ミス・コネクション【第一話 D】

 その後、岸が駆けつけ、タチバナは保護された。

 編集部にて、事情を聞いた岸が、アカバネを呼び出した。


 警察に連絡していい事件――未遂だが、それでも実行したようなものだろう。

 タチバナの怯えようを見れば、心に傷を負わせたのは明白だった。


「オレは、逮捕されるんですか?」


「こっちとしてはしたいけどな。まあ、聞いた状況を見れば未遂だ。裁判で勝つことはできても、逮捕はできないんじゃないか? 調べないと分からないが――それに、こっちも君が逮捕されると困るのは事実だ」


 困る、と、したくないは別の話だ。

 困るが、逮捕したい、というのが編集部の総意である。


「そうですよね、オレはこのレーベルには欠かせない、売れっ子作家ですからね」


「まあ、切り捨ててもいいんだがな。下がまったく育っていないわけではないし、アカバネ先生、一本槍のレーベルと思われたくもない。イメージ払拭のためにも、ここでクビにするのもありだ」


「……それ、本気で言ってるのか? エンタメ戦国時代の今を、オレ抜きで、他のレーベルに対抗できると思っているのかよ!?」


「できるかどうかじゃない、するんだよ。どうせ君に頼っても、いざという時に作品がないんじゃあ、確保しておく意味がない。君より数枚落ちる作家が、コンスタントに作品を書いてくれる方が、よほど意味がある」


 一年に一作の傑作と、一年に十冊の凡作は、総合で見れば同じくらいだろう。

 ただ、岸は後者を評価するが。

 ひたすら書いてきた作家を、最も近くで見てきたのだから。


「逮捕はしない、クビにもしないが、これまでと同じ待遇が受けられるとは思わないことだ。当然、タチバナにはもう二度と近づけさせない。支援もしない。作品を書いて信用を取り戻していくんだな。……もちろん、別レーベルに営業をかけてくれても構わないが、今回のことは、業界に知れ渡っているはずだ――。そんな君を使いたいレーベルがいるなら、どうぞどうぞと譲るつもりだ」


「…………」


「やり過ぎたな、暴君。いい勉強になっただろう、これを機に、真面目な作家になってくれることを願うよ」


 狭い個室から、岸が退出する。


『クソがッッ!!』と、椅子を蹴り飛ばす音が、扉越しに聞こえてきた。


 〇


「タチバナ先輩? お水、飲みますか?」

「ありがと、ニタドリ……」


 紙コップに注がれた水を受け取る。

 すぐに口をつけた。なにかをしていないと、思い出して呼吸がおかしくなる。


「…………」

「…………」


「どう、なっちゃうんですかね……」


 ニタドリの呟き。

 タチバナにも分からないことだった。


 すると、戻ってきた岸の姿に、ニタドリがぱっと表情を明るくさせた。

 タチバナもほっと安堵する……。

 だけどやっぱり、男の人の太い腕を見るとフラッシュバックしてしまう……。


 強く握られ、床に抑えつけられた記憶が。


「大丈夫、じゃあ、なさそうだな……タチバナ」

「すみません……」


「どうしてお前が謝る。お前は被害者だ。そして謝るのはこっちの方だ……、やはり、男性作家に女性編集を付けるべきではなかった。いや、一人の作家がしたことで、全員の作家がそうであると言うつもりはないが、アカバネはそういう行為に及んでもおかしくはなかったからな。そこになんの対策もなくお前を一人でいかせていたのは、俺の落ち度だ、すまなかった――」


 岸が頭を下げた。

 タチバナは目を逸らした。


 そんなことないですよ、とは言えなかった。

 岸の言う通り、対策されていれば、あんなことにはならなかったのだから。


「少し休め。期限は設けない。お前が、また働きたくなると思うまで――ゆっくり休んだらいいさ」


「…………」


「有休はだいぶ余っているだろう? もし使い切っても、俺がなんとかする。金のことも心配するな、まずはお前が立ち直ってくれることが重要なんだからな」


「そうですよ先輩、もし良ければ、わたしも休みの日に遊びにいきますし――」


「ニタドリ、お前は恩を売りたいだけだろ」


「違いますよ!! どちらかと言えば、わたしが恩を返すんですっ、今まで、たくさん助けられてきたので……」


「ありがと、岸さん、ニタドリ――」


「だから先輩、思い詰めないでくださいね? すぐに忘れましょうっ、と言っても無理だと思いますけど……ゆっくり休んでください」


 ニタドリが付き添い、タチバナは自宅へ帰ることになった。


「……ここまでで大丈夫だから、ありがとね、ニタドリ……」

「先輩、安心してください、アカバネ先生の担当、わたしがしますから」


 拳を握ってやる気に満ち溢れているニタドリだが、心配で仕方がない……。


「でも……危ないよ」


「大丈夫ですよ、わたしはこれでも結構いいところのお嬢様ですから。わたしに手を出したらお父様が黙っていませんし、社会的にアカバネ先生を殺すこともできます――簡単なんです。それは先生も理解していると思いますし、こんな危ない女の子を襲うこともないでしょう?」


 アカバネが自暴自棄にならなければいいが……。全てを失ってでもニタドリを襲うと決めてしまえば、彼は止まらない。ニタドリに大きな傷を残してしまうだろう……。


 自分と同じように。


「そうなったらなったで、その覚悟の上なら受け入れますよ――全てを失う覚悟でわたしを襲うなら……まあ、一回くらいならいいかなって、思っちゃいますし」


「……そうよね、ニタドリはアカバネ先生みたいなタイプ、好きそうだもんね……」


「顔が良ければなんでもいいわけではないですけど、はい――正直好みです」


 ニタドリどアカバネは、良いコンビになれるのかもしれない。


「……あ、じゃあ、オオアゴ先生の担当は……?」


「もちろん先輩ですよ? 今は岸先輩が臨時で担当するみたいですけど、タチバナ先輩が戻ってきたら、担当はタチバナ先輩になります――その時はよろしくお願いしますね。うちの子、人見知りですから」


「あなたの子ではないでしょう……あなたの担当作家というだけで」


「だからこそ、知っていることも多いです。アカバネ先生とは真逆ですから、やりにくいかもしれませんけど、でも、タチバナ先輩なら合っているかもしれませんね……」


「……男の人、だよね?」

「はい。男の人、というか、まあ、オスって、感じですけど」


「…………」


「ケダモノって意味ではなくてですね……、種族がその、リザードマンなので」


 リザードマンの作家が、オオアゴ先生……。


「なので先輩に襲い掛かることはないですから、安心してください」

「安心、できるのかな……?」


 まあ。

 エルフの男よりはマシである。


「それじゃあ先輩、わたし、そろそろ会社に戻りますので……お大事にしてくださいね」

「うん、ニタドリ…………またきてくれる?」


「もちろんですっ、呼んでくれればいつでもきますよ!」


 ニタドリの元気な声を聞いて、ちょっとだけタチバナも元気が出た。


 彼女と別れた後、部屋に一人きり、という状況は、音もなくて怖かったけれど、ひとまずシャワーを浴びて気を紛らわせることにした。


 体も頭もスッキリしてから、リビングでお酒を飲む。


 いつものようなルーティンを無意識にしてしまう……おかげで思い詰める時間は少なくて済んだ。

 パソコンを立ち上げる。これも無意識だった――すると、メールが届いていたことに気が付いた。


 オオアゴ先生からだった。


「あ……」



『タチバナ様、詳しい講評、ありがとうございました。参考になりました。良ければまたお願いします。岸さんに三作ほど送っておきます。読むのも講評もいつでも大丈夫です』



 素っ気ないメールだった。

 だけど、彼なりに気を遣ってくれていることが分かった。


 素っ気なく見えても、彼はこれで、踏み込んでくれているのかもしれない。

 すると、もう一通のメールが。


『今日のこと、聞きました。講評のことは忘れてごゆっくりしてください。困ったことがあれば、お話、聞くことならできます。解決できるかは分かりませんが』


 最後の一文はいらないと思うが、彼の性格上、言わないわけにはいかなかったのかもしれない。


 くす、とタチバナが笑った。

 ついつい、こぼれてしまった笑みだ。


『今後もよろしくおねがいします』


「……はい、よろしくお願いします」


 タチバナは岸にメールを送る。

『オオアゴ先生の作品を送ってもらえませんか?』と。


『分かった』


 言いたいことは色々あれど、作品を読むことで気が紛れるなら、と思って、岸は追及することなく作品を送ってくれた。


 タチバナはメガネをかけ直し、「よし」と気合を入れて。


「講評、いつでもいいなら――早くてもいいんだよね?」


 ごゆっくりしてください、と言われるかもしれないが、これがタチバナ流の、ごゆっくりの仕方だ。


 なにかしていないと落ち着かないから、ではなく、やりたいからやっている。


 趣味に打ち込むのと同じように、オオアゴ先生の講評こそ、今一番やりたいことである――現実逃避ではなく、これが今の彼女の現実だから。


 現実やりたいことに、全力で取り組む。


 立ち直るまで休んでいてもいいと言われたけれど、意外と明日にでも出社できてしまうかもしれない――。


 それはそれで、少なくとも悪いニュースではないはずだ。




 第一話 ―― 完

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