忘却転生

 どうやら私は転生したらしい。


 見える景色は見知らぬ女性の顔だ。下から見上げる形になるため、私は抱き上げられている……――抱き上げられるくらいに、今の私は小さく軽いということだろう。


 赤ん坊。

 喋ろうとしても、口の隙間から抜けた僅かな息だけしか出ない。前世の記憶と知識があっても、まだ体が追いついていないらしい。意思疎通は諦めるしかないか……。


「どうしたの? ミルクかしら……」


 と、母親が私の異変に気付き(異変?)、お腹が空いていると誤解したらしい。

 ……誤解、と言うほどでもないか。

 確かに、空腹ではある。がまんできないことはないが、今は赤ん坊の体だ、徹夜が当たり前だったエネルギッシュな二十代半ばの、以前の私ではないのだから――

 赤ん坊の体の訴えには素直になっておいた方がいい。


 頷いたつもりはなかったが、母親が服をめくり、私に胸を寄せてくる。

 ……こういう時、記憶があると抵抗感がある。なにも知らない(これから色々と知っていく)赤ん坊なら、抵抗なく飲めるのだろうけど……、如何せん、今の私は二十代半ばまで生きた記憶があるわけだ……躊躇うことなくこれに飛びつくのは、本能的なセーブがかかる。


 この子からすれば母親だが、私からすればまだ未成年の赤の他人だ……。

 ちらっと見ただけだが――彼女はどこかの国のお姫様であり、若いながらも子供を産むことを強いられている立場にいる。無理やりだ。

 だからと言って私のことを疎ましいと思っているわけではなさそうで、それには安心したが。


 前世の私の妹よりも年下の子から、ミルクを貰うのは…………、


 しかし、体が勝手に動いた。

 記憶や知識よりも勝る衝動――体が求めていたようだ。


 母親の胸に飛びついた。

 貴重な栄養を体に取り入れ、満足した体が眠気を誘ってくる。


 それに抗える私(赤ん坊)ではなく……、すっと眠りに落ちてしまった。


「たくさん飲んだのね……ふふ、おやすみ、フートベル」




 前世の記憶を持ちながら、異世界へ転生した私は、立って歩ける頃には元の世界へ戻ることを諦めていた。


 言い切ってしまったが、まあ、恐らくこれは召喚ではなく、転生だ。


 元の世界で死んだからこそ、こうして別世界で生まれ変わっているわけで――

 ただ、死因だけを覚えていないのが不思議だ。


 認識する前に息絶えた……? 訳も分からず即死だったなら、死ぬ直前の記憶の途絶を経て、すぐに赤ん坊としてのスタートを切ったことになる。

 元の世界への戻り方を探れる年齢まで待つしかないと最初は企んでいたが、母親と過ごしていく内に情が湧いた……。

 それに、元の世界へ戻っても、充実していたわけでもない。

 困ってもいなかったが、つまらない毎日だった……。


 どこで恨みを買ったのか分からないが、殺された前世の社会に戻りたいとは思わないな。


 ……いや、他殺だった、と決めつけるのは早計か?

 どっちでもいいか――もう、私には関係のないことだ。



 五歳になった私は、とあるパーティに連れていかれた。

 母親がお姫様なので予想はついていたが、私は貴重な跡継ぎらしい。

 将来のため、各国の王族が出席するパーティに呼ばれて顔を出す必要がある。こういう場は、既に前世で経験済みだ。

 国の王族と会社の幹部という違いはあれど、空気感は似ているものだ。


「そちらの子は、年齢の割に落ち着いていますね」なんて、私に声をかけてくる他国の王様は、私の豊富な人生経験を『才能』と判断したようだ。


 私がいることで、母親と、私の国の王族が良く見られるなら、良い客寄せパンダになってやろうではないか。


「はじめまして、フートベルです」


「ほお、フートベル君か……、私の娘も、君の立ち振る舞いを見習ってほしいですね」


 一応、マニュアル通りのマナーは一通り覚えている。

 異世界ならではの慣習も、とりあえずは頭に叩き込んではいるので……、しかし、間違ってはいないだけで、正解かは分からない。

 子供なのだから少しくらい欠点があった方がいいのかもしれないが、「これができて、あれができない?」という違和感を与えてしまうのはまずいか……。


 欠点や失敗を、子供らしいと感じてくれるかどうかは相手次第である。



「あの、ハルジア、です……」


 会場の、子供たちが集まるテーブルから離れ、私に話しかけてきた少女がいた。

 それがハルジアだった。


「よろしく、ぼくはフートベル」


「うん、聞いた、お父様と、話していたから」


 桃色の髪を三つ編みにし、肩から前へ垂らしている同い年の女の子……、目を引く可愛さだが、さっきから見ている限り、子供たちからは仲間外れにされているらしい。


 父親の付き添いで私のところへきたとは言え、元は子供たちのテーブルに『座れなかった』からだろう……。そう俯瞰している私も、座りにくいからこそ、母親にこうして連れ添っていたわけだが……あのテーブルは確かに座りづらい。

 あの場で、既に人間関係が構築されているのだ。


 幼い頃からの知り合いが集まっているのだろう。

 ふむ……、よくよく考えてみれば、相手は子供である。

 今の私には大人前世の記憶と知識があるわけで――怯えることもない。


「ハルジア、この後の予定はある?」


「え? ない、けど……」


 ハルジアが父親を見て、父親が頷いた。


 そして次に、父親が私を見た。


「任せてもいいのかな、フートベル君」


「はい、お任せください。

 ぼくとハルジアちゃんの二人なら……、あの子供たちをまとめることができます」


「!? まとめ――っ、え!? フートベルくん、なにを考えて……ッ」


「あのテーブルにいるみんなの輪に混ざるんだよ、そしてぼくたちが支配する――

 そういう関係が、将来、ぼくたちにとって有利になるはずなんだから」


 近い将来、国を背負うことになる子供たちの集まりだ。


 上下関係、ではないが、今の内に信頼関係を築いておけば、後々に効いてくるだろう……、大人になってからではもう崩せない牙城も、しかし子供の頃からコツコツと石を当てていれば、脆くなった一部分から突破できるようになる。


 一度の人生を過ごし、分かったことだ。


 転生は人生、二周目だ。

 前世の記憶という『特別な力』が宿っているのなら、これを使わない手はない。


 ずるい? いいや? 忘れている周りが悪いのだ。


 きっと全員に前世があった――その記憶は、覚えているか、忘れているかの二種類であり、『忘れて』いる方が悪い。


 この世に出ている天才は、前世の記憶を、多少は持っていたからではないのか?


 肉体的な運動能力の突出はともかく、

 この世の立ち回り方なら、一度、人生を知っている者の方が有利だろう。


 人間関係を構築し、維持する方法など、昔から変わらない。


 初見で失敗しても、二度目からは失敗しない――人生もそうである。


 初めては難しい。

 でも二度目なら――大成しなくとも、大失敗はしない。




 私は十四歳になり、次第に現れてくる異変に、頭を抱えた。


 前世の記憶が思い出せない。

 歳を取れば取るほど、前世の記憶が遠ざかっていくのは当たり前だが、過去の自分の名前や家族のこと、人間関係、思い出……、前世の常識などが薄れつつある。

 そう、異世界で過ごした思い出や、知った知識や常識が、前世の記憶を上書きしていくかのように……。


 アドバンテージが消えていく。


 私が天才と呼ばれているその評価の源が次第に削れていき、このままでは私は、『普通あたりまえ』になってしまう……。


 覚えている限りのことをメモに書き記し――、


 しかし、出力できなかった。筆が動かない。


 書くべきことが分かっているのに、文字を書こうとしたところで、ぽん、と書くべきことを忘れてしまうような――。


 恐らく、文字だけに限らない。

 音声で残そうとしても同じことだろう。

 まだ残っている前世の記憶は、私の頭の中でしか取り出せず、出力はできない……っ。


 いずれ忘れてしまう記憶は、自力でしか思い出すことができないのだ。



 その後、家を訪ねてきた者がいた。ハルジアだ。

 アポイントメントはなく、近いわけでもない私の家に、直接……?


 彼女は――――

 しかし、体は彼女でも、中身は違う……。


 子供とは思えない威圧感に、私は声を出せなかった。


 彼女は言った。

 いや、その『存在』は、私に忠告をしにきたのだ。



 ――転生者の無双を許すな。


 ――お前たちに与えられた特別チートは、成長と共に消えていく……


 ――前世とは、他人である……

 ――他人に頼っていた者ほど、ここから先はハードモードだ。


 ――見物だな、転生者よ。




 ―― 完/二周目はまだまだつづく ――

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