第31話

「マグロ丼美味しいですね」

「うぐっ……。喉に……辛いものが……⁉」

「もぉ~、センパイ何やってるんですかぁ~。カッコ悪ぅ~」

「うっせ!」


マグロの表面に塗られた緑色のアレ——。ちょうどワサビが多い部分を口に入れてしまい、派手に咳き込む。

真愛はオレを煽りつつ、冷たい水を渡してくれた。


「水、ありがとな」

「はい、それウチの水ですけどね。間接キッス♡」

「ブホッ……⁉」


彼女の発言のせいで危うく口に含んだ水を吐き出しそうになる。咳が悪化した。


「センパイ、間接キスぐらいで動揺しちゃうんですねぇ~。カワイイ~」

「やかましい。黙って食え、コノヤロー‼」

「もう頂きました~」

「はやっ⁉」


どんぶり鉢にてんこ盛りに入っていたマグロと白ご飯がたった五分程度で綺麗に完食されていた。体が小さいくせに早食いの才能はあるようだ。


「センパイの分の水、持って来ましょうか?」

「お願い」


満足げに自分のお腹をポンと叩き、椅子から立ち上がる。水が置いてある場所まで軽快な足取りで歩いていった。


「やっぱアイツ、やけにテンション高いな……」


■■■


「お前、この一年で変わったよな」

「急になんですかぁ~?全然変わってませんよ。今も昔もカワイイ真愛ちゃんですよ‼」

「昔はそういう冗談も、そんな風に笑うこともなかっただろ」

「またそれ言う。さっきも同じようなこと聞きました〜」


バイトに彼女が来た時はあまり好印象ではなかった。外面は愛想が良くて可愛いらしい女の子だが、腹の内が読めなくてどこか不気味。特に取り繕った笑みはうす気味悪かった。

今となっては自然に笑えるようになり、うす気味悪さは搔き消えた。

ちょっとずつだが、真愛の人となりが見えてきた気がする。


「もしウチが変わったのなら、それはセンパイのせいですよ」

「は?オレはお前に何もしてないが?」

「この無自覚で鈍感センパイ……」

「おい、急にディスんな⁉」


真愛は拗ねたように頬を膨らませたあと、口角を緩め静かに白い歯を見せる。

その瞬間、オレは不覚にもドキッとしてしまった。

笑顔の破壊力が急激に上がっている。


「センパイ、ボーっとしてないで。早くマグロ丼食べちゃってください。この後、デートする時間が無くなっちゃいます」

「あ、ああ。すまない……」


一途以外の女性に見惚れるなど初めての出来事。

今日はオレもテンションがおかしいかもしれない。

気を紛らすため、残りのマグロ丼を口の中に掻きこむ。


■■■


「やばい。急いで食べたせいで腹が痛い……」

「もぉ~、ホント何やってるんですか~。早く行きますよ」

「ちょっと待ってくれ……‼」


フードコートから離れ、水族館デートが再会。

お腹に手を当てた状態で、上のフロアへ移動する。

真愛はオレの腹痛なんかお構いなしに手を引っ張り、強引に歩かせてくる。

鬼畜だ。


「そういやお前、彼氏とデートする時はいつもどこに行くんだ?」

「だいたいレストランか居酒屋。ホテルはマストです」

「なんだ、そのヤリモクスケジュールは……?」

「ウチの場合はデートも含めて“前戯”ですから」

「もしかして、今日も……⁉」

「センパイが望むなら……してもいいですよ♡」

「いいや、普通に断る。お前の体には興味ない」

「ひっどー。ウチの体こんなにエロいのに」

「全然エロくない。色々ちっちゃい」

「胸はデカいでしょ‼」


デート中に下品な話題で大盛り上がり。人目を気にせず、ギャーギャー言い合う姿は傍から見れば仲睦まじいカップルそのもの。さっきから生暖かい視線が向けられ、恥ずかしい。

オレは途中で羞恥に耐え切れず、徐々に声のボリュームを下げる。


「日南はなんでまだ色んな男と付き合ってんの?」

「なんででしょう……。自分でもよく分かりません」

「愛に飢えてんのか?」

「昔はそうでした。でも今は違います」

「じゃあ、なに?」

「特定の人に振り向いて欲しいから……かな」

「ん?どういうこと?」


「ほらほら、あそこにおっきなエイいますよ~‼」とオレから離れるように小走りで水槽の方へ行ってしまった。


■■■


水族館デート開始から半日が経過。

外はすっかり陽が沈み、冷たい夜風が肌に当たる。

真愛はオレの手を掴み、腕時計で時刻を確認する。


「もうこんな時間ですか‼」

「こんな時間と言ってもまだ夜の七時だけどな」


周辺を見渡すと家族連れがたくさん。この後食べる晩御飯のことで盛り上がっている。


「センパイ‼」

「なに?」

「ここの水族館、もう一周してもいいですか⁉」

「ダメ。最終入館時間過ぎてる」

「うぅ。もう少しゆっくり見たかったな……」

「いや、もう充分ゆっくり見ただろ。たかがエイを見るのに、三十分も費やすなんてありえねー」

「あんな可愛いエイさんを“たかが”とか言ったらダメです。エイさんに謝ってください!」

「えっ、めんどくさ」

「ほら早く‼」

「はいはい、サーセンでしたー」

「よろしい‼」」


楽しい時間は無慈悲にもあっという間だ。久しぶりに誰かと気楽に笑い合った気がする。

たった一日だが就活で溜まりに溜まった鬱憤が一気に晴らせた感覚。真愛が隣にいてくれたおかげで余計なことを考えずに済み、良い息抜きになった。


「ありがと、日南。お前は良い後輩で良い友達だよ」

「と、突然ほめないでください⁉ビックリします……」


真愛はオレから顔を背け、ブツブツと何か呟き始める。そして急激に歩くスピードが遅くなり、途中で立ち止まってしまう。


「センパイにとってウチは友達ですか?」

「う、うん。友達だけど……」

「ただの後輩ではなくセンパイの数少ないお友達、ですか……?」

「ああ。数少ない友達というか、なんならお前しかおらん。心許せる相手が」

「それはどういう意味ですか⁉」


急に真愛の様子がおかしくなる——。いやちがう、今日はずっと様子が変だった。

真愛は後ろに手を組み一歩、二歩と前に進み、堂々とオレの正面に立つ。


「センパイにお尋ねします」

「はい」

「もし、たった一人の友人がこの場でセンパイのことが大好きだと叫んだら、どうします?」


フランクに自然な流れで投げられた質問。

顔は笑っているが彼女の手元を見ると、僅かに震えている。

たとえどんなに回りくどくても、鈍感なヤツでも分かる本心。

ここは適当に答えてはいけないと唇を嚙み締める。


「——ゴメンって言うかな」


少し間をおいて、そうアンサーを返した。

たぶん、もっと違う言い方があったはず。

マジっぽく神妙な顔付きで答えてしまった。


「センパイ、なに真面目に答えてるんですか~?もしも、ですよ。もしも」

「だ、だよな……。オレ、どうかしてるわ」

「就活で頭疲れすぎです。家でゆっくり休んでください」


オレの背中をバシバシ叩き、腹を抱えてゲラゲラ笑う。

彼女は目尻に溜まった涙を拭きつつ、毅然と明るく振る舞った。


「センパイ、一緒に写真撮りません?」

「どこで?もう夜だぞ。てか、ここ外だし」

「中でも外でもどこでもいいです。とにかく二人で写真が撮りたいです‼」

「ほんと急だな……」


あからさまに話題を変えてきた。これは当然だろう。

罪悪感が拭えないが、今は一先ず彼女のテンションに合わせる。


「じゃあ、あそこで撮りましょう‼」

「いや、そこはやめとけ。なんか違う」


彼女が指差した方向にはアザラシとペンギンの顔はめパネル。日中ならまだしも、真っ暗な状態で撮る場所ではない。恐らく、シュールな画が完成する。


「あそこがイヤならあっちはどうでしょう?」

「まあ……、そっちなら大丈夫」


ここの水族館は観覧車が隣接されている。

観覧車はちょうどライトアップされ、エモい感じに映えスポットと化している。

真愛はその観覧車を背景に写真を撮りたいと提案してきた。


「はい、センパイ。スマホ貸して」

「は?なんで?」

「貸さないなら強引に奪い取るまで‼」

「ちょい……⁉」


宣言通りオレのスマホを横からパッと奪い取り、我が物顔でポチポチと画面を操作する。


「ほらもっとウチの隣に寄ってください。見切れてます」

「あ、ああ……スマン」


彼女の勢いに押され、お互いの体が密着する距離まで近づき隣に並ぶ。

傍から見れば、今のオレ達は仲の良い友達というよりラブラブのバカップルだ。

なんとなく周りの視線を気にしてしまう自分が恥ずかしい。


「はい、センパイ。笑って笑って~」

「うぐっ……」

「もっと自然に分かったくださいよぉ~。肩の力抜いて口角緩めてくださーい」

「これでどう?」

「まだ不自然ですが、いいでしょう‼はい、チーズ‼」


渋々ピースサインをした所で、パシャンと乾いたシャッター音。

真愛は嬉しそうにスマホの画面をこちらに見せてきた。


「なんかウチらバカップルみたいですね。二人ともIQが低そうです!」

「IQが低そうなのはお前の方だろ。オレは普通だ」

「ええ~、そんな事言って口が思いっ切りニヤけてるじゃないですか~?」

「これは口角を緩めろって注意されたからで——」


たかが一枚写真を撮っただけでギャーギャーと大騒ぎ。二人で画面を共有して、お互いやいのやいのと文句を言い合う。

派手に騒いだせいでチラチラ周囲の視線を感じる。親の手を握る子どもがオレ達を指差し、バカにするように笑っていた。

ほんと恥ずかしい……。


「そういや、センパイ。最近インスタ始めたんですよね?」

「始めたというか、ただアプリを入れただけ。就活用に……」


Webマーケティング業界を中心に就活しているオレはキャリアセンターの職員さんのアドバスの下、今まで無縁だったインスタのアカウントを作った。

今更だが少しでもSNSに触れておいた方がいいと勧められ、仕方なくアップルストアからダウンロードした。

ほんと今更だが。


「面倒くさがりで流行に無頓着なセンパイのことだから、どうせアカウント作ってそのまま放置じゃないですか?」

「正解」

「はぁ……そんな状態じゃ、せっかく作ったアカウントが泣いちゃいますよ」


真愛はスマホを返さず、そのまま高速で操作する。

画面には何も投稿されてないアカウントが映し出された。


「今さっきの写真、ここに載せていいですか?」

「は?普通にイヤだけど?」

「じゃあ載せますねー」

「ねぇ?オレの声聞こえてる?」


オレの反対をよそに、黙々と操作を続ける真愛。

手際よく作業を済ませ、流れるように写真を投稿しやがった。


「おい。その写真、知らんヤツに見られたら困るだろ」

「心配ご無用。鍵垢に設定したんで、知らない人には見られませんよ」


真愛は得意げな表情を浮かべつつ、やっとスマホを返してくれた。

急いで投稿された写真を消そうとしたが、操作が分からずすぐに諦める。


「あっ。ちなみにウチのアカウントと相互フォロしときましたよ。なので、この写真はウチとセンパイ以外見られません。二人だけのヒミツというヤツです」

「訳分からんこと言うな。取り敢えず今の投稿はネットの海へ解き放たれずに済んだということだな?」

「はいはい。そうですよーだ。そんな血相変えて確認しなくてもいいじゃないですか~。写真は一日で消えるんで、だいじょーぶですって」


SNSは底なしの海洋だ。一度放逐された情報は二度と回収できない恐怖がある。

Z世代でありながら現代のネット社会に強い強迫観念を覚えていた。

それに後輩とのツーショット写真を誰かに見られるのは、なんだか恥ずかしい。

真愛はいたずらっぽく笑みを浮かべ、オレの様子を窺うように顔を覗かせる。


「たった一日で消えちゃうんです……。二人だけの秘密が……」


お茶目に笑ったかと思ったら、今度は瞳を震わせ悲しそうに唇をギュッと嚙み締める。

絶え間なくコロコロ色を変える表情。

さっきから感情の起伏が激しい。


「センパイは今日のデート楽しかったですか?」

「ああ。久しぶりによく笑ったよ。また行きたいと思った」

「ウチはセンパイの良い後輩ですか?」

「最近は後輩というか友達って言った方がしっくり来る」

「そうですか……。ならいいです」


真愛はオレから背を向け、ライトアップされた観覧車を呆然と見上げる。

目の前にあった柵に全体重を乗せ、口を閉ざしてしまった。


「センパイ、もう帰ってもいいですか?」

「いや、外暗いし、危ないから駅まで一緒に——」

「ウチのこといいです。今日は一人で帰りたい気分なので」


怒らせたかと一瞬不安になったが、彼女は笑顔でこちらを振り向いてくれた。

しかし振り向いた拍子に、空中で光り散る涙が視界に映る。


「お前、泣いてんのか……?」


オレはなんてデリカシーがない人間なんだ。

思わず口から転び出る衝撃。慌てて何か言葉を出そうとするが、喉元の辺りで声が詰まる。口内に溜まった唾をただ飲み込むだけ。


「センパイ何言ってるんですか?泣いてなんかいませんよ……」


真愛はそう言って、オレの元から走り去る。

追いかけようとしたが、彼女はあっという間に暗闇の中へ消えていった。

きっとあの涙は暫く頭から離れない。今晩は目を瞑っても、瞼の裏に彼女の顔を浮かぶだろう——。


「すまない。日南……」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る