが有り過ぎて、凄く昔に感じるね……」
と、私も夕日に照らされてオレンジ色に輝いている川を眺めながら答えた。
「あ……ほら、由香里ちゃん、あれ見て!」
明生くんに言われ、道の向こう側を見ると
遠くから犬を連れた二人の男女が歩いてくるのが見えた。
「あっ! あれって……敦くんと斉藤さんだよ! まずいよ、明生くん。隠れなきゃ!」
「あ、あはは。由香里ちゃん、大丈夫だってば~。僕達もう犬じゃないんだよ」
「あっ……そ、そっか……! そうだったね……。えへへ……」
明生くんに言われて、私は照れながら笑った。
――私達がそんなことを話している間に、敦くん達との距離はどんどん近づいていき次第に二人の会話が聞こえてきた。
「敦くん。チャッピーが戻って来て良かったね!」
「ありがとう、斉藤さん! チャッピー戻って来てくれて本当に良かったよ。
ところで、斉藤さんのマリーも、この前どこかへ行っちゃったんだよね?」
「そうなの……。夜、家族でレストランへ出かけて帰ってきたら、マリーが突然いなくなっちゃってて。
……でも朝になったら、いつの間にか小屋に戻ってたから、本当にビックリしちゃった」
「そうか~。そう言えば、前に僕の友達が犬って帰巣本能があるから自分で帰ってくるとか言ってたんだけど、
その時はまさか、本当に帰って来てくれるなんて思わなかったよ。僕さ、チャッピーはもう麻薬探知犬になんかならなくていいって思ってるんだ。
これからは、ずっと一緒にいたいから」
私達はそんな二人の会話をすれ違いに聞きながら、連れられている二匹の犬を見た。
するとその瞬間、私の目と二匹の目が合ったので、
(元気でね、チャッピー。……そして、紗弥加さん……じゃなくって――マリー……)
と、私は心の中で話しかけた。
二匹は何事もないように私から目を逸らすと、そのまま仲良くじゃれ合いながら歩いて行く。
私と明生くんは、遠ざかっていく二人と二匹の姿が見えなくなるまで、ずっと見ていた。
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