第3話

「どうしたの、チャッピー? 疲れちゃったかな?」

おばさんとの会話からすると、彼は敦くんという名前らしい。


「じゃあ、ゆっくり帰ろうか」

敦くんは優しく笑いながら、私に話しかけている。

 

 違和感を感じていた人間社会から、今は大きくかけ離れているにも関わらず、私は全然嬉しくない。

 夢だと思おうとしたけれど、それにしてはやたらにリアルで、冷める気配は全くない。

 ふと前方を見ると、再び向こうから犬を連れた人間が歩いてくる。

 またか……と思ったが、もう逃げる元気もなくなってしまい、私は相手が近づいてくるのを、ただ呆然と眺めていた。


「あっ、 敦くん、こんにちは!」

そう言って挨拶をしたのは、高校生くらいの長い黒髪の女の子だった。

 連れている犬は、さっきのブルドッグとは違って、なんだか上品でフワフワとした、白い毛色の小型犬だ。


「斉藤さん、こんにちは! 今日は部活終わるのが、早かったんだね」

「うん! 敦くんも?」

会話からして、二人は学校の同級生のようだ。

 思えばこの時間、いつもなら私も、クラスメイトと一緒に学校の帰り道のはずだった。


「じゃあ、敦くん。また学校でね」

「うん。また明日」

会話を終えた二人が別れようとした次の瞬間、不意に私の目と女の子が連れている白い犬の目が合わさった。そして、


「ああ。貴女もなのね」

突然に、近距離から声が聞こえた。敦くんでも女の子でもない声が。


「早く慣れることよ。この生活にね」

い、犬……?! この犬が話しているの?!


「ま、まさか、い、いい、犬が言葉を?!」

と、思わず言葉にして私は驚いた。

 自分の声が、人間の言葉になって聞こえている。

 今までどんなに話そうとしても、犬の鳴き声にしかならなかったのに……。


「話せるようになるのよ。犬になった人間同士は、言葉が通じるから」


「え?! 犬になった人間って……?!」

じ、じゃあ、もしかして、この犬も、私と同じ境遇の?!


「人間からは、犬が鳴いてるようにしか聞こえていないけどね。この近辺には、そういうのが何人……いえ、何匹もいるわよ」

「な、何匹もって……」

ようやく言葉が通じる存在に出会ったのに、驚きすぎて会話が続かない。


「最初は驚くわね。でも、そのうちに慣れるわ。というより、慣れるしかないのよ。それじゃ」

そう言いながら、言葉を話す白い犬は、女の子と一緒に遠ざかっていった。


 ――帰宅して(と言っても、敦くんという男の子の家だけど)夜になり、私は目覚めた時と同じように小屋の中でうずくまっている。

 目の前に、犬用の容器に入れたご飯を出されたけれど、口にすることは出来なかった。


『そのうちに慣れるわ。というより、慣れるしかないのよ』


 私は、さっきの犬……というか、犬になった元人間の言葉を思い出した。

 慣れるしかないって、私は人間よ。犬じゃないわ! 慣れる訳が無いじゃない……!

 一体あの人は、いつから犬になったのだろう。そして、どうして犬になってしまったのだろうか。

 この近辺にはそういうのが何匹もいるって言っていたけど、皆、私と同じように目が覚めたら突然犬になっていたのだろうか。 

 で、でも。それなら……それなら、もしかして――もう一度眠ってから目が覚めたら、また人間に戻れるかもしれない。


「そ、そうだ……! 寝たらきっと、元に戻れるに決まっている!!」

そう思った瞬間、私は急いで目を閉じた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る