第16話 (一途視点)
私は彼を置いて逃げるように店を後にした。
アイツと一緒にいると心の奥底に封印したはずのものが解き放たれそうになる。
改札口まで騒々しい駅構内を駆け抜け、ICカードをタッチしようとしたその時——。
「ちょっと待ってください‼」
突然誰かに服の裾を引っ張られ、後ろに過度な重力がかかった。
バランスを崩して危うく尻餅をつきそうになる。
「すみません。桐島センパイの元カノさんですよね?」
「えっ⁉」
背後を振り返ると、私より一回り小さい女性が立っていた。全身黒ずくめの服装で帽子を目深に被っているため、誰か分からない。しかし彼女は今、アイツの名前を口にした。
動揺のあまり背中にいやな汗が滲む。
「私の顔覚えてますか?」
「ええっと……」
「帽子外した方がいいですね」
女性は目深に被った帽子を脱ぎ、綺麗なブロンドヘアが露わになる。
その光景を見た瞬間、すぐに彼女が誰なのか分かった。
「この前アイツの隣にいた、ギャルの子」
「“ギャルの子”ではなく、日南真愛です。ちゃんと名前覚えてくださいね♡」
「ゴ、ゴメン……」
ほぼ初対面の相手にいたずらっぽく微笑み、可愛くウィンクをかます。
ほんの些細な動作や言動からフットワークの軽さが窺える。
「もうこのまま帰られるんですか?」
「うん」
「センパイを置いて」
「なに?悪い?」
「いや~、センパイ可哀想だなって思って」
私の仏頂面を目の前にニヤケ顔。バカにするようにこっちをジロジロ見てくる。
「元カノさん、この後ヒマですか?」
「暇じゃない」
「ウチとデートしませんか?」
「ふざけたこと言ってないで早くどっか行って。邪魔」
「近くにオススメの店があるので紹介しましょうか!?」
「私の話聞いてる?この後用事があってサッサと家に帰んないといけないの‼」
「よし、行きましょう‼」
「もしかして耳ないの⁉」
まるで、こちらの話を聞こうとしない。私の裾を掴んだまま、強引にどこかへ連れて行かれる。
「貴方を不審者として通報するけどいい?」
「ええ~、それは困りますぅ~。警察沙汰はゴメンですぅ~」
「じゃあ手離して」
「離しません」
「マジで通報すんぞ」
「もし、通報したら貴方がまだセンパイのことが好きだと本人にバラします」
「はぁ⁉」
彼女の発言を聞いて片手に握ったスマホを地面に落としかける。
「おおっ。今、凄く動揺しましたねー」
「動揺してない‼」
「その反応は図星じゃないですかぁ~」
「ちがう……。私はあんなヤツ好きじゃない‼もう興味ないんだ‼変なこと言わないでっ‼」
「はいはい。取り敢えず詳しいお話はお店の中でしましょう。公衆の面前でそんな風に取り乱されたら悪目立ちしますって」
「あっ……」
周りの視線が一斉にこちらへ集まる。わざわざ足を止めて何事かと目を見開いていた。
「ほら、恥ずかしくなってないで早く歩いてください」
「べ、べつに恥ずかしくなってないし……」
周りの視線を受けてあからさまに挙動不審になる私を見て短く溜息。
真愛は呆れたように私の手首を掴み直し、引っ張る。
■■■
「——ここがウチの行きつけのお店でーす」
「いや、ここって、アレじゃん……」
駅から離れて十分ほど。
真愛が意気揚々と連れてきた場所は有名チェーン店。しかも先ほどアイツと行ったファミレスと同じ店名だ。
「これは嫌がらせ?」
「まさか……、本当に美味しくて紹介したかっただけです」
「だったら、わざわざここまで来なくても駅から近い方に行けば良かったのに」
「でも、そうしたらセンパイと鉢合わせしますよ?」
「それは……、確かに……」
「ウチなり配慮したつもりなんですが必要なかったですか?」
「チッ……」
真愛の煽るような物言いと上目遣いが癪に触る。
沸々とこみ上げてくる激情を抑えるように唇を嚙み締め、舌打ちした。
「——いらっしゃいませ~、二名様ですか?」
「はーい」
「禁煙席、喫煙席がございますが……」
「喫煙席で♡」
「かしこまりました。こちらへどうぞ」
奇跡的にも、運悪く、またも窓際のボックス席に案内された。
真愛と正面から顔を合わせるのを避け、はす向かいに腰を下ろす。
「アンタ、喫煙者なんだ」
「意外ですか?」
「別に」
私の前で躊躇なく胸ポケットから箱とライターを取り出し、慣れた手つきでタバコに火をつけた。周囲に白い煙をまき散らし、甘い香水と強烈なニコチンの香りが鼻孔を刺激してくる。
小柄で小動物みたいな外見のわりには、タバコを吸う姿が様になっている。
「いつから吸い始めたの?」
「高校からです」
「不良じゃん」
「ありがとうございます」
「褒めてない」
「センパイにはナイショでお願いします♡」と本日二回目のウィンク。
タバコを咥えたままメニュー表に視線を移し、憂鬱そうに目を細める。
「どれも不味そう……」
「さっきここのお店がオススメとか言ってなかった?」
「正直今、全然お腹空いてなくて何も食べたくないんです……。食欲がないとどの食べ物もゲロに見えちゃうんです」
「女の子がゲロとか言うな。はしたない」
「意外とそういうの気にするタイプなんですね、元カノさん♡」
「その呼び方止めて。普通に苗字で呼んで」
「一途さん」
「下の名前もNG」
「一途ちゃん♡」
「今度言ったらアンタの細い首を捻り潰す」
「女の子がそんな乱暴な事言っちゃダメなんだぞ、メッ♡」
「きっも」
「ふふっ……」
彼女に抱く嫌悪感は拭い切れないが案外、会話は弾むものだ。
久しぶりに同姓相手と真面に話せる感じがする。
「ご飯どうします?」
「私はさっき食べたし、何も頼まない」
「ではウチは遠慮なく大根おろしハンバーグで」
「それは止めて」
「なんですかぁ~、止めて止めてばっかり。何食べても勝手じゃないですかぁ~」
「絶対わざとでしょ?」
「さあ、どうでしょう」
どこか胡散臭い笑みを浮かべてしらばくれる。
メニューを変える気はないようで、店員さんに注文してしまった。
「アンタ性格悪いよね?」
「よく言われます」
「そんな性格じゃ、色んな人の恨み買ったでしょ?」
「ええ、高校の時は頻繫に上靴を隠されていました」
「ご愁傷様」
「あらら、ちょっと生意気にウチのこと煽ってます?」
「気のせいよ」
彼女はペテン師のような営業スマイルを一切崩そうとしないが、心の中で込み上げてくる激情に逆らえない。
表情筋がピクッと痙攣し、目の色が少し変わる。
「桜庭さんはどうして、センパイと浮気したんですか?」
「いきなりそれ聞く?」
「すみません。普通に疑問だったので、つい……」
オブラートに包もうとせず、ド直球の質問を投げてきた。
どうやらアイツから私のことを色々教えてもらっているらしい。
良いことも、悪いことも、だいたい全部——。
「そんな事を何故、どこの馬の骨か分からないキミに言わないといけない?」
「センパイにとってウチは数少ない友達です。友達としてそこはハッキリしておかないと」
「友達ね……」
友達だからという理由はどこかおかしい。
浮気した真意を元カノから聞き出すのは友達の責務には入ってないはず。
どんなに仲が良くても所詮は血のつながりのない赤の他人。友情を持ってしてもそこまで同情して感情移入できない。
しかし、目の前に座る彼女の表情はただならぬ怒りに満ち満ちていた。まるで自分のことかのように。
「キミはアイツのことをどう思ってんの?」
「その前にウチの質問に答えてください」
「質問に答える前に教えて欲しい。ほんとに彼の友達として私と対峙しているのかどうか」
私も彼女の表情を見て大人気なくムキになってしまった。私の真意を答えるより先に彼女の真意を聞きたい。
彼のことを本当にただの先輩で友達だと慕っているように見えない。友情や同情を超えたもっと、もっと、深い感情。
一度アイツに恋した人間にしか分からない彼女への違和感と不穏な香り。答えは聞かなくても分かるのに私は惨めだ。
「センパイのことは……普通に好きです」
「どういう好き?」
「もちろん、センパイとして——」
「そういうのはいいから。ハッキリ答えて‼」
どうして私はこんなにも苛立っているのだろう。我慢できずに語気を荒げ、真愛を問い詰める。
きっと今の私の顔は見るに堪えぬものだ。酷く醜い目をしている。
「センパイとは……もっと深い関係になりたいというかなんというか……普通に付き合いたい……です……」
限界に達しそうな羞恥を抑え、たどたどしく不器用ながら本音を紡いだ。
真愛の頬は恋する乙女のように紅く染まり、程よく熱を帯びる。
今まで固く保っていた営業スマイルが人間らしくだらしない表情へ弛緩した。
「そ、そうです。ウチはセンパイのことが好きです!9:3で大好きです‼」
「それ、10超えちゃってるよ」
「はへっ⁉」
胡散臭い笑顔のせいで掴みどころがない女だと錯覚していたが案外、抜けている部分があるようだ。
真愛は恥ずかしそうに身を捩り、背を丸めてしまう。緩みそうになった口角を両手で必死に隠そうしている。
「告白したの?」
「ま、まだですよ‼てか、今の段階じゃあ絶対に付き合えないですし……」
「どうして?」
「たぶんセンパイはウチのことを女として見たことがないから……。周りを取り巻く登場人物の一人、モブ・オブ・モブの後輩としか認識されてないからです!」
真愛は悔しそうにギリッと歯を食いしばり、嫉妬の眼差しをこちらに向けてきた。
「センパイは誰かさんのせいでまだ昔のこと引き摺っています。だから、ウチみたいな赤の他人は眼中にないんです」
「誰かさんのせいでって……、もしかして私のこと?」
「そうに決まってるでしょ⁉他に誰がいるんですか‼」
「あっ……、うん。なんか、ゴメン……」
真愛は大音声を上げて椅子から立ち上がり、私の方へ鋭い目付きでガンを飛ばす。
周囲にいた客は何事かとざわめく。
「普通に考えて元カノを自分の家に連れ込んだり、元カノの家に凸ったりしませんよ。常軌を逸してます。キモいです。怖いです。もはや犯罪者です‼」
「確かにそうだけど……」
「貴方はあのセンパイが他の女の子相手でも、ああいう奇行に走っていると思ってるんですか?」
「それは……ないと思う」
アイツの好意はここ数日で容易に察することができた。でも私はその好意に応えることはできない。
「元カノさんはセンパイのことどう思ってるですか?」
「別に何とも思ってない。もう興味がない」
「それ本心から言ってます?」
「ああ。そもそもアイツのことがまだ好きなら、どうして浮気したんだという話だ」
「えらく他人事みたいな言い草ですね」
「は?どこが?」
「浮気したのは本当なんですか?」
「本当だよ。突然降って湧いたイケメンと付き合ってアイツと別れた。私は元々、飽き性だから遅かれ早かれこうなる運命だったんだ」
「貴方はウソが下手です」
「ウソじゃない‼」
「ウソですよ。普通、自分が浮気した話を堂々と何かを隠すように言いません。ウソ吐くならもう少しマシな演技してください」
「年下のくせに生意気なっ……‼」
「この場において年齢を持ち出すのはお門違いかと」
頭に血が上って危うく手元にあった水を真愛にかけそうになる。
手ひらの皮に爪が食い込むぐらい拳を握り締め、テーブルを叩きつけた。
「——ちょっとお客様、店内ではお静かに」
「「すみません!」」
さすがにここまで騒がしくすれば温厚な店員も注意に入る。
私と真愛はペコペコと頭を下げ、お互い熱を冷ます。
一度正気に戻り、ほぼ同じタイミングで短く咳払いした。
「ま、ウチは貴方が浮気したかどうかなんて興味ありません。本題はまだセンパイに対して恋愛感情が残っているかどうかです。そこんとこはどうなんですか?」
「もちろん、ない」
「胸張って言えます?」
「そこまでの自信は……」
素直に“言える”と胸を張ればいい所を何故か反射的に言い淀んでしまう。かつて折り合いを付けたはずの感情が溢れ出し、律動的だった鼓動が荒くなり耳障りだ。
「やっぱセンパイの好きなんだ~」
「ちがっ……‼」
「一々否定しなくても大丈夫でーす。ウチは咎めたりしませんから。ただ本人から直接本音を聞きたかっただけです」
「なんで……?」
「だからさっきから言ってるじゃないですかぁ~、ウチがセンパイのこと好きだって……」
他人の口から発せられた“好き”という言葉。それが赤の他人ではなくアイツに対してのものだと考えると、胸がズキズキと痛み苦しい。思わず“取らないで”と叫んでしまいそう。もうとっくの昔に私の所有物じゃなくなったのに。
「桜庭さんにその気がないなら、センパイに猛アプローチしますが——」
「ちょっと……待って。それはダメ」
「はいはい、相当センパイのことが好きなんですねー。顔中嫉妬塗れですよ~」
「なにその表現。バカじゃないの……」
カバンから手鏡を取り出し、自分の顔を確認する。
頬が僅かに赤らんでいて、眉間いっぱいにシワを作っていた。
確かに酷い顔だ。これは生意気に嫉妬してのかもしれない。
「桜庭さんはどうします?」
「どうするって?」
「センパイにアプローチするか、しないか?」
「は、はぁっ⁉絶対有り得ないし‼」
「そういうのもういいですから、真面目に答えてください‼」
「うっ……」
今更、どのツラ下げて彼とよりを戻すというのか。そもそも私はそんな事を望んでいない。
自分の感情を押し殺して彼のために別れを切り出したのに、また数年後に付き合ってしまうと“空白の四年間”が全てに無に帰す。それだけは避けないといけない——。
私は何も喋らず、ただ首を横に振る。
「思ったより強情な方で驚きました。じゃあ、遠慮なくセンパイ頂きますね♡」
「知らない。好きにしろ」
胸の中のズキズキとイライラが一向に止まる気配が無く、料理を待たずして椅子から立ち上がる。
店内を忙しなく走り回る店員を横目に、店から飛び出した。
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