第17話
ファミレスに一人置いていかれたオレは寂しく会計を済ませ、濁った外の空気を吸う。
当然周りを見渡しても一途の姿は見当たらない。
「アンタの顔を見ると頭がおかしくなる」と連呼し、逃げられてしまった。
せっかく二人っきりでまた色々話せるとウキウキしていたのに残念だ。
「うげっ」
何もすることが無く、そのまま改札口の方へ歩いて向かっていると一件の電話が入る。スマホの画面には例のごとく“母親”という文字。
どうせ就活のことでグチグチ小言を言われると察し、思わず顔を顰めてしまう。
「でも、こんな時間帯にかけてくるなんて珍しいな……」
いつもならゴールデンタイムにお𠮟り電話が来るのに今はまだ夕方。
少々違和感を覚え電話に出るのを躊躇ったが、一向にコール音が鳴り止まない。渋々通話ボタンをタップする。
「すぐ電話に出なさいよ、バカ息子‼」
「うっせー。いきなり罵倒かよ。ちょうど忙しい時間帯に掛けてくんな」
「忙しいって、なんか予定があったの?」
「あった、あった」
「就活関連?」
「ま、そんな感じ」
「絶対ウソだ」
「ウソじゃないって」
「ウソの声音をしている」
「なにそれ、怖っ……」
電話に出るや否や、音割れしたヒステリー気味の金切り声。どの時間帯でも平常運転で逆に安心する。
「それで、電話掛けてきた用件はなに?」
「用件がないと掛けちゃダメなの⁉」
「別にそういう訳じゃないけど……」
母親が付き合いたての面倒くさい彼女みたいな発言をし、嫌悪感を覚える。
無断で通話を切ろうとしたが、母親はお構い無しに喋り始めた。
「――ついさっき、スーパーで一途ちゃんのママ見かけた」
「んっ?」
軽く聞き流そうと適当に相槌を打っていたら突然、気になるワードが飛び出し、小さく声を上げる。
「どこのスーパー?」
「いつもの業務用よ。久しぶりだから急いで声を掛けようとしたんだけど……」
「けど?」
そこで何故か言葉を詰まらせた。言いにくそうに吐息を漏らす。
「う〜ん……」
「急に唸り出してどした?」
「やっぱ他人の空似かも」
「は?」
「実は後ろ姿しか見えてなくて、よく分かんない。……でも、髪型とか雰囲気とかシルエットがかなり似てたような……」
「なんかハッキリしないな。普段なら確証が無くても堂々とあの人だって言い張るのに」
母親は昔から人間違いが酷く、しかも間違えたことを中々認めない。
やれオレの同級生と会っただの、やれママ友と会っただのとハイテンションで自慢し、オレが間違いを指摘しても無視して押し通す。
そんな強情な人が今日はやけにしおらしく、なんだか煮え切らない様子。
珍しく言葉尻が弱々しい。
「お母さん的には他人の空似であって欲しいんだけど、多分アレは本人だわ……」
「なんかあった?」
「それが……あの人車椅子に乗ってたんだ」
「くるま……いす……?」
予想の斜め上を行く事実に耳を疑い、衝撃のあまり動揺が走る。
「しかも異常に顔がやつれてて、言い方悪いけど最後に会った時と比べて別人のように老けてた」
「なんか病気でも患ってる感じ?」
「見た目だけではよく分かんないわ。でも、あれは只事じゃない雰囲気だった。そう云えばこの前、一途ちゃんの家に行ったでしょ?その時、ママの様子どんな感じだった?」
「いや、それがおばさんと会う前に一途に追い出されちゃって……。声はちゃんと聞いたんだけど顔は見てない」
声だけ聞いた感じだと昔と変わらず明るくて元気そうだったため、母親の目撃情報はどうにも信じ難い。
「ま、お母さん目悪いし、今回も見間違いじゃない?」
「私は知り合いを見間違えたことはありません。ましてや、一途ちゃんのママを他人と見間違えるなんて天地がひっくり返って地球が滅亡しても有り得ない……と言いたい所だけど今回は自分も信じたくない」
母親はどこか不安そうな声音で本音をぼやく。
今回も見間違いであって欲しいと願うが、こういう事に限って神様は無慈悲だ。
たまたま車椅子の女性が目の前を横切っていった。
「ウソだろ……」
肩口まで垂れた亜麻色の髪が振動で靡き、柑橘系の爽やかな香りがツンと漂ってきた。
車椅子の女性を見た瞬間、すぐに頭の中であの人だと分かってしまう。
“——ガタッ‼”
車椅子の女性は歩道にあった段差に引っ掛かり、自力で前に進めなくなった。
通行人は見て見ぬふり。誰も助けようとしない。
「ゴメン。電話切るわ」
「ちょっ、ちょっと……‼」
母親はまだ電話を切られたくなかったようだが、のんびり相手している暇はない。
オレは急いで電話を切って車椅子の女性の元へ駆けつける。
「大丈夫ですか?少し動かしますね」
「え、あっ、ありがとう~」
間近で対面した時、母親の目撃情報が本当だったと確信した。
こうやって正式に一途の母親と対面するのはおよそ四年ぶり。
話に聞いていた通り、全体的にやせ細っていて唇がやや青白く顔は土気色に染まっていた。
化粧では誤魔化し切れないぐらい誰がどう見ても不健康だと分かる。
「あら、キミはもしかして晴斗クンじゃない?」
オレの顔を見るや否や表情が朗らかに緩み、三日月の目で笑いかける。
「少し会わない間にこんなに大きくなって、ママ感激だわ~」
「何も成長してないですよ……。身も心もずっと、あの頃のまま。むしろ退化しました」
「フフフッ……。自分を少し悲観的に捉える所は全然変わってないわ。一途ちゃんを目の前にすると人が変わったようにポジティブ思考になるくせに」
「それはもう昔の話です。今の一途と対峙しても不安が募るばかりでポジティブ思考になれません。彼女が何を考えているのか、自分が何を考えているのか、色んな感情がごちゃごちゃになって分かんなくなるんです」
ほんと不思議な感覚だ。
一途の母親が傍にいると今まで内に隠していたものがポロポロと転び出る。滔々と自然に弱音が口から零れ落ちていく。
久しぶりの再会だというのに謎の安心感があって、他人の親だというのに甘えて縋りたくなってしまう。
いくら容姿が変われど彼女の母性は変わらない。そして、いくら歳を重ねてもオレは彼女の母性に勝てない。
どこまで行っても頼んなくて、カッコ悪い男だ——。
「なんかすみません。いきなりダサいこと言って」
「ううん。晴斗クンがダサいことは昔から知ってる」
「そ、そうなんですか⁉普通にショックで泣きそうです」
「今のはじょーだん、じょーだん。晴斗クンはいつでもカッコイイよ。特に一途ちゃんを真っ直ぐ愛する姿は凄く輝いて見える。だから、そこまでガッカリしないで」
わざと落ち込んだフリをすると、あわあわと慌ててオレを励ますように弁解する。
普段から大人の余裕を見せる彼女が時折見せる焦燥感が娘と似ていて愛らしい。
「今からどこに行かれるんですか?」
「う~ん、特にないかな。久しぶりに外の空気吸って散歩したかっただけ。最近、一途ちゃんに軟禁されてたから気晴らし程度に」
「なるほど……って、うん?」
納得しかけた所でふと最大の違和感に気付く。
何の気なく視線を下ろした時に見てしまった。
「すみません。あの……、足はどうされたんですか……?」
長いスカートの下。あるはずの両足が無く、無色透明な空気のみ。寂しく裾だけがヒラヒラと風で靡いていた。
デリケートな部分であまり触れていけないと分かっていながらもこれは流石に聞かざる負えない。
「気づいちゃった……?」
「はい、気付いちゃいました」
「ま、こればかりは仕方ないか」
彼女は一瞬誤魔化そうと両手でスカートを抑えたが、すぐに無駄だと判断しバツが悪そうに舌を出す。
「話すと長くなるし、一先ず別の場所に移動しない?時間ある?」
「はい、大丈夫です。移動しましょう」
彼女は毅然と明るく振る舞うが、空元気に見えて痛々しい。
オレは後ろからゆっくり車椅子を押し、近くの公園に向かう。
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