第5話
ついに、麻薬探知犬デビューの日が来た。港の荷物検査の現場だ。
「――ていうか、なんで高校生だった私がこんな現場に……」
私は検査官に言われるままに、荷物の匂いを嗅いでいく。
「何もないみたいね……」
そう呟いて、私が検査官の元へ戻ろうとしたその時、
「き、君?! 今しゃべったよね?!」
と、突然、後ろから誰かに声を掛けられた。
振り向くと、そこには一匹の犬がいた。
私は犬を飼ったことがないので詳しくは知らないが、なんとなくパグという犬に似ている気がした。
「もしかしてあなた、言葉分かるの?」
私がそう聞くと、
「そ、そうだよ! 君もなんだね! 僕と一緒で人間なんだね?!」
と、パグ犬は興奮しながら答えた。
けど、私は犬から話しかけられた経験が二度目なせいなのか、どこか冷静になってしまっている。
「ええ……もう半年以上経つのだけど……」
それを聞くと、パグ犬は目を輝かせた。
「よ、良かった! 僕は犬になってから三ヶ月経つけど、同じような人がいるなんて思わなかったよ! ずっと心細かったんだ!」
けど、その気持ちは分かる。私も突然犬になった日の焦燥感は、未だに忘れることが出来ないでいるのだから。
「ところで……君はさっきから何をしているの? 色々と匂いを嗅いでいるみたいだったけど……」
改めてそんなことを聞かれると、なんだか自分のしていることが強烈に恥ずかしくなってくる。
「いや……わ、私はその……ま、麻薬探知犬なので……し、仕事中みたいな……?」
「え?! ま、麻薬探知犬って、君が?!」
「そ、そう……」
私は恥ずかしくって顔から火が出そうになり、一刻も早くこの場から逃げ出したくなった。だが、
「や、やばいね! 凄いよ! めちゃめちゃカッコイイ!」
それを聞いたパグ犬は、大喜びしながら尻尾まで振り出したので私は戸惑った。
「え……??」
「いいなー! 僕なんて、ほとんど野良犬みたいな感じだもん! まぁ、港の漁師がいつも魚をくれるから、食べ物には困らないけどさ!」
「あ、あのね。言っておくけど、私達は犬じゃなくて人間なんだよ? 全然良い訳が無いじゃない……」
脳天気なパグ犬の言葉に私が抗議すると、
「そりゃそうだけど、僕は三ヶ月犬の生活をして思ったんだよ。犬にも立場があるってことが。
もし犬になった場所に犬嫌いな人しかいなかったら、保健所に連れて行かれたかもしれないしさ」
それは確かにそう言われれば、犬になった所の環境によっては、もっと辛い立場に追いやられていた可能性があるし、
私自身、飼い犬だったことは不幸中の幸いと言えるかもしれない。……でも、
「でも……ずっとこのままなんて私はやっぱり嫌だよ!」
「そ、それは僕だって嫌だけどさ。……そ、そうだ! 君は他に、僕達みたいな元人間の犬を知らない??」
「し、知ってるよ……。だけどその人には、慣れるしかないって言われちゃった」
「え?! そ、それは凄い! それじゃ僕達と同じ立場の犬って、他にもまだまだいるかもしれないよね?!」
パグ犬がハイテンションで聞いてくるが、私はそのテンションに付いていけずにボソボソと答えた。
「う、うん。その犬も……と言うかその人も、この近辺には元人間の犬が何匹もいるって言ってた」
「え、ええーー!! ほ、ホントに?! じ、じゃあ、そういう犬をもっとたくさん探して人間に戻れるように力を合わせようよ!!」
「え……?」
それを聞いて、私は絶句した。
これまで私は目まぐるしく変わる環境に対応することで精一杯で、仲間を探して協力することなんてことを考えたことがなかった。
それに人間でいた時の自分は、他人とは常に違和感を感じて距離を取っていたせいもあり、誰かと協力するという発想自体浮かびづらかったのだ。
「ところで君の名前は? 僕は木村明生。大学一年生だよ」
自己紹介を始めたパグ犬に、私も仕方なく答えた。
「……私は中村由香里です。犬になる前は高校生二年生でした。本当なら、今頃は三年生なんだけど……」
「そっか、じゃあ由香里ちゃんて呼んでいいかい? 僕は明生でいいよ」
そう言えば、本当の名前で呼ばれたのはもの凄く久しぶりな気がする。
何しろ犬になってからは半年以上も“チャッピー”なんて呼ばれていたのだから。……だが、
「おーい! “チャッピー“ 戻って来い!」
そう思った矢先、検査官が再び”チャッピー”を呼んだ……。
「ああ、検査官の人が呼んでる……もう行かなきゃ……」
「あ、待って! 由香里ちゃんは今どこで生活してるの? 場所が分かれば僕は身動き自由だから、こっちから会いに行くよ!」
会いに行くと言ったって、訓練センターに野良犬が入れる訳ないと思うのだが……。
私はとりあえず口頭で、麻薬探知犬訓練センターの場所だけ教えてパグ犬と別れた。
――仕事を終えて私が訓練センターに戻った頃には、すでに日が暮れていた。
疲れきった私は、ケージの中で横になると同時に、すぐ眠りについてしまった。
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