第30話 (日南真愛の“幸せ”)
センパイは周りと違っていた。
愛想はサイテー。
真顔で料理を運び、無言で食器を洗う。
他の従業員は和気藹々としているのに、センパイはいつもどこか冷めた目でその様子を見詰めている。
センパイだけアウェイで、話し掛けてくんなオーラ全開。私と同じ空っぽのような人間。
当然、誰もセンパイと仲良くしようと思わない。彼は存在しないものとして無視されていた。
「新島センパイ」
「……」
「新島センパイ!」
「……」
「おい、新島‼」
「——いきりなり先輩に呼び捨てか。失礼なヤツめ」
「いきなりじゃありません!さっきからちゃんとご丁寧に呼んでました‼」
センパイの最初の印象はサイアク。特に初会話での彼の態度は癇に障った。
業務的な質問をしようとしたが、そういう気分じゃなくなる。この時は別のセンパイに頼ることにした。
「店長はどうして、あのセンパイを雇ったんです?」
「あのセンパイとは?」
「新島センパイのことです!」
店長と二人っきりになった際、何の気なしにそんな質問をぶつける。
別に邪魔にはならないが、必要でもない。居ても居なくても店が回る気がする。
何故彼が採用され、クビにされないのか不思議だった。
「日南さんはアイツにご不満でも?」
「いえ、とくべつ不満はありません。ただ理解できないので」
「新島のことが?」
「そうです」
見るからに何も考えてなさそう。
明らかに孤立化しているのに、焦りが見えない。
センパイの存在は奇妙で、恨めしかった。
これが同族嫌悪というヤツか。
「センパイ、食器を洗うのまだですか?」
「ああ、ゴメンゴメン。忘れてた」
「何やってるんですか。ちゃんと給料分働いててください!」
「へいへーい」
センパイに何かされたわけじゃないのに、当たりが強くなってしまう。
センパイは怒らず、不当な𠮟責を受け入れてしまう。
「そういや、お前の名前なんだったっけ?」
「今更ですか……ヒナミマイですよ」
「漢字は?」
「日にち“日”に、南北の“南”と書いて“日南”——。下は“真”実の“愛”と書いて“真愛”と呼びます」
「ほー、なるほど。大層な名前紹介だな」
「ケンカ売ってます?」
「ただ大きな独り言を呟いただけ。いきなりケンカ腰はやめてくれ」
こちらに一切目線を合わせようとしない。心底面倒臭そうに、食器を一枚一枚洗っていく。一つ一つの言動と行動がイライラする。絶対に相容れない相手だと感覚で悟った。
「日南ってさ……しんどくない?」
「はい?」
「バイトとか友人関係とか……」
「急になんですか?」
「いやー、お前の顔ずっと引き摺ってるからちょっと気になってな」
そんな分かりやすく表情に出ていたのか。ワタシは反射的に顔を触って確認。
不安のあまりポケットから手鏡を取り出し、直接目でも確認する。
「そこまで気にしなくても他の奴らは気付かん。安心しろ」
「じゃあ、なんでセンパイは分かったの?」
「洞察力には自信があるから」
「なんじゃそりゃ……」
そう言って厨房から去り、誰よりも先に控室へ戻っていった。
「なんなの、アイツ……」
■■■
バイトを始めてひと月が経過しようとしていたある日。ワタシはミスを犯した。
あの日は少し体調が悪かった。溜まりに溜まった疲労のせいで眩暈が凄い。
耳鳴りが酷く、歩くのもやっと。でも体調を悟られないようお得意のカラ元気を演じる。だがそれも限界だ。空の食器が手から滑り落ち、床に破片をぶちまける。
「す、すみません——‼」
ワタシは急いで皿の破片を拾い集めようと手を伸ばすが、それを横から制止する者がいた。
「日南、割れた皿を素手で触んな。学校で習わなかったか?」
顔を上げると、すぐ目の前にセンパイの死んだ顔。右手には既にほうきとちりとりが用意されてあり、こちらにほうきの方を差し出してきた。
「一緒に片付けるぞ」
「は、はい……」
他の従業員は誰も助けに来ない。
センパイだけが一目散に駆けつけ表情ひとつ変えず、ちりとりを構える。
対応の速さに少し驚いた。
「新島センパイ‼」
「お?」
「先ほどはありがとうございました‼」
バイトの時間が終わる直前。控え室で謝罪の意を込めてセンパイに深々とお辞儀する。
センパイはワタシの頭頂部を見たまま固まった。驚いたように目が見開いている。
「わざわざ謝りに来るなんて律儀だな……。まさか日南って、意外と真面目なヤツだったりする?」
「意外とはなんですか……。失礼です」
「基本的に当たりが強いし、小言が多いから正直良いイメージがなかった」
「それは……申し訳ございません。次から気を付けます」
「別に気を付けなくてもいいよ。これからも雑に扱ってくれて構わない。そっちの方が楽だし」
表情を少し和らげ、ぶっきら棒にそう告げる。この様子だと本当に怒ってはなさそう。
「てか、シフトの方は大丈夫?ほぼ毎日来てるけど……」
「問題ないです。ずっと何かしてないと落ち着けない性質なので」
「ああ、そういう人種ね……」
センパイは控え室の壁に貼られたシフト表を見て、ワタシの身を案じる。
確かにワタシの欄だけ真っ黒に埋まっていて、見る人によっては心配になるだろう。
でもワタシは大丈夫。まだ身も心も疲弊してない……はず。
「そういう性質だとしてもシフト入れすぎじゃね?顔がやつれてんぞ」
「また顔ですか……。女性の顔を見るが趣味なんですか?」
「ちげぇよ。趣味じゃなくても目に留まるんだよ、オレは」
センパイはワタシの眼前まで近づき、訝しげにこちらの様子を窺う。
「そういや、ここに来てからずっとその顔だったな。もしかして生まれつきか?」
「ウチに訊かれても分かりませんよ。離れてください」
「ああ……、ゴメン」
ワタシは咄嗟にセンパイの両肩を押し、強く突き放した。
センパイは少しよろめき、危うくこけそうになる。
「あんま一人で頑張り過ぎんなよ。所詮はバイトなんだから誰か抜けた所でいくらでも替えがいる」
「それは励ましてるつもりですか?もしくは煽ってるんですか?」
「励ましだ。肩肘張るのは程々にしとけよ——」
センパイはそう言い残して、控え室から立ち去る。
ほんと不思議な人だ。日に日に彼に対する興味が増していく。
何気に初めて素に近い自分で人と話せた気がする。
■■■
あの些細な一件からワタシはセンパイとよく話すようになった。
バイトの休憩時間。控え室でセンパイを見つけると声を掛けて、益体もない話題で盛り上がる。
どういう心境の変化か自分でも分からない。つい最近まで嫌っていた相手なのに、今では好奇心の方が勝っている。
彼ともっと話して、どういった人物なのかしっかり見極めたい。
「日南はこんなオレと居て楽しいのか?」
「なんですか急に?」
「お前は長々と一方的に色々喋ってるが、オレはただ相槌を打っているだけだ。ハッキリ言って、つまらないだろ?」
「そんな事ないです。ただ相槌を打っているだけでもウチの話をちゃんと聞いてくれていることは分かりますから」
今まで関わってきた友人や彼氏は愛想よく相槌を打ち、リアクションも大きかったが真面に相手の話なんか聞いてなかった。
次、自分は何を話そうか必死。各々、好き勝手に話題を展開。微妙に話が嚙み合わないことなんて日常茶飯事だった。
でもセンパイは違う。愛想も悪いし、相槌なんて少しだけ頷くくらいでほぼ無反応。だけど、ワタシの話を適当に聞き流すことはしない。
たまに返ってくる言葉がちゃんと話題に沿ってる。それだけでも嬉しかった。
「センパイ、センパイ‼」
「そんな大きい声でオレを呼ぶな……。恥ずかしいだろ」
「センパイに“恥”なんかあるんですか?」
「お前はオレを何だと思ってる……」
センパイと仲良くなって数か月。
インスタに載せる用の写真をいくつか見せつける。
ちなみにどの写真もワタシの全身コーデだ。
「この服どうです?似合ってます?」
「う~ん……。ま、似合ってんじゃね」
「ああ~、テキトー。センパイ、ヒドイですぅ」
「オレはファッションに興味がない。感想を求められても困る」
「そうですよねー。センパイの私服っていつもクソダサですもんねー」
「クソダサ言うな!」
センパイのトレンドマークは全身ジャージ。ファッションセンスが無いにしてもラフが過ぎる。もう少しマシな服を着れば、そこそこイケメンになると思うんだけどな……。
「おい、日南」
センパイの顔をじっくり観察していると、いきなり名前を呼ばれる。
いつもより神妙な顔つきでスマホの画面を指差す。
「これはなんだ?」
「これってどこですか?」
「ここを見ろ、ここ‼」
センパイはスマホの画面を指差す。
彼が指差した場所はワタシのオシャレな服ではなく、“割れた”鏡の方。ほんの些細な傷だが、中央が少しツギハギになっている。
「ええっと、それは……ちょっと前に手が当たって……当たった拍子に割られちゃって……」
本当のことは言えない。自らの意志で殴ったなんて……言えない。
しどろもどろに言葉を並べる。
「手が当たったというよりか、殴りつけた跡に見えるんだけど」
「い、いやだなぁ~、センパイ。ウチがそんな凶暴女に見えます~?」
額から冷や汗。無理やり口角を上げて、なんとか誤魔化そうとするがもう限界だ。
「この前さ、ドラマでこんな風に割れた鏡を見たよ」
「なんのドラマですか?」
「月曜日のゴールデンタイムにやってるミステリードラマ。自分嫌いな犯人が常日頃から部屋に置かれた姿見を殴りつけるクセがあったとか。自分の全身が映るたびに虫唾が走って、殺意が芽生えるらしい」
「その犯人とウチは似ていると?」
「だってお前、自分のこと嫌いだろ?」
ぶっきら棒にそう指摘された。
沈黙の時間が訪れ、暫く気詰まりな空気が流れる。
「どうして、センパイはウチのことを……?」
「些細な言動と所作。お前はなんでも楽しそうに卒なくこなしているように見えるけど、いつも心が笑ってない。どこか後ろめたい気持ちが見え隠れする。言動も誰かの悪評ばかり。悪口とまではいかないが、ネガティブな話題が多い。そういうヤツに限って実は周囲の人間より自分のことが一番大嫌い。とても卑屈なタイプが多いと……ネットの情報に書いてあった。だから確証はないけど……」
そう云えば私が持ち出す話題はいつもインフルエンサーの炎上やスキャンダル、大学で腹立った人間の文句などが大半を占めている。たとえ高校の時みたいに噓のゴシップをでっち上げなくても、聞き手は良い気分にはならない。
同じ過ちを繰り返さないよう気を付けていたのに……。迂闊だった。
「前にも同じようなことを言ったと思うが、お前は頑張り過ぎだ。その頑張りが常に空回りしてて、間違った方向に進んでる」
「ふふっ……。その、まるでウチのことを全て分かった風な口ぶり。ちょっと癇に障ります。まだ付き合いが短いセンパイに何が分かるんです?」
普段は口数が少ないセンパイが今日はよく喋る。しかも触れて欲しくない領域に土足で踏み込んできた。
最近収まっていたイライラが再発し、トゲトゲしい口調へ戻る。
「お前は知ってるか?バイト先のヤツらに良く思われてないこと?」
「それはセンパイですよね?」
「ちがう。オレじゃなくて日南だ」
「うっそ。ウチが⁉」
「そうだ……。その反応は知らなかったみたいだな」
センパイが言うには、ワタシはここで働き始めた当初から嫌われていたらしい。猫を被って甘え上手な女を演じていたが、それが裏目に出てしまった。
やれサークラ(サークルクラッシャー)だの、やれヤリマン女だのと、ワタシが居ない場所でコソコソと罵倒していたようだ。ついでに、アイツに近づくなという命令も下されているそう。
どうりで、センパイと店長以外の人がずっと余所余所しい訳だ。
「また知らない間に嫌われてましたか……」
ワタシは力なくロッカーに体重を預け、片腕を目元に当てる。
一応、泣く準備はしたが、涙が枯れていた。今回はそれほどショックを受けてないのかもしれない。
同じ経験をし過ぎて感覚が麻痺を起こした。
実はワタシは嫌われる天才かもしれないとポジティブに考えれるくらいに余裕がある。
「ま、そう落ち込むな。オレは別に嫌いじゃないぞ」
「今更、お世辞はいいです。騙されませんよ」
「お世辞じゃない。お前のことは後輩としても、友達としても好きだ」
「セン、パイ……?」
「たまに口が悪くなる所は欠点だがな」
「むっ。一言余計です」
平然とそういう事を言ってのける所は尊敬する。
これがセンパイなりの励まし方。変に綺麗ごとを並べるより、このぐらい雑に扱ってくれる方が安心できる。
頬が少し熱くなり、自然と口角が緩みかけた。ほんの些細な言葉でも人によって意味合いや重みが違ってくる。
センパイの何気ない一言は不思議とワタシの心にズシンと響く。
「センパイに嫌われてないなら、いいです」
「そうか。こんなクソみたいヤツに好かれても良い事ないぞ」
「自分を過小評価し過ぎ~。センパイはウチにとってサイコーのセンパイですよ‼」
センパイはワタシと同じ“空っぽ”な人間だと嫌悪していたが、それは勘違いだった
彼にはちゃんと芯がある。ワタシにはない強固なものが……。
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